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No war. Stop war.

無知であること…恥を忍んでこの文章を
書き始めました。
それとわたしはありきたりなことしか書けないし、
難しい言葉も使えません。
ありきたりではあるけれども、
そのありきたりが時には大切であるとも
思っているのでそれを当たり前のように書きます。


世の中では毎日いろいろなことが起きている。

わたしには知らないことが
たくさんあるのだという事実と、
これまでいかに知らずに
生きてきたのかという事実に
出合うことがこの1年ほどで増えた。逆にこれまで
出合わなかった謎にも恐怖を覚える。
むしろ自分が知ろうとしていなかったのだと思う。
純粋に怖い…。まだまだ知らないことは山ほどあるし、
インプットしきれていないことだらけ。
その事実と向き合うとき、悲しさや焦り、
怒りを感じる。
これまでの自分を振り返る。そして落ち込む。
ただ、起きている出来事や問題になっている出来事で
自分の中が溢れそうになったときには、
自分を守るために時々その出来事と
距離を置くことも覚えた。

でも知らなくちゃいけない、知りたい、
と思うからまた戻る。
それがしんどいこともあるけど、わくわくすることも
もちろんたくさんある。知らなかった様々な世界を
知ることは学びになる。
だから、そのきっかけには本当に感謝している。

世の中では毎日いろいろなことが起きている。

わたしの知らない人がわたしの知らない場所で、
明日、下を向いているかもしれないし、
上を向いているかもしれない。
それとは逆にわたしの大切な人が
わたしの知らない場所で、明日、
下を向いているかもしれないし、
上を向いているかもしれない。
わたしも明日、どう生きているだろうか。
その全てをわたしは知らないし、知る術もない。
悲しいかな、明日なんてわからない。

世の中では毎日いろいろなことが起きている。


「昨日まであった日常が今日はない」

現実にそういった人たちはたくさんいると思う。
それがどういった現実かはわからない。
わたしはそんな想像をしたことがなかった。
だってそれは想像する間もなくやってくるから。
今考えれば❝あの時❞の出来事だってわたしにとっては
「昨日まであった日常が今日はない」ことだった。
きっと生きてたらそれぞれに❝あの時❞があるはず。
「そんなことが?」と言う人もいるかもしれない。
でも自分の人生なんだから
他人にどうこう言われる筋合いはない。
あなたはあなた、わたしはわたし。

ただ、自分の住んでいる場所で戦争が起こることは
わたしの❝あの時❞の中の記憶にはない。戦争が理由の
「昨日まであった日常が今日はない」人たちを
想像すると胸が張り裂けそうでどうしようもない。
今起こっていることはわたしにも
関係のない話じゃない。
日本にも関係のない話じゃない。
何より、ウクライナでも
ロシアでもその現実を目の当たりにしているのが
同じ心をもった人であるということ。
人も動物も植物も全てが大切な命であること。
命がだいじ。戦争、嫌だ。戦争反対。
No War.  Stop War.


ウクライナは今何時?食事はできてる?
水分は摂れてる?眠れてる?
トイレは行けてる?電気は?電源は?
妊娠してる人は?赤ちゃんは?お年寄りは?
からだの不自由な人は?動物たちは?
病を患ってる人は?医療従事者は?
消防の人は?避難した人たちはどうしてる?
ウクライナに住む外国人はどうしてる?
避難できてる?戦争とは別のことで
辛い思いはしていない?
小さな子どもから大人まで、、、
大切な人と一緒にいられてる?
わたしと同じ推しがいる人たちは?
戦地へ送り出したロシアの家族は
どんな思いでいる?
ウクライナに家族や友だちがいる人は
どんな思いでいる?
他の国(日本含め)にいるウクライナの方や
ロシアの方は嫌な目にあってない?
この戦争が始まったと知ったその時から今日まで、
そしてきっとこれからも、
ふとした瞬間にそんな思いがめぐると思う。


じゃあわたしには何ができる?
考えたけど全然わからなかった。
まず、何故こんなことになったのか、
というところからわたしはわからなかった。
そんな自分がものすごく嘆かわしかった。
ウクライナという国についてもよく知らなかった。

