#71 ボールを遠くに飛ばすこと

小学校時代に行った体力測定のソフトボール投げが苦手だった。肩が弱いのかフォームがよくないのか普段野球をしないからかわからないが、20mも届かなかった気がする。大抵の人は30m以上は投げられ、野球をしている人で肩が強い場合は60m以上投げているのを目にして自分には到底到達しえないと感じたのを覚えている。

中学生になってからはハンドボール投げになった。ソフトボールよりは飛距離に差が出にくいという性質があるもののそこまで飛ばせないというわけではなかった。だが平均には満たなかった気がする。

ボールを投げるときの飛距離が短いのは肩が弱いからということも理由に含まれるかもしれないがそういうわけでもなさそうだ。

私はサッカーをしていたが、ボールを遠くまで蹴ることが他の人に比べて苦手だった。だからセットプレーでロングボールを蹴る場面では常に味方に任せていた。サッカーの試合をみていると、ゴールキーパーが自陣のペナルティエリアから前線へ50m以上のロングフィードを蹴る場面をよく見るが、あんな距離をよく蹴れるなあと感心するばかりである。

球技の種目によらず、全ての球技ででボールを遠くに飛ばすことが苦手であった。それはなぜなのかを今考えると、遠くに飛ばそうとしか思っていなかった、数字にしか注目しておらず足元から目を背けていたからだという答えが導かれた。

遠くに飛ばすという目的だけを見すぎて、そのためにはボールを投げるあるいは蹴る際にどのようなフォームにするかあるいはどのタイミングで力を入れるかなどボールを飛ばす際の自身の挙動について考えることをしなかった。そうしなかったから再現性がなく、安定したプレーができなかった。たまたまボールが飛べばラッキーくらいにしか思っていなかった。そして、ボールを飛ばすことが苦手だからこそボールを遠くまで飛ばせた方がすごいことだと思っていた。

この考え方はスポーツ以外にも共通するところがあった。例えば感想文を書くとき、書くのが苦手だからこそ分量が長い方がすごいと思っていた。また、プレゼンボードを作成するときは枚数がたくさんあってぎっしりしている方がすごいと思っていた。このすごいというのは形式的な量からぱっと見ですごいということであって、内容的なすごさに直結させていなかった。

分量が多いとかえって伝えたいことがわかりづらくなってしまったり、またプレゼンのボリュームが多くても、きちんと整理されていないために相手にほとんど伝わらないという事態に陥る可能性がある。ボールを遠くに飛ばせても、球の回転が悪かったりコントロールが悪ければ受け手が受け取りづらくあまり意味がない。

じゃあ分量は少なくていいとかボールは遠くに飛ばせなくてもいいとかいうことではない。これらはあくまでも必要条件であって手段である。だから分量や飛距離の多寡で評価すること自体がナンセンスである。それらは最終的な目的ではない。文章やプレゼンであれば自分の言いたいことや発見したことを相手に伝えることが目的である。ボールを投げることや蹴ることに関してはパスしたいところにパスできることが目的である。

今までの私を振り返ると、ボールの飛距離ばかり、つまり表面的な見栄えばかりを気にしていた。なんとなくボリュームのあることでも見る人には中身のなさがばれてしまうから無駄だと最近わかるようになった。そもそも内容を十分に積んでいけば発表量が少ないなんて悩みは抱かない。つまり、分量や発表量の少なさで悩むということは内容自体が自分自身の貧弱さを露呈していることになる。

それをごまかすためにひたすら表面的な背伸びをしてきた。パッと見で劣らないようにひたすら繕ってきた。しかし、後から振り返るとそれらは何ももたらさない。

見栄えや量で自分を誤魔化すのは意味がないので辞めたい。noteで取りあえず分量を書いてちゃんと書いている気になるのは辞めたい。


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