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親を喪う

親を喪(うしな)う。
誰にも起こることなのに、自分に起こると、受け入れ難い。

日々変わっていく感情や考えを忘れる前にX(旧Twitter)に記録しました。
いわば日記、あるいはメモです。それをここに転機します。
死別体験は、一人ひとり大きく異なると思います。その一つの例として。


1月16日
11日ぶりに自宅に戻った。 時間が止まったような11日間だった。

とても大切なものを失ったのに、現実感がない。 悲しくない。
これは、正常な「否認」の反応なんだろうか?

1月19日
全然信じられないまま1週間経った。 今朝、ふと、「本当にいなくなってしまったんだろうか•••」と思う。「そんなこと、あり得る?」と思う。
スマホの中の動画を見る。一緒にゲラゲラ笑っている。
「ほら、やっぱり元気でいるじゃないか」と思う。

美容院に行く。家族が亡くなったというのに、全然死んだと思えず、まったく悲しくないのだと伝えたら、「私も母が急死した時はそうでしたよ。半年くらいして、ああ、もういないんだなと思ったら、急に涙が出てきました」と言われた。
ほっとした。おかしくなっているのかと思っていた。

1月21日
亡くなって8日目。ふと「本当に死んでしまったのかも知れない•••」と思う。急に恐ろしくなって考えるのをやめる。

本当に死んでしまったんだ、と思うと、どっと涙が出る。ひとしきり泣くと、また生きているような気がする。これを繰り返していくのか。
でも、やっとお線香をあげたり手を合わせて拝むことができるようになった。
写真の笑顔がすぐ近くに居るように見えたり、とてつもなく遠い世界に居るように見える。

亡くなった時の顔がきれいで、笑っているようだったので、納棺師が必要だろうかと思った。 でも湯灌をされている間、あまりにも気持ち良さそうな顔で(そこに居た者全員がそう思った)、シャンプーをすると3ヶ月前に旅行先で洗ってあげた時と同じ感触で、その時の嬉しそうな様子をリアルに思い出した。

1月22日
店で美味しそうなものを見つけ「ああ、これ、送ってあげよう。きっと好きだ」と思った。次に、「送ってもいないんだ。もういないんだ」と思い、ショックを受ける。
人から「満足して亡くなったでしょ」と言われて、激しい怒りが湧く。
私の精神状態は、やっぱりまだちょっと普通じゃないんだとわかる。

1月23日
10日以上過ぎた。生きているとは思わなくなった。信じられないとは思う。動画を見ても、もういないとは思えない。どこにいるんだろう。
ただ胃をぎゅっと掴まれているような感じと体が重い感じが始まった。人と話したくない、お悔やみなんて聞きたくない、放っておいてくれと思う。
仕事をしてる方が楽。

この番組の中で小笠原文雄医師が家族に語っていた。「 亡くなる瞬間にその場にいるかどうかは重要じゃない。それより、亡くなる前にどれだけ良い時間を一緒に過ごせたかの方がずっと大事だ」と。

注:番組は、ETV特集「おひとりさま 笑って生きて、笑って死にたい」

1月24日今日、初めて出てきたのは「困った」という気持ち。「本当に死んでしまったらしい。どうしよう。困った。どうしたらいいんだ」とオロオロしている。 小さい子どもみたいに、故人の写真に向かって「助けてよ。帰ってきてよ」と思っている。次々と思い出しては涙が出る。困った。どうしたらいいんだ。

1月25日
写真を見ない。話し掛けることもしない。そんなことをしたら、亡くなったみたいだから。
食欲が落ちてきた時、すぐに何か対策が取れなかったのか、とか、昨年夏に免許を返納して気落ちしていた時、何かできなかったのか、とか、亡くなるまでを振り返って、何が悪かったんだろうとぼんやり考えている。

1月26日
亡くなって2週間経った。「生きている」という確信はもうなくなってしまった。死んだんだ、もういないんだ、もう会えないんだと思う。そのたびに涙が出てくる。
秋には一緒に旅行したのに•••。1ヶ月前は元気だったのに•••。
今、してあげられることは何なんだろう?何をしたら供養になるんだろう

1月29日
数日間、買い物をしていても涙が出る、散歩をしていても涙が出る、写真を見ると声をあげて泣く•••。 でも、今朝は写真に「おはよう」と言えた。
泣くことは大事なんだな。 こんな気持ちを抱えたままで、みんな仕事や日常生活を続けていくのかと思うと驚く。そのことを想像したことのなかった自分にも。

1月30日
今日も変わらず。 でも、こんなふうに時間をかけて悲しんでいられるのも、身内が膨大かつ面倒な手続きをやってくれているから。もし自分でやるとしたら頭がショートして寝込んでいるだろう。恵まれている。ありがたい。
もし誰かの何かの参考になればと思って記録中。どなた様も心配しないでください。

1月31日
「もう落ち着かれましたか?」と連絡が来る。
18日経つと普通は落ち着くのか••• 私はどんどん寂しくなっていく。いなくなったことの意味がだんだんわかってくる。その大きさに呆然としてしまう。でも日常が続いていく。何事もなかったかのように仕事の打ち合わせをする。悲しみはオンオフを繰り返す

2月2日
20日経って、また写真が見られなくなる。 「人と話せ」と家族は言う。
何も話したくないと思う。 今頃になって、脳へのダメージを自覚する。 今朝の寒さを暴力のように感じる。 四十九日を過ぎたら、冬も終わるんだろうか。

