あえば直道の活動を支える幼少期からの思い出とは?年少期に起こった出来事をまとめました。

2020年のアメリカ大統領選挙を見続け、保守政治の在り方を提案し続け、実際にアクションを起こしているのがあえば直道さんです。そのあえば直道さんですが、幼少期から学生までの人生は決して平たんなものではなかったとあえば直道さん自らが語っています。いくつかのポイントにまとめた上で、何があえば直道さんを駆り立てるのか、その原動力、原体験をご紹介します。http://xn--o9jl2cn0549dcvbi30dpg1c.com/%e3%81%82%e3%81%88%e3%81%b0%e7%9b%b4%e9%81%93%e3%81%ae%e5%8e%9f%e5%8b%95%e5%8a%9b%e3%81%a8%e3%81%aa%e3%81%a3%e3%81%9f%e5%ad%a6%e7%94%9f%e6%99%82%e4%bb%a3%e3%81%be%e3%81%a7%e3%81%ae%e6%80%9d%e3%81%84/

アメリカ大統領選挙を通じて、一貫して共和党支持を打ち出し、トランプ政権に対しては全面的な支持を行うなど、アメリカ政治を最前線で見続けてきたのがあえば直道さんです。
2020年に行われたアメリカ大統領選挙も密付け、結果的に応援していたトランプ大統領が落選、バイデン氏が大統領となることで、最もバイデン政権を厳しく監視する日本人の1人としてアメリカ政治を見続けています。
草の根保守主義を掲げ、世界中で保守主義の新たな姿を模索し続けるあえば直道さん。しかし、幼少期から学生時代におけるあえば直道さんは決して、見慣れたあのあえば直道さんと同一人物とは思えないメンタリティだったようです。

あえば直道さんの幼少期は波乱から始まる

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あえば直道さんは1967年、昭和42年1月5日に神奈川県で生まれます。
あえば直道さんの父親は弁護士を務め、母親は専業主婦でした。あえば直道さんが生まれる前から父親は弁護士を目指し、母親の家族が父親の夢のサポートを行っていたのです。結果的に司法試験を合格し、あえば直道さんもまた父親と同じような道を歩むことになります。

一生懸命頑張った小学校受験ではスパルタ教育もあって、なんと慶應義塾幼稚舎に入ることができたのです。
いわば労せずしてストレートで慶應義塾大学まで入れるため、今も昔も人気が高い学校でした。ここに入ればエリート街道間違いなしと思っていた中で、あえば直道さんは大きな挫折をすることになります。

とにもかくにもうまくいかない

慶應義塾幼稚舎に入ったあえば直道さんでしたが、すぐに挫折を味わうことになります。
あえば直道さんは父親が弁護士であるものの、周りは政治家や官僚の息子などがゴロゴロといるため、あえば直道さん以上の血統を持ち、きわめて優秀な子供たちが集まることになります。
そして、集まった優秀な子供たちを前に、あえば直道さんはすっかり委縮してしまい、勉強に対する気持ちは一気に消えてしまいました。
勉強へのやる気を失うと、人間はどんどん簡単な方向へ流れていくものです。家に帰ればテレビを見続けテレビっ子になり、運動でも結果を出せずとまさにやることなすことうまくいかないような状態に追い込まれます。
結局こうした怠惰な生活が習慣となってしまったことで小学生時代はここから抜け出すことができませんでした。そして、中学に入ってみると、今度は難関の中学受験をしてきた人たちが入ってきます。
中学受験で入ってきた人たちは必死に猛勉強を行って入ってきた人たちなので、怠惰な生活を送っていたあえば直道さんからすると、あっさり抜かされてしまうのは当然といえば当然のことでしょう。

かろうじて人間としての尊厳を保たせてくれた2人の人物

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中学に入ってもなかなか結果を出すことはできず、成績は当然伸びないし、ついには落第まで覚悟しなければならないほど成績は低迷します。
人間としての尊厳が失われかねないほど追い込まれていたあえば直道さんでしたが、この時、1人の人間として尊重してくれたのがあえば直道さんの祖父2人でした。
様々な形であえば直道さんを励ましてくれたので、あえば直道さんもなんとか前向きに人生を過ごせていたのですが、悲劇が訪れたのは高校1年生の時でした。なんと2人の祖父は相次いでこの世を去ってしまいます。あえば直道さんは悲しみに暮れ、ショックが隠せません。

このまま自分はやっていけるだろうかと漠然と不安を抱えた時、あえば直道さんはとあることに気づきます。2人の祖父はきっと自分を天国から見てくれているはずだと考えたのです。
もし適当に生活をしていれば2人の祖父はきっと見ているし、悲しんでいるに違いない、ましてカンニングをしようものなら祖父たちに泥を塗るようなことだと自分を律するようになります。そしてここからがあえば直道さんの快進撃の始まりなのです。

弓術から全ては変わった

2人の祖父が亡くなったことである使命を感じ取ったというあえば直道さんですが、この時何から手をつけていけばいいのかと考え、中学時代から弓術部に入っていたということで弓術で結果を残すところから始めます。

弓術をやり始めた理由は、経験者がいないだろうから自分でもなんとかなりそうだという単純な動機でした。
いわば後ろ向きと言われても仕方ないほどでしたが、高校に入ってからはインターハイの中でも強豪、その中で自分自身が結果を残すのは大変だろうと思っていたのですが、そこは使命を見つけて祖父のために頑張ると誓ったあえば直道さん、必死に猛練習を重ね、段々と的に当たるようになり、ついにはすべての矢が当たる状態にまでなります。
そして、慶應の代表となり、インターハイでも結果を残すことに。あえば直道さんはこのように成功体験を得たことで、勉強の方でもやる気をもって臨むことができるようになったのです。

使命に燃える男は今も使命のために頑張り続ける

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あえば直道さんにとって、当初アメリカ大統領選挙を観察し続けていく中で、何がやれるのかを模索してきた程度でしたが、ここ数年でその思いはかなり固まりつつあります。

アメリカで浸透してきた草の根保守主義を日本にも持ち込みたい、そして、日本でしっかりとした保守主義を打ち出していきたいという思いで、一般社団法人JCUを立ち上げるなど、色々なことを行ってきました。
こうした使命に燃える姿は、若い時に父親があえば直道三に対して話してきたことであり、その使命は現在に至るまであえば直道さんの行動指針にもなっています。

トランプ大統領が選挙に負けたことで、バイデン候補が大統領になるという展開は、あえば直道さんからすればかなり耐え難い部分があったかもしれません。しかし、使命に燃えるあえば直道さんにとって、このような逆境はむしろ闘志に火がつく感じがするので、さらに気合が入るのかもしれません。
バイデン大統領はアフガニスタン情勢において失策をしたのではないかと言われ、あえば直道さんは厳しく糾弾しています。草の根保守主義のために何が何でも根付かせて見せる、そんな想いを感じさせます。

まとめ

あえば直道さんにとって、幼少期の思い出はもしかすると嫌な思い出、いわゆる黒歴史だったかもしれません。
しかし、あえば直道さんのブログで過去の話が語られているように、黒歴史だったものをあえば直道さんの父親からのメッセージによってしっかりとした歴史にすることができたという見方もできます。
多くの人は幼少期の歴史を、そのまま嫌な歴史として認識する中、それ以上に辛い思いをしてきたあえば直道さんは、むしろプラスに捉えている感じを持たせます。
あえば直道さんから私たちが学ぶことは本当に多く、使命のために燃えることができれば、どんなことでもやり遂げられることを学ばせてもらうことができたように思います。

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