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第591回 徳川家将軍が本格化した鷹狩り

①https://ibispedia.com/tokugawaieyasuより引用の徳川家康

   『鷹狩りの歴史は古く、日本では西暦355年、仁徳天皇の時代に大陸から鷹が輸入され、朝廷を中心に公家の遊びとして親しまれました。しかし、もっとも盛んになったのは江戸時代です。徳川家康が鷹を独占した後、三代将軍家光と八代将軍吉宗の時代には鷹場を設置し、鷹狩りの法律を定めて幕府自ら管理するようになりました』と雑誌サライが「鷹狩り」の特集を組んでいます。

②https://www.google.co.jp/amp/s/yoroikokoro.hamazo.tv/a7169719.htmlより引用の鷹狩の鷹匠とオオタカ(体長約50〜59㌢)

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   『江戸時代は猫や金魚、鈴虫など、さまざまな生き物を飼うことが人気でしたが、政治や社会・文化に影響を与えたのが犬と鷹でした。徳川家康は大の鷹好きで、八代将軍吉宗も鷹好きが嵩じて鷹将軍とまで呼ばれました』とあります。この時代には海の向こうのアジアから色んな文化として、鷹や雉、小綬鶏など、鷹狩りに必要なものはこの江戸時代に大陸から輸入されてきました。

③https://www.google.co.jp/amp/s/wheatbaku.exblog.jp/amp/17454112/より引用の鷹狩に使われるオオタカ

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   鷹狩というのは、鷹などの鳥を使った狩猟の一種で、鷹野、放鷹とも言います。タカ科のイヌワシオオタカハイタカ、およびハヤブサ科のハヤブサ等を訓練し、鳥類や哺乳類のウサギやキツネを捕らえさせ、ご褒美に別の餌を与えます。②や③の写真のオオタカは体長約55㌢位の大きさで、その当時の「鷹匠(たかじょう)」にとっても扱いやすい大きさの鷹であったに違いないです。

④http://blog-fuji.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-a4ea.htmlより引用の鷹狩にハヤブサ(体長約42〜49㌢)も使われる

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   日本語の古語において、鷹狩は鳥狩(とがり)、鷹田、放鷹、鷹野などとも称します。また、七十二候でも七月十八日から二十二日を「鷹乃学習」(たかすなわちわざをならう)と言い、その当時の鷹匠が鷹狩に使用する鷹を教え始める時期がこの頃で、鷹を訓練する場所を鷹場(たかば)と言いました。またこの頃から鷹狩に使用される鷹はオオタカが殆どで、今でも「タカ」はオオタカです。

⑤https://parstoday.com/ja/radio/programs-i42224より引用のイヌワシ(体長約81〜89㌢)

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   先程も語りましたが、鷹狩の鷹はオオタカが殆どですが、時には④のハヤブサや、また鷲ではありますが、タカ科のイヌワシも使用されました。ハヤブサはその飛行速度を目玉に足の速いウサギを仕留め、また身体の大きなイヌワシはその力強さを売り物にして、キツネなども捕獲してしまいます。この三種の中で、今でも「鷹匠」が使用している「鷹狩」の鷹はやはりオオタカです。

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