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沖縄旅行記② ひめゆりの塔

2024年4月23日(火)那覇空港に降り立った娘と私は、予約してあるレンタカー屋さんが迎えに来てくれるのを待っていました。天気はあいにくの雨☔

飛行機から降りた人たちは皆んな同じ場所で、各々のレンタカー屋さんが来るのを待っています。

しばらくして、明るいお兄さんがワンボックスカーで登場。「よかったー!」と娘と二人で胸を撫で下ろしました。

お兄さんは私たちを車に乗せると、自分の話をしてくれました。
彼は(たぶん)20〜30代。
沖縄生まれの沖縄育ちで、15歳の時、神奈川県の新横浜の隣の新羽町(にっぱちょう)という所に就職して住んでいたけれど、冬があまりに寒くて辛すぎて 2年で沖縄に帰って来てしまった、とのこと。

車窓から見なれない植物が見えると「あれはタコの木と言います」などと教えてくれました。

お兄さん「沖縄では何が食べたいですか?」
娘と私「朝ドラでやってた人参シリシリとか」
お兄さん「人参シリシリは家庭料理なので、かえってスーパーに売っているかも。ほら、そこに “サンエー” というスーパーが見えるでしょ?」
見ると、Aが3つ並んだ看板が… だから “サンエー” なのね。

娘と私「あと、ソーキそばとか。」
お兄さん「いろんな物 食べたけど、ソーメン・チャンプルが一番おいしかった、と言う人もいるよ!帰る時、聞くから覚えてきて下さいね。」

いろんな話をしている内に、豊見城市にある『ヒラヒラレンタカー』に到着。




3日間 ホンダの小さい車を借りて、任意保険の1,800円も含んで 税込み 1万円。安くないですか?!

お兄さんが「今は雨だけど、沖縄では丸 1日ずっと降っているということはありません。サッと雨がやんで、キラーッと太陽が出てくるからね。」
と優しい言葉をくれました✨

お姉さんが
「でも今は降ってるからこれ使ってね」と傘を2本貸してくれました。

なんて優しいレンタカー屋さん。

運転は私がします。

沖縄に着いたらまず『ひめゆりの塔』に行って、手と合わせよう!と決めていました。

上にある地図を見て下さい。『ひめゆりの塔』は糸満市にあります。那覇からずっと南下してきたのです。

近くの広い駐車場(無料)に車を停め、歩いて向かいます。

途中にあったシーサーを売るお店


お店に「めんそーれ」と書いてあるのが見えますね。


『ひめゆりの塔』に到着。
敷地内に入った途端、私はなぜか涙が溢れてきてしまいました。
娘は鳥肌が立ちっぱなしだと言います。

ひめゆりの塔

私は塔っぽいものを想像していたのですが、亡くなられた方のお名前を彫られた大きなモニュメントをそう呼ぶのでした。

地元のおばさん達が
「亡くなった人たちに供えてあげて下さいねー」と言って、花束を売っています。
数本の菊の周りに、蔦でハイビスカスが結びつけてある花束です。
私もおばさんから買って献花台に供えました。


お供えする私


黒く ぽっかり あいているガマが見えます。
こんな暗い穴の中で肩を寄せ合っていたなんて…

沖縄には多くのガマがあります。ガマの中で亡くなってしまった人たちも多いと聞きました。

資料館 入り口の千羽鶴


資料館の中は撮影しませんでした。
実際の手記や手紙も展示されていて、涙なしでは読めません。

『ひめゆり学徒隊』とは、沖縄の2つの女学校の生徒たちで結成されています。2つの女学校を元々「ひめゆり」という愛称で呼んでいたので、戦後『ひめゆり学徒隊』と呼ばれるようになったそうです。

蒸し暑い壕の中、不衛生な状態で粗末な二段ベッドに ぎゅうぎゅう詰めに横たわる負傷した兵隊さん達。それを看病する女生徒たちを再現した人形もありました。

資料館には、240人の内、亡くなった先生と生徒 136名 全員の名前と顔写真が飾られていました。

建物内にとどまっていた時はそんなに亡くなる人もいなかったのに、戦局が悪化してくると突然「解散命令」が出され、ほっぽり出された子供たちはどこへどうやって逃げればいいのか分からなくなって、茂みや岩陰などを彷徨っている内に 136名もの人たちが犠牲になってしまったそうです。

生き残った女生徒たちが証言する動画もいくつも流れていました。この女性たちは みな「当時◯歳」と紹介されていましたが、今ではもう大多数の方がお亡くなりになってしまっていると思われます。
貴重なお話だなーと思い、傾聴しました。


ひめゆりの塔の門のそばに咲いていたハイビスカス


以前、沖縄戦の様子を撮影した映像をテレビで見たことがあります。その時、美しく咲き誇るたくさんのハイビスカスの花がメラメラと戦火に燃えていきました。
「こんな悲しいことはない」と思い、今でもその白黒の映像が目に焼きついています。


こちらも敷地内に咲いていた花


修学旅行生も 大勢 来ていました。子供たちの目にはどんなふうに映ったのでしょうか。

戦争は二度と繰り返してはいけません。

敷地内にあった大きなガジュマルの木

外にあったガジュマルの木をしばらく眺めていました。


以上が『ひめゆりの塔』を訪れての記録です。

娘も私も胸が重くなりましたが、沖縄に行ったらまずここで手を合わせなければ!という想いは果たせました。

私と息子と娘は毎年、8月6日は広島の方角に向かって、8月9日は長崎の方角に向かって黙祷しています。

今年も間もなく終戦記念日がやってきます。
戦争で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。


次回の沖縄旅行記は『琉球ガラス村』をお送りします。楽しみにしていて下さいね🏝️🌺


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「せっかく この世に生まれてきたのだから、1冊でもいいから自分の本を残したい」子供の頃から本好きだった自分の夢をかなえるべく、エッセイ漫画を描いています。よろしくお願い致します。