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小6の7月でサピックスをやめました

ひぐらし坂の母でございます。

数年前に中学受験を終え、無事に開成中学に合格しました。
このnoteでは息子の中学受験を振り返り、親子のメンタルを最強にするための考え方をお伝えしています。

中学受験は究極的には【親子のメンタル】が重要だと思っています。
特に【母親のメンタルが9割】というのが私の持論です。
このnoteの基本姿勢はプロフィールをご覧ください。

さて。
我が家の中学受験経験談として、一番しんどかった時期のことを書かなければなりません。
小3の4月に入室したサピックス。
中学受験終了まで、当然のようにお世話になると思っていました。
それが、まさか小6の7月にやめることになるとは・・・
「こうあるべき」「こうするべき」から自由になって、息子に本当に必要なことを無駄なくできるように決断しました。

息子のクラス推移

息子の成績の大きな流れを見ていくと、小4の夏から小5の前半はα1からα2でぼちぼち。
ところが小5のゴールデンウイークから小5の秋までは一気にα5まで落ちてしまい、時にはベット落ちまで経験します。(大規模校なのでα6までありました)
小5の冬にやっとα3にまで戻り、そのまま小6に突入します。
小6になっても最初はα3に固定状態で、サピックスの先生にも「できたらα2まで上がって欲しい。なんとかなるはず。」と言われ続けます。
しかしながら5月にはなんとベット落ち、6月にはα4に戻るものの、ブロック落ち状態は変わらずでした。

息子をよく見てくれている算数の先生とお話ししたときには「せめてα3で止まっていて欲しい。ブロック落ちはなんとか食い止めたい」と再三アドバイスをされていたものの、組み分けやマンスリーでは思うような結果が出せないままになっていました。
そのまま、どうしてもα1~α3のブロックまで戻ることができずに7月の組分けでもα4となりました。
ざっと流れをみるとこんな感じです。

小6の5月からずっとトップブロックにあがれなかったということが息子の大きなストレスになっていました。
毎月のクラス替えのかかったテストのたびに意気消沈しますし、時には泣いて帰ってきたこともありました。

酷い時にはテストの答案を自宅の向かいの豪邸の生垣のなかに捨てる(笑)というアホなことまでしでかしました。
翌日私がその前を通ったとき、生垣の中の丸まった紙が気になって広げてみたところ息子のサピックスのテストの答案だったというオチまでつきます。
拾ったのが第三者でなく私で良かったと胸をなでおろしました。
母親の第六感ってすごいものだと我ながら恐ろしく感じました。
この時はあまり自覚していませんでしたが、息子の極限状態を母親の私のセンサーが鋭く感じ取っていたのだと思います。

息子のサピックスのクラス推移はこんな感じでした。
肝心なのは第一志望の開成中学に受かることなのに、サピックスのクラスに振り回されすぎて気持ちが乱れることに私は疑問を感じていました。

算数少年のよりどころ

実は、息子が小5の時からサピックスとは別に算数の思考力をきたえる塾に通っていました。
この塾は算数少年の集まりのようなところで、中学受験ありきというよりは算数の思考力を高めることに重点を置いていて、とにかくエキサイティングな塾でした。
小5の最初に入室試験を受けに行き、合格したので通うことにしました。
息子はこの塾が本当に大好きで、小5のときからは算数の思考力に重点をおいて学習していました。
なので、小5からサピックスのクラスが落ちて低迷しているように見えるのですが、本人的には算数の自信をゆるぎないものにしていたのです。
この頃にはいわゆる「基礎トレ」のような基本的な問題は間違うことはなかったし、本人的には計算のような作業系の勉強よりも頭を使って考え抜く思考系の勉強が楽しくなっていました。

この塾の算数の先生が息子の性格や才能をしっかり理解してくれて、毎週脳みそがフル回転して沸騰するような、算数少年にはおもしろくてたまらない問題を作ってくれたので、息子の自信やプライドはどんどん高まっていました。

そうなると、サピックスのクラス分けにいちいち振り回されていることに息子自身も疑問を感じはじめました。
基準はそれだけじゃないと息子に自覚が芽生えたのです。

体調に異変

5年生のときからサピックスと算数塾をかけもちで通っていたのですが、どうしても4教科やらなくてはならないサピックスがメインになってしまいました。
前述のとおり5年の後半からサピックスの成績は思うようにいかなくなりましたし、それが息子の唯一のストレスになっていました。

