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推し


推しがいることっていつの間にこんなにスタンダードになったんでしょうか。

誰も推していないと思っている自分は、非国民でしょうか。


お金は好きに使ったらいい。使い方は持ってる人の自由だから、自分が良いと思うように使ったらいい。それが結果的に、誰かを食わせることにつながっているんだと思う。

推しに貢ぐっていうのもそれなんだろうな。グッズが欲しいとか、作品が見たいとかそういうレベルの先に、コンプリート欲がでて、その更に先にあの人が関わっているなら買う。みたいな。無条件というか条件反射というか。パブロフの犬的な。側から見てたら怖いなって思うこともあるけどね。


自分は、そういう対象はいないと思う。好きな歌手や俳優、アイドルはそれなりにいるけど、その人個人のために喜んでお金を使えるかっていうと謎。知り合いが出ているから見にいく舞台や、好きな人が出ているから見る映画とか、ライブに歌を聞きにいくとか、そういうのはやる。けど推すってその先なのかな?グッズを制覇したり、CDを揃えたり、誰かとお揃いのものを買ったり、握手会に行ったり、写真集を買ったりとか、そこまでいけない。

故に、キャバクラとかホストに貢ぐ人も、舞台俳優やイケメン、美女アイドルに現を抜かすのも感覚的にはわからないんよな。ファンクラブとかも経験がない…。お金相応満足できない。


そんな自分が怖くて、異常な気もして、ハマるものを探してはハマってみようとするんだけれど、ハマればハマるほど嫌いなところを発見し、離れていくことが多い。理想が高すぎるということかな。という結論を自分で出してみてる。

そんな大手を振って何でも許せて、好きでいられる人(対象)って珍しいはず。だからそういう人がいるということは本当に大事にして。今だけかもしれないから、いつ嫌いになるかもわからないんだから。

そんなことにそんなにお金を使うんだなーって思ったりもするけど、そんな本心はしっかりと隠して生きていこう。



いつか、自分も、恋愛ではなく大好きな人を作れたらいいなと。もちろん恋愛もなんだけど。

愛をお金で表現すること、も、できたらと。






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