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感覚と表現

よく知識はアウトプットが最大のインプットとも言われてるように
出すから入ってくるというふうに言われている。


人は日頃から表現して生きてて
常に自分を出して生きている。


表現をするからいろんな氣づきがある。


マクロな視点で見ると
人は生きてるだけで表現してるみたいだけど
一つ一つの表現で見ると表現方法は無限にある。


無限にある表現の中、それぞれ自分らしい表現をして、他人に自分を知ってもらったり、自分に自分を見せたりしてる。


それは本来の人間の本質だと思う。


表現をするから自分のことを知ってもらえたり
自分ってこーゆーのが好きなんやとか
自分を知ることができる。

「氣づき」が大事という話で
何度も同じこと言ってしまうが
人は表現をするからいろんな氣づきがある。


何が言いたいかと言うと
人は先に出す(表現)からこそ
入ってくる(感覚、感情、氣づきとして)ものがあって
そして、それは皆もともと知っているらしい。


例えばエレベーターでも出る人が先、とか
出入口という言葉も入出口じゃなくて
出るが先で出入口になってるとか、、。


これは言葉遊びかもしれないが、
探すともっと思い当たることはあると思う。


そもそも出すことでしか入ることはない。


ということを大昔から人は遺伝子に刻まれてるらしい。

人間は情報の生き物とも言われていて
大昔から知識と知恵を入れて、それを活用、出してきたから生き残ってきている。


だから
先に入ることばかりを追うことは本質じゃないと最近とある成功者も言っていたし、2500年前から確立されている学問でも言われている。

とか調子のいいこと言ってるが
自分はまだまだ練習中。
誰でも意識して反復さえすれば変わることも証明されている。
そうして過去の自分より良い生き方をしていくというのがその2500年前から確立された学問で書いてること。

今までの体験を振り返ると
あ〜、たしかにってなる人もいると思う。

このあ〜とか、なんとなくとか、そこになぜかはわからないけど
納得するその感覚が実は1番大切という話もある。

話がそれましたが
出すのが先というのは
お金でも思考でも人でも全てで例えることができる。


常に自分にとって損とか、得ばかり考えることは
そもそも本質ではないみたい。


徳を考えてる人は自分に入ることを先に優先しているし
損を考えている人は出すことで自分が不利になると思っている。

これを初めて聞いた時はグサグサ刺さった。

自分の中に入ってくるものは
ただ単に偶然入ってきてるってことはなく
何かしらのアクションや表現をしたから
入ってきてるということ。


それが氣づきとしてか感情としてか
どういった形で入ってきてるかはわからないが、
自分の過去の体験から確証を得てることでいうと
氣づきについては知識と日頃からのアンテナを張ってないと氣づくことができず
感情については自分の感覚を日頃から大事にして
体感することを習慣にしないと感じない
ってことにも氣づいた。


これは科学的にも根拠があって
脳科学的にいうと
人は自分が見たいものしか見ていない
というのがある。
「RAS」という脳のしくみがあって
これは科学的にも証明されていて
正直めちゃくちゃおもしろいし
これからもっと掘り下げて知っていきたい領域
なのでこれもまたどこかで書いていきます。

というふうに
入ってくる感覚と出す表現について
分けて考えてみて
それぞれを分離して大事にもしていますが
考え方によってはそもそも入ってくるものと
出るものは一つとして捉え、統一されてるという考えもあります。


そもそも分けて考えるのではなく
入ると出すでセットということ。


簡単にいうと
出すものが10あったとすると
入ってくるものも同じ10入ってきてるという考え方です。

ただし、入ってくるものに関しては
人間の脳の仕組み上、受け取れる数は決まっているので厳選はされています。


またまた脳科学的になりますが
人の脳が受け取れる情報量は
1秒間に4000億bitと莫大な量を受け取っている
そうです、、が
意識的に受け取っているのはその内の
2000bitという量みたい。

大きいと捉えるか、小さいと捉えるかはそれぞれですが
サッカーをしていたのでサッカーで例えると
自分がキーパーで
2億球同時にシュートを打たれたとして
1球だけ受け取る、その1球が意識的に受け取ってる情報量だそうです。

数字はともかく
いかに意識的にみることが大事かがわかります。

だいぶ前にも書いた
人は自分が見たいものしか見ていない
ということがここに繋がります。


だから引き寄せの法則や宇宙の法則など
ほんまかなぁ〜って言われてることが
ここまで信じられてるというか、体験してる人がいるってことはそういうことで、
実は科学的には証明されていることは多い。


話を戻しますが
出すものが10あったとすると
入ってくるものも10あるが
意識的に入るのはほんの少しということ。


でも、ここは自分にとって何が必要かや
直感的に感じるもの、何が心地良いかさえ
意識があると自分で受け取りたいことを感覚として入れることができる。


その繰り返しで以前の自分より今の自分を知る
ことができ、より幸せに氣づいていく。


歳を重ねるにつれて、過去の自分よりは
当然経験を重ねてきて、自分を知ってきてるはず。


ということはより表現できることも増えている。


なのに歳を重ねるにあたって自分を表現しては
いけない風潮、概念が社会でもみられる。

これはしてはダメ、こうしないといけないなどの
自己表現を封じられてることが多い。


自分はまったくの逆だと思っていて
歳を重ねるにつれて、というか経験をしていくにつれてどんどん表現は増えていくし、大きくなっていくもの。


本来は考えられないほど莫大な情報量を受け取っているのだから、今ではどんどん表現してどんどん体感していこうって確信になってる。


無表情、無関心、無感情は
何も出ていないから入るものもない。


だから表現は爆発させていこうと決めた。


最近自然を体感していなかったので
大自然の中、感覚を研ぎ澄ませる修行にいってきます。
そこで得たものをまた書いていこうと思っています😌


ここまで読んでいただいた方
いつもありがとうございます🙇‍♂️


ではまた🏕💤

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