6年になってすぐの土特の日、授業中に突然片耳が聞こえなくなったと息子が言いました。
スピーカーを切るように、ブチっと聞こえなくなったと。
花粉症もあったのでその症状のひとつかと思っていたのですが、念のため耳鼻科に行くと、突発性難聴とのこと。
少し時間がたってしまっていたので不安が残りましたが、医師の指示通り薬をしっかり飲んで安静にするよりほかありませんでした。

同じころ、息子の髪の毛が薄くなっていることに気がつきました。
よーく頭皮を調べてみると、くっきりと髪の毛が抜けてしまっている部分がありました。
皮膚科で診察してもらうと円形脱毛症とのこと。
髪の毛がなくなってしまった部分に塗る薬と飲み薬をいただいて、これもまた安静にして経緯を見守るほかありませんでした。

立て続けに起きた息子の体調の異変。
耳鼻科の先生と皮膚科の先生に、この症状はストレスが原因なのでは?と聞いてみても、どちらの先生も「原因はわからない。ストレスが原因とよく言われているが、そうとも限らない」とのお答え。
それでも母親として私は、これは受験勉強のストレスのせいに違いないと分かっていました。

正直いって、受験勉強なんかよりも息子の体調のほうが大切です。
中学受験なんかやめたって、息子が健康で元気に過ごしてくれたら良いと思いました。
この時はもう受験をやめても構わないと思っていたので、思い切って息子に言いました。
「もうサピックスも中学受験もやめよう。健康でいてくれることがなにによりも大事だから」と。

すると息子ははっきり言いました。
「受験はやめない。開成に絶対に行きたい!」

この時の息子の様子をみて、一瞬でも弱気になった自分を恥じました。
息子は絶対に受かる。そのためにできることをしよう!と考えを改めました。

落ち着かない一か月

息子のメンタルが揺らいでストレスになっているのは、サピックスのクラスが思うようにいかないということが原因であると分かっていたので、家族でじっくり話し合いました。
息子は受験をやめる気がないどころか、開成に受かる自信満々
ということは、もうサピックスをやめて息子に合った勉強に集中するべきなのでは、ということに夫と私と息子の意見は一致しました。

心が決まってからは行動は早かったです。
翌日すぐにサピックスに電話をして7月でやめさせていただきたいと伝えました。
電話を受けるのは事務の人なので、そのときは退室届を教室に提出するようにと事務的な話で終わりました。

その後すぐに、小4のときからずっとお世話になっていた算数の先生から電話がかかってきました。

「小4のときからずっと見ているから、開成合格まで見届けたい。
いま辛い状況なのは分かるけれど、しっかりバックアップするつもりだから、やめずに頑張って欲しい。
本人とも面談をするから、とにかく考え直してほしい。」

先生の熱い言葉に涙が出ました
私だって最後までサピックスで頑張るつもりでした。
息子だってこの算数の先生が大好きで、褒められるといつも家で嬉しそうに話してくれていました。
保護者会のたびに先生には直接ご挨拶に伺い、私も本当に信頼していました。
だからこそ、この算数の先生からのお電話が辛かったのです。

でも、当時の息子のメンタルではサピックスで頑張り続けるのは無理だったし、体調の異変も無視できませんでしたから、私からはしっかりと理由を説明し、苦渋の決断であることをお伝えしました。
すでに待ったなしの状態であると。

その後、息子は授業のあるたびに先生と面談をしていろいろと話をしたそうです。
そのたびに息子の心は揺らいでいました。
サピックスから帰ってくると「やっぱりサピはやめない」と言ったり、算数塾に行くと「もうサピに振り回されるのは嫌だ」と言ったり。
6月いっぱいはそんなこんなで、親子で毎日揺らいで泣きながら悩み続けていました。

夏休み前のサピックスの保護者会で、算数の先生に今までのお礼を申し上げるためにお声をかけたのですが、その時も「僕はまだあきらめてないですから。いつでも戻ってきてください。でも、個人的にはどこの塾にいようとも合格を祈っています。」と言われ、泣きながら帰宅した覚えがあります。