2月3日
今朝、つぼみらしきものを見つけて泣いた。植物に慰められ、励まされる。 そういえば、お葬式の後、残った花の花束をもらい、実家に飾った時、明るい色の花に救われた気がした。 同時に、そう感じる自分を不思議に思った。 亡くなったことをまったく信じられず、悲しみを自覚していなかったから。

注:ベランダで何年か育てている多肉植物が初めてつけたつぼみ。

2月6日
「今はまだ彼岸に行く途中にいる」と夫が言う。 「まだその辺をうろうろしてるなら帰って来てよ!!!」と思う。 しんしんと寂しさが積もっていく。
昨夜、夢で会えた。微笑んでいた。両手で触ったら感触もあった。うれしくて叫びたかった。でも何も話さず、動かなかった。遺影と同じ服を着ていた。

2月7日
亡くなって25日目。初めて湧いた感情、怒り。 遺影を見ていて、急に起こった。 「なんで死んだ!! なんで笑ってる!! 笑ってる場合じゃないだろ!!!!」
大声で怒鳴りたい気持ちになった。自分の感情に疲れて、ぐったりして、20時前に寝た。10時間も寝た(途中何度も目覚めるのは長年のこと)。
仕事しよう。

2月9日
怒りは消えた。遺影に謝った。遺影はとてつもなく遠くに感じた。頭痛と倦怠感と過眠が続いた。
危険だと感じて人と話した。時間が解決するかと聞いた。
「しない。何年経っても悲しい」と言われた。
逃げちゃいけないんだな。覚悟して生きていくんだなと思ったら、だいぶ落ち着いた。体調は改善した。

2月10日
戒名が決まった。本人は「戒名もいらない」と言っていたし、家族の中でも意見は異なったが。 どんな人だったかを僧侶に詳しく説明して、その人らしい戒名を決めていただいた。
あの世を信じられるわけではないけれど、何か形として供養ができるということが、遺された人間の慰めになるのだなと感じる。

2月11日
初めて現れた感情、諦め。
「あの時、ああしていたら今も生きられた」「もっとこうしていれば•••」と繰り返し考えてきたが、「亡くなったんだ」と。
亡くなった。でもこれからはいつもそばにいるんだと思えたら体が楽になった。 何を見ても思い出し、思い出すと涙が出る。それはもう仕方がない。

2月13日
気持ちに規則性がない。1月経ったと思うと、1月前のことを思い出して、また苦しくなる。 医療者を責める気持ちはないけれど、情報も意思疎通も足りなかったと思う。それが「なぜ?!」という問いを長引かせる。
友人たちに聞いても、誰もが死別の悲しみを胸に秘めて生きている。そうは見えなくても

2月14日
どうにも苦しかった時、ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳。河出書房新社)をパラパラと読んだ。詩のようなエッセイのような短い文章が集まって、物語になっている。 読み始めると、すっと、ここではない世界に連れて行かれる。言葉(文学)の力に驚く。言葉の力に救われる。

2月24日
注文した位牌ができたと連絡。色々考えて作ったが、見るのが怖いような気もする。本当に死んだことになるようで。 自分と違う苗字の位牌をどう扱えばいいのかもよくわからない。私が元気な間は拝めるが、私が拝めなくなった時は? 先祖の苗字はたくさんあるのに、結婚後は一つの苗字だけを祀る哀しさ。

2月28日
四十九日の準備。 祭壇が整ったら、遺影が笑っている。不思議だ。ずっと寂しそうな微笑にしか見えなかったのに。
飛行機で遺骨を運んで納骨した義父の時も思った。大変だけれど、故人にできることを一心にしていると、生きている私が救われる。

3月1日
四十九日の法要をした。位牌に魂を入れる儀式も。
故人は「戒名もいらない」と言っていたので少し迷ったが、和尚さんを呼んで儀式をして、気持ちが楽になった。
「なぜ死んだ?と問うても答えはない。これからは故人がいつも見守ってくれる。故人のためにもこれからどう生きるかが大事」と話された。

3月7日
まだ生きていてほしかった。一緒にゲラゲラ笑い合っていたところで時間を止めたかった。そう何度も思う。 でもすべては失われる。
「諸行無常」って、教科書で読んだ頃は、ただの呪文みたいに感じていたけれど、実感する時が来た。 あることが当たり前なんじゃなくて、失われることが定めなんだと。

4月3日
時間だけは経つけど、寂しさは変わらないんだな。
桜を見ると、もうこの桜は見られないんだなと思う。 去年の桜が最後だなんて、本人も私も思いもしなかったのに。
「気を落とされたでしょう」と昨日言われた。 リアルな表現だなと思った。私の「気」はポトンと落っこちて、ずっとそのままの気がする。

5月15日
4ヶ月が過ぎた。何を見ても故人を思い出す。 やっぱり「居ない」ことが、嘘のように思える。
取り壊しを待つだけの家は、抜け殻のようだ。 そこにあった声も体温も空気も消え去って、いのちの名残はどこにもない。 持ち主と一緒に、家も死んでしまうんだな。
この家に住んだ記憶はどこに行くんだろう

6月12日
「私の両親の位牌は、私が死んだら棺に一緒に入れてもらうの。(母方の)祖父母の位牌を遺されても、子どもだって困るでしょ」と年上の友人が言う。 ああ、それはいいなぁと心底思う。 それならなんの不安もない。

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