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日にち薬


※この記事には不快な表現や内容があるかもしれません。あらかじめご了承のうえ閲覧をお願いします。

春に休職し、季節がひと巡りしようとしている。
誰しもが、ある程度年齢を重ねていけば色んな経験をするわけで、
その中でも辛いことはなるべく考えないようにしたいもの。

私にも悲しいこと、辛いこと、都合が悪いことを、完全にフタをして見えないように仕舞い込んだ経験がある。

記憶や経験の整理整頓し、刺激に触れていく為にここに記そう。

追憶

13年前、家族だったフレンチブルドッグのペケは、私の過失によって亡くなった。

2010年10月31日
屋外の駐車場での出来事だった。

TSUTAYAに行きたいという子ども達と車に乗り込み、私は車を発進させていた。

当時の夫だった人物は、ついていきたそうにしているペケを連れて車のそばにいた。
いつものことだったが、リードがピンと張るくらいの力で走りたそうにしていた。

その時、タバコに火をつけようとして、リードを離したというのだ。


発進した私の車を追って走り出したペケを、
気付かず私は轢いてしまった。



何かを乗り越えたような衝撃で、すぐに車を停めて降りたが目の前で起こっていることを受け入れられなかった。

パニックとショックで、激しい吐き気を感じてその場で嘔吐した。

子ども達は泣いていた。
私が運転する車が起こしたことだった。

ペケは助からなかった。



通常なら大切な家族が亡くなったとき、夫婦は悲しみを分かち合えるはずなのに、共犯者である私たちはそれができなかった。
悲しみと憎しみと自責と他責…
渦まく気持ちに飲み込まれる。

お互いのことや、ペケのことを思って慰め合うことはできなかった。

『どうして?』『なんで?』と、元夫を責めることしかできなかったし、許せなかった。
むこうも、リードを離したことは過失として認めたが、私が事故を回避できたはずだと言って責めた。


事実、手を下したのは私だった。
気が狂いそうだった。


でも、同じように傷ついて打ちのめされている子ども達がいたことで、どうにか、なんとか、意識を保っていられた。

(…今も、具体的に思い出すと心臓をぎゅっと握られて涙がでてしまう。
ごめんね、ごめんね、と何度も謝る。)

小動物の火葬場で職員のおじさんに
「もう最期のお別れは済みましたか」

と聞かれ、ペケの入ったダンボールの箱を開け、もう一度顔を見た時には
うわあーと泣き叫んで覆いかぶさり、なかなか引き渡せず、職員の方を困惑させてしまった。


骨になったら…
本当にいなくなってしまう…
本当のお別れになってしまう…
そう思って渡せなかったことは13年経った今も鮮明に覚えている。


火葬のあと、遺骨を持って帰るかと聞かれたが
その時の私にはそうしてあげる力が、
もう残っていなかった。
共同の慰霊碑でお願いしてきた。

それからは──
ペケが存在しなかったことにするかのように
ケージや、食器、リードや首輪…写真…
ワンコのキャラクターのついたもの…
ぬいぐるみ、動物病院の診察券…
何もかも、箱に詰めて物理的にフタをして仕舞い込んだ。
そうでもしないと、まともに息をすることもできなかったのだ。

私はペケの死を受け止めきれず、
完全にフタをして封印した。

私が弱かったせいで、ペケは
『思い出したくない』
といういちばん身勝手で最悪な扱いを受けてしまった。


─────────────────────

逃げるは恥だが役に立つ。


何年も経ち、私は少しずつペケと向き合えるようになった。


すごく愛していたことをたくさん伝えた。
私がしてしまったことと、
辛くて泣くことや、きちんと死を悼み、哀しむことから逃げたことを謝った。



ずっと弔うことができなくて、ごめんね。
痛かったよね。寂しかったよね、ごめんね。
ちゃんと見送ってあげられなくて、ごめんね。


勝手にタブーとしてしまったペケとの思い出を、子ども達とも話すようにした。
『ペケの写真を飾りたい』
と、今まで我慢していたことも聞き、子ども達にも謝った。

今も辛さが薄れることはないし、事実や過去が変わることもないが、
向き合うことでそのカタチは少しずつ変わってくる。

自分が生きている以上、完全に葬ることができる記憶や経験なんてない。

どんなに厳重に鍵をかけても何かの拍子にフタが開く。

ちゃんと向き合うことから逃げ続けると
いつまでもその辛さや哀しさは、
その時のそのままのカタチで自分の前に現れる。

でも。
その場から何もかも投げ捨てて、逃げないといけない時があるんだ。
逃げることでしか守れないものもあるから。


逃げて逃げて、走って逃げて…
逃げながらも、後ろを振り返ってみられるようになる時がきたら。

まだまだ走って逃げないといけないのか、
逃げてるものと少しは向き合える状態なのか、
いちど立ち止まって考えてみよう、と思うのだった。


(おわり)

読んでいただきありがとうございました。








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