知っていることといえば、
「ウクライナ」という国があること、
ロシアの近くにあるというぼんやりとした地理、
リヴィウ歴史地区と聖ソフィア大聖堂という
世界遺産があるということ、以上だった。
ロシアという国に関してはもう少し
知っていたつもりだが、
それでも浅くて薄っぺらい。連想レベル。
核保有国、北方領土、日露戦争、
シベリア抑留、ロシア革命、
第二次世界大戦、ゴルバチョフ、
ペレストロイカ、スターリン、
現大統領がプーチン、過去大統領がエリツィン……
などなどワードだけで覚えているものも多い。
つまりはよく知らなかった。

この2つの国について、また、こうなってしまった
経緯について調べる中で、あるウクライナの方が
ロシア兵に立ち向かっている姿が
投稿されているものを見つけた。


わたしの国に何しに来たの?
ウクライナに何故来たんだ。
ひまわりの種をポケットに入れておけ
あなたが死んだらウクライナでそのひまわりが育つことになるから

この言葉を口にしてその場を離れたそうだ。
(ひまわりはウクライナの国花、
  ひまわりの種(ひまわり油)の
  世界最大の生産国でひまわり畑も
  たくさんあるそうだ。)

この内容が正しいかどうかはわからない。
本当だとするならばどんな思いで
ロシア兵に近付いたのだろうか、
こわかっただろうか。

ロシア兵士がウクライナの土地で死んだとき、
少なくともひまわりの花が咲くように。

投稿にはそう書いてあった。
立ち向かったウクライナの方の言葉には
どんな思いが込められていたのだろうか。
美しいものが残るように?
あなたは亡くなってもわたしたちは
強いのだということを表すため?
たくさんの想像をして
また胸が張り裂けそうな思いになった。

そして連日見る負傷した人や亡くなった人の数。

どちらの国も、どうしてこんなに人が
傷つかなきゃいけないのか、
亡くならなきゃいけないのか。
武器をもって争わなきゃいけないのか。
わたしがこうやって文章を打っている間にも
苦しんでいる人がいる。今起きている争いは
これだけではない。どこかで紛争が起きていて、
目や耳を塞ぐ人たちがいる。
紛争や人権侵害で大切な場所を追われた人たちがいる。

苦しい思いをしている人たちがいるのに、
わたしは暖かい部屋にいていいのだろうか。
ごはんをおいしく食べてもいいのだろうか。
友だちに会って楽しんでいてもいいのだろうか。
推しに癒されていていいのだろうか。
好きな音楽を聴いていていいのだろうか。
でかけてもいいのだろうか。

でも、わたしはわたしを生きるしかない。
部屋を暖かくするし、おいしいものを食べる。
友だちにも会う。
推しにも癒されるし、音楽も聴く。
でかけることもする。
笑う。楽しむ。

わたしはわたしを生きるしかない。

わたしを生きるなかで何ができるのかずっと考える。
他の人の知恵も借りる。
わたしができることは
小さな小さなことかもしれないけれど、
この世界のたくさんの誰かの行動と合わされば
大きく大きく変わることだってあるはず。
大きな変化じゃなかったとしても、
何かは変わるはずだと信じてる。
信じてるから、小さな小さな行動を
少しずつ起こしている。
微力であったとしても、これからも
わたしはわたしのできることをしていきたい。


No War.  Stop War.

明日がどんな日か、わたしにはわからないし
知る術もない。だから願う。
わたしの大切な人たちが明日、
上を向けていますように。
わたしの知らない人も明日、
上を向けていますように。
ウクライナの国旗のような空の青さに
喜びを感じる日になりますように。
ウクライナの国旗のような黄色の、
キラキラした日差しに
嬉しさを感じる日になりますように。
「誰かの手で」ひまわりの種が植えられますように。
その種から大きなひまわりが咲くウクライナに、
1分1秒でも早く戻りますように。
ロシアにもウクライナにも、それ以外の場所でも
「昨日まであった争いが今日はない!」日に……。


何度だって言う。
人も動物も植物も全てが大切な命。
自分にとっても、誰かにとっても、大切な命。
命がだいじ。戦争、嫌だ。戦争反対。
No War. Stop War.

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