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自分の権利がわからない

先日、彼氏とお金のことが発端となり揉めに揉めて、もう二度とやり直せないところまで来てしまった。
優しい友人たちにそんな状況を話すなかで、こんなことを言われた。
「破局したなら、とっとと追い出した方が精神衛生上いいよ。」
私自身その通りだと思うのだが、なぜかできないのだ。

自分なりの情けや優しさによるものだと思っていたのだが、どうも違うということに気づいた。
私には、自分の権利がわからない。
守るべき自己がない。
だから「ここから先は守るべきところだ!」というアラートが働かないし、「ここまでは自分のこと、ここから先は他人のこと」の線引きができない。
客観的に見て正当な自分の主張を、単なるわがままだと認識してしまう。

心理学では「何か目標を設定した際に、目標達成の妨げとなる障害を自ら作り出してしまう考え方や行動」のことを「自己破壊的行為」と呼ぶ。
今回のことも、貸した金を回収する算段をたてて、家から追い出せば解決する話だ。
それなのに、「せっかく次の派遣の仕事も見つけたのに、会社に通えない親元に帰すなんて…」「せっかくあの人が立てた返済計画を白紙に戻すなんて…」といった謎の罪悪感があるから、追い出すのがイヤなのだ。
要するに、私が「自己破壊的行為」でわざわざ障害を作り出しているに過ぎない状況だ。

加えて、「自分がここまで面倒見るって決めたのに、それをやめるのは無責任だと感じている」というのもある。別に私は母親じゃないんだし、こんなガキ捨てたっていいのに。

自分の権利ってどうやって認識したらいいんだろう。
きちんと自分のことを大切だと思えたら、自然と身に付く感覚なのだろうか。
また昔のことに向き合わないといけないのか、と考えると少し気が重い。

今回のトラブルで分かったことはたくさんある。
相手に対してひっそりと抱いている不安や不満を、「この人が好きだから」という気持ちでは解消できないことも。考えれば当たり前のことだが、相手に対して不満を抱くのは愛していない証拠だと信じていたのだ。

「自分を改めて振り返る機会だ。今度こそ良い人間関係を築けるようにしよう!」と頭は言っていて、我ながらとても賢いと思う。
でも今回ばかりは、それに心がついていかないのだ。
でもやっぱり幸せになりたいから、自分の心を慰めて、原因を取り除くべく行動するんだろうな。

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