覚悟を決める

そしてとうとう、息子が「サピックスをやめて、算数の塾のほうに集中する」と決心しました。
さんざん悩んで、親子で決めた結論です。
サピックスへの退室届も提出しました。

直後に7月の組分けテストがあり、サピックスの最後のテストとなりました。
結果はα4でした。
もう通わないから関係ないといえばないのですが。

サピックスを6年の7月でやめるというのは、息子のサピ友達にも衝撃を与えたようです。
夏期講習から突然来なくなった息子の消息をみんな心配していると、同じ算数塾に通うサピックスの友達から伝え聞いていました。
算数塾にはサピックスとの兼塾生がいたので、いろいろとお互いの話は筒抜けになっていたようです。

開成に合格したとき、息子のサピ友達が合格報告のとき算数の先生に「あいつも開成合格したよ!」と伝えてくれたそうです。
先生は「だろうね。」と言っていたと。
直接お礼を伝えられなかったけれど、ちゃんと合格したことを間接的にでも先生にご報告できてよかったと思っています。
間違いなく、先生のおかげでもあるからです。

6年の7月でサピックスをやめるというのは、常識はずれでありえないことだと思います。
1000人に相談したら1000人が考えなおせと言うだろうと思います。

でも、息子には息子の事情がありました。
誰の判断よりも、息子と夫と私の判断を信じて覚悟をきめました。
結果的に合格したから良かったということではなく、どんな結果になっていたとしてもこの決断を後悔しない自信がありました。

いきいきと勉強する息子

7月からは算数塾だけに集中することになりました。
サピックスと同時に算数塾の先生ともよくお話をさせていただいており、夏休みから4教科の指導を始めてもらうことになりました。

サピックスで小6の夏まで勉強していた恩恵は大きかったと思います。
4教科すべての単元がすでに終わっていたので、基礎的な知識には穴はありません。
膨大なサピックスのテキストも手元にあります。
特に理科と社会のサピックスのテキストは日本一だと思います。
これほどよくまとまっていて、スパイラル式に学習できるシステムはほかにありません。

サピックスをやめてからは組分けに揺さぶられることがなくなり、本当に自分に必要な勉強をできる環境になりました。
先生がウチの息子用に問題を編集してくれ、それをしっかりこなすスタイルになりました。

それとともに、ひたすら思考力系の学習に集中することになり、息子の目が輝き始めたのを実感しました。

「開成や筑駒に受かるには才能が必要。おまえにはその才能がある」
「開成だけじゃなく、灘と筑駒、3つに合格させる」

マンガみたいなセリフですが、この言葉に息子が息を吹き返したのは事実です。
しかもここには自習室があり、授業の無い日や土日も朝から晩までカンヅメで集中できる環境が整っていました。

息子は受験前日の1月31日まで、ここで先生と仲間と切磋琢磨しながら、ものすごい集中力と闘争心で勉強に明け暮れました。

環境を変える、とはよく言われることですが本当にやるとなるととても勇気がいることでした。
覚悟もしなければならないし、価値観も変わらざるを得なくなります。
でも、やっぱり決断して良かったと思います。
息子の苦悩をみていたからこそ、なにが一番大切かを私自身自問自答できましたし、息子が大きく成長したと感じました。

小6の夏以降の息子の勉強や成績については、のちのちこのnoteに書いていこうと思います。
この塾の国語の先生に出会ったことで、息子の国語が最強になったのは間違いがないので。
ウチの受験はずっと山あり谷あり、最後までまるでジェットコースターでした。
ずっと優秀で、余裕で合格したわけではありません。

サピックスにいると組分けだけが世界のすべてになってしまいます。
もちろんそれは大事なことだし、そのシステムがあるからこそサピックスは常にあれだけの合格者数をたたき出しているのです。
だけど、本当に肝心なのは我が子が志望校に合格することです。
そのためになにができるか、どんな風に考えるべきか、「こうするべき」といった世間一般の常識に流されずに一度引いて考えてみることも大切です。

母親のマインドチェック

・中学受験で一番大切なのは『我が子が志望校に合格』すること
・今いる環境にしばられずになにが最適かを判断する
・人の価値観ではなく自分の価値観で決断する


開成に進学後、次の目標に向かってがんばっている息子にサポートをお願いいたします♪