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夏の終わりの転塾

今日も私はUNIQLO UのクルーネックTシャツに身を包んで出陣する。これは国民服だ。
ネイビーではなく、ブルーしかないところが悔しいが、小受はまだまだマイナーだから仕方がない。数年後小受もメジャーになり、この国民服にもネイビーが当然のように加わるのだろう。そんな未来を予想しながら、滴り落ちる汗を国民服に吸収させて夏期講習へと向かう。こんなに国民服を着ているお母さまは私だけだったという事実だけ、ここに遺しておきたい。

夏期講習は厳選して強化したい分野に絞って申し込みをした。
私立学校別対策3校、国立小学校対策2校、ペーパー強化、体操強化、絵画強化、行動観察強化講座だ。厳選してみたら全てにおいて強化しているラインナップとなってしまっていた。

夏から不安が増大し、秋から転塾か受講日を変えようと考えていたため、あえていろいろな先生の講座をとった。
今日は考査が厳しいといわれる学校の講座を受け持つ先生のペーパー対策講座へ。

「太郎さんは飴を10個持っていました。太郎さんは女性にとても優しい男の子なので、花子さんに6個飴をあげました。花子さんはもらった飴を全て食べてしまい、さらにほしいといったので、太郎さんは残った飴の半分の数を花子さんにあげました。さていま太郎さんの手元には何個の飴が残っていますか?」

太郎、優しいにもほどがあるだろ。太郎が将来詐欺にあわないだろうか、壺を買うならせめて1個までにしておけ、おかわりなんて応じなくていい。太郎の未来を案じているうちに私は答えを見失った。


この時期のペーパーは大人でも集中して聞いていないと答えが分からないことが多い。あえて難問を出すことで、当日の考査で出題される問題を「簡単だ」と子どもに思わせ、自信を持たせる意図があると先生は言っていた。
大人も納得してしまう解説と、トミカ、お人形など子どもに身近な例を使って説明してくれる読解方法を聞いていて、もしかしたらこの人なら合格に導いてくれるかもしれないと一方的な信仰を抱き始めた。今の私だったら、彼が勧める合格の壺ならいくつでも買う。おかわりにだって応じるだろう。

先生が解説する度にどっと笑いが起き、次の問題へと意欲的に取り組める子供たち。正解したときは消しゴムをくれるときもある。もっと笑わせてほしい、もっともっと消しゴムのおかわりを、いや合格を。いつの間にか私が何でも欲しがる花子さんになっていた。


次は子どもが苦手な歯車の問題。車輪と車輪がどこでかみ合うか、それらが連なった車輪はそれぞれどの方向を向いて回っているのかを問う問題だ。「歯車は内側に行ったら内側に行く。外側に行ったら外側にいく」左の頬をぶたれたら右の頬を差し出すものなんだといわれるくらい根拠がわからない説明しか私にはできなかった。果たして先生はこの難問をどう解説してくれるのだろう。

おもむろに先生はカマキリのようなポーズを取り始めた。まさか己が滑車になるのだろうか。一人で2つの滑車をどうやって。そんなサーカスの大車輪みたいなことできるのだろうか。いや、きっと彼ならできる。一方通行の信仰が増大した私の期待はピークに達する。

「ハイー!」

タラちゃんのごときかけ声が教室に響きわたった。

目の前にはシャネルのマークを全身で表現する先生。どうやらこれは滑車らしい。歯車が外側に回るときは、外側に車輪は動く。それがシャネルのマークに見えるのだ。

「滑車の問題は、こうだよね、ハイー!」

まさかの解説をシャネルでこなすその姿は、さながらボディービルダーのポーズを決める筋肉質なタラちゃんだ。

回転問題に至っては「どっこいしょー!」で終わらせる。

どっこいしょといえば回転する仕組みらしい。どっこいしょー!どっこいしょ、どっこいしょ、どっこいしょ!私は筋肉質なタラちゃんのソーラン節を観にきたのだろうか。この夏の思い出ソングはソーラン節に決まった。


駅から自宅までの道に緑道がある。長く続く緑道には桜の木が連なっていて、春には薄いピンクの桜の花が、夏はその木に力強く鳴くたくさんのセミがいた。

まだソーラン節が鳴りやまない頭の中では、いろいろな思いが交錯する。

もう夏の終わり。直前期と言われる時期に入っているのに、家に帰ればプリントの山。夏休みの宿題プリントも、過去問だってまだ手をつけていない。願書の配布も9月から始まる。清書に出願、全てノーミスでこなせるのだろうか。いつもそんな重い気持ちに押しつぶされていた。

ふと、自転車の後ろに乗った子どもが私の背中を後ろからぎゅっと抱きしめてきて「ミーンミーン」とセミの鳴きマネをする。

「大木につかまって鳴く気分はどう?」桜の大木になった気分で私は尋ねる。「なんか落ち着いて、けっこんしようってメスにいえる気分」背中のミンミンゼミはそう答える。
「そうか、じゃ落ち着いたら明日もお教室がんばれそう?もう9月になるよ」こじつけにもほどがある会話を大木は続ける。こんなに圧の強い大木があるだろうか。私がセミなら瞬時に飛び立つことを決意する。
「ミーンミンミン…ミー…」背中のセミの鳴き声が消え入りそうになる。
「ミーン…!」大木がセミに代わって強くアンサー鳴きを始める。「ここにいるよ」のアンサーソングでいうなら青山テルマの「言いたいことわかるでしょ?」の部分だ。「ミーンミミミー…」背中のセミはSoulja。「ちくしょうやっぱ言えねぇや」という部分だろう、と大木はそのアンサーを受け取る。

「ミーン…帰りにキャラパキ買ってくれるならね」突然流暢な人間の言葉を話しだすセミ。
「1個だけだよ」
「はぁい」
「緑が綺麗だね」大木は緑道の木を見上げて言った。

来年この緑をまたふたりで見あげるときには、「クレヨン3色以上を使ってこの色を表現させる練習しなくちゃ」なんて思わないで、純粋のその色を楽しめるようになりたい。そんなことを思いながら、どっこいしょと大げさに言って自転車をこぐ。
この道は、私たちが苦しみながら笑いながら前に進んだ思い出が詰まっているから、「みらいへの道」と名付けた。
まだ誰にも話していない。

どっこいしょー!どっこいしょ!どっこいしょー!どっこいしょ!

帰宅してから回転問題の復習をした。どっこいしょと大声で言って楽しそうに回転しているのは子どもではなく私だ。どっこいしょで自ら回転してみるというセルフ応用自在を編み出し、ドスンドスンと回転する。子どもは大笑いして、「ショーラン!ショーラン!」(ソーラン)とアンサーソングをくれる。

今思えば、ぬいぐるみを回転すればよかった。でもあの時は自分自身も一緒に動いていることで「前に向かっている」と自分に言い聞かせていたのだと思う。そのくらい秋は追い詰められていた。


結局夏の講習で全国順位はあがったのか、正直わからない。

けれど、秋から塾を追加して新しい先生のところで学ぼうと決意ができた。今さら転塾、親がぶれていてはいけない、これを入れたら週5回も通塾になる、秋からは逆に塾を減らして自宅学習を丁寧にしたほうが良い、風邪をもらいにいくようなものだ、などいろいろな意見をいただいた。でも私も一緒に授業を受けて、前に進んでいきたいのだ。きっとこれが私の「厳選」だ。そう信じると決めた。

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