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私が「父親になった」と気がついたとき

2022年6月。職場から自宅に戻る電車の車内でのこと。

「パパ!」

車内の奥の方で響く声。席に座っていた私は、息子(4歳)と娘(1歳11ヶ月)くらいの年の子の声だな、と直感で感じる。電車の背もたれから体を起こしてどんな子なのか見てようとしてみたけれど、人が多くて確認できない。

『さっきの子の声、嬉しそうだったな。』 私の心の中で、ほのかな喜びが込み上げ、胸のなかで何かが動いた。

胸がきゅうっとした。

起こした体をまた背もたれに戻してふと思う。「『パパ』という言葉にこのように反応するようになったのだな。」 父になって4年が過ぎ、自分の感性の変化に改めて驚く。

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息子が生まれる前、様々な方が私に子どもを持つ事について教えてくれた。

「子どもはあなたの人生に大きな喜びを与えてくれますよ。」 

と、2児の男の子の父である同僚の一人は言った。息子が産まれることへの期待と不安が混ざっていた時期の私に、その言葉は大きく残った。 

「私は、息子が産まれる時に立ち会ったんですけど、生まれる瞬間に、恥ずかしながら感動して泣いてしまったんですよ。」

と、別の知人は言った。「恥ずかしながら」と言いながらも事ある毎に感慨深く喋っていた。彼にとって人生において特別な瞬間だったのだろうなと肌で感じていた。

私はこの子が産まれたらどのように思うのだろう。二人の言葉からそんなことを考えていた。

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2018年2月。雪。私は妻の出産に立ち会った。陣痛と闘う妻の側で何もできない自分への無力感に憤りが募る。長時間の陣痛の後に帝王切開となり妻は手術室へ運ばれる。私は、手術中の患者の親族用の待機室で待つように指示される。

当たり前であるが、テレビドラマにあるような、病室の外の廊下を落ち着かなくうろうろする夫、のようなものではない。ましてや、そんな廊下から「オギャーオギャー!」と聞こえた瞬間にハッ目を見開いて席を突然立つ、とかそんなものでもない。

手術中の患者の親族用の待機室ということで、深刻な病気・怪我で手術をしているであろう患者の家族が静かにしんみりとテーブルを囲んで話をしている。私の存在を極めて場違いと思いつつ、部屋の隅で静かに待つ。

どのくらい時間が経ったであろうか。妻の名前が呼ばれたので待機室の外に出る。そこで、主治医の先生は無事手術が終了し、妻が無事であること、そして赤ちゃんが無事に産まれたことを説明してくれた。そして私は、その隣の保育器に入ってちょこちょこ動いている赤ちゃんと初対面した。

これが、私の子ども…恥ずかしくて言葉を出せなかったが、心の中で『これからよろしくね』と伝える。そして、携帯電話を取り出し写真をパシャリ。

知人らが言っていた、「感動して泣いた」とか、「人生の喜び」とか、その瞬間は正直分からなかった。

ただただ、安心した。

待機室に荷物を取りに戻ると、一連の会話を聞いていた待機室の方々が「おめでとう」と言ってくれた。手術中の家族のことが心配であるにもかかわらず。そこに、人間の根底にある深い優しさに触れた。この家族は大切な人を失う可能性すらあったのかもしれない。そんな中で、私は今家族が一人増えたのだ。そんな事を考えながら、私と妻の子どもが産まれたのだということをより実感した。

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妻と息子が退院後、私は他の父親と同じように、できる範囲で育児にたずさわってきた。「パパになった感じはどう?」とか聞かれてもよく分からなかった。「そうするものだから」取り組んでいて、親(父)の役割が先行し、気持ちは追いついてこなかった。

嬉しいこともたくさんあった一方で、息子をベビーカーに乗せて電車で出かけたときは毎回エレベータを探さなければいけないことに気が付き、私の日常のスピードが格段に遅くなる事に衝撃を受けて愕然としたことも覚えている。

日常が忙し過ぎて、同僚が言っていた「子どもが人生に与える喜び」を実感するまで時間がかかった。息子が大きくなる過程で、これが同僚の言っていた喜びなのかな、と思うことはあった。でも、子どもの機嫌が一気にガラリとかわる「正常な日常」を通して、私の感性が少しづつ、変わってきたような気がする。

2022年6月。「パパ」という言葉を電車で聞いて、私の胸のなかで何かが動いた。「胸がきゅうっ」とした。自分の子どもに言われている訳でもないのに。でも、同僚が言っていた、「子どもが私の人生に大きな喜びを与える」ことの証の一つはこれなのかなと思った。自分の子どもに限らない、子どもへの愛おしさが芽生えてきたのかもしれない。

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電車を降り家路を急ぐ。家が近くなると、「パパ!」と誰かの声が聞こえる。息子と娘がベランダから私を呼んでいる。私の胸のなかで、また何かが動いた。

 

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