ファンのダークサイド

ピッツァマンの動画ばかり観ている。

私は、真空ジェシカやオズワルドのような東京のインテリな漫才が好きな一方でリズムネタや裸ネタに滅法弱く、一時期は無人島に一つ持って行くならハリウッドザコシシショウかしらというほどだった。鬱がひどい時はザコシシショウ、ムラムラタムラ、ランジャタイを観ることをお勧めする。私はかなり助けられた。

最近惚れた漫才師がいる。長くなるのでまた別で書こうと思うが、M-1出場権がまだまだあるような若手の漫才師だ。ウェブラジオを追いかけているがネタがとにかく面白く、先日ライブの配信チケットを初めて買った。やはり生で観たいという気持ちがはやり、劇場に足を運びたいと思っているが、お笑いファンのマナーが分からないことに頭を悩ませている。少しずつSNSで探っているが、マシンガンズのファンがお洒落して現場に行くことを"繋がり目的"と咎められているツイートを見てゾッとした。あまりにもそれは厳しすぎるというか、勘違い気味のキツすぎる意見だと思うが、お笑い界隈はワーキャーと呼ばれるアイドル視にかくもきびしい人種がいるのか。バンドや女性アイドル界隈という、トチ狂った人間が多いほど儲かる現場しか知らないので、この"リアコ"忌避には驚かされた。

2022年のM-1グランプリ王者、ウエストランド。彼らのネタは私の苦手な悪口的な笑いだったので熱心に観戦してはいないのだが、その中でも「評論家ぶるお笑いファン」が痛烈に批判されて笑いをとっていた記憶がある。

全く、耳の痛い話である。

私は既に芸人のプロフィールで悶々とし、ネタからは他の芸人の匂いを嗅いでいる。考察とか、正直大好きな性質だ。過去にハロープロジェクトのアイドルを追いかけて、ライブ現場に赴いていた時もそうだった。よく悪きものとされる「アイドルに説教するおじさん」や「杞憂民」にはギリギリ転じなかったが、曲やパフォーマンスについて長文ツイートをするタイプのうるせえファンではあった。評論家ぶってしまう心理は分かるし、私は常にそれに肉薄している。

現場に通うということは、微妙に異なる非常に似たパフォーマンスを何度も観るということだ。ライブでいえばツアー中にライブごとに演出や曲や衣装を変えることはほぼ不可能だ。最初は魔法をかけられたようだと息を呑んでいたパフォーマンスはすこしずつ効力を失い、「ヨッ、待ってました」的なお決まりになってしまう。全通やそれに近い頻度で見れば、過去の演目と比較してしまい、その時のパフォーマー由来の"ブレ"に注目してしまう。そして、ただライブが楽しいではなく応援したいとなれば、「パフォーマンス悪かったけど何かあったのかな」「何かいいきっかけがあったのかな」などと深掘りしてしまいがちだ。これはある種、金を払えば払うほど、熱中すればするほど仕方のないことなのではないか。

現場に通って演者に嫌われるファンになるか、にわかのままいい関係で居るか。なかなか難しい問題だと頭を悩ませていたところ、YouTubeのチャンネル通知が届いた。

大鶴肥満さんがカメラを見据えて怒りを表現している一方でスタッフの笑いもあり、相方の檜原さんの大鶴肥満さんへの解像度の高いコメントが光っている。観やすいがかなり真理を突いた動画だった。以下、動画から引用する。

檜「作品に対する考察っていうのは作った側が色々自由に受け取ってくれていいよって余地を残してる」
檜「(大鶴肥満)本人への考察っていうのは(大鶴肥満)本人は実際におるから違うって思いやすいわけよ」
大「個人の内に秘めている分 思っている分は俺は何とも思わない」
大「これを発信する発信の仕方にこいつは‥って思うことがある

本当に、オタクたちは肝に銘じたほうがいいな。考察を垂れ流したり大喜利にするのはファンがファン界隈から尊敬されたいだけの自己満足であり、本人が嫌がるのをおしてやるほどのことじゃない。そのことを忘れてはいけない。自己顕示欲で個人を利用すると、ファンの道から離れ、ただの搾取になってしまう。

お笑いファンの流儀は徐々に学ぶとしても、金払いのいいファンでいることと、慎ましやかな発信者であることを両立していきたい。教えてくれたママタルトに感謝を。まーごめである。

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