龍馬と、おりょう
龍馬は、浪人で妻帯していた。
妻は有名な、おりょう である。
父、楢崎将作は、町医者で裕福だったが、勤王活動を支援しているうちに、
家運は悪くなり、将作は安政の大獄で
獄死する。あとには、妻とおりょうをはじめ5人の子供が残された。
妹が女郎屋に売られたのを受け、大坂の女郎屋に乗り込み、「殺すぞ」と脅す
やくざ者をあいてに、「殺すなら殺せ、殺されに大坂にきた」といい、ついに、
妹を京都へ連れ帰った。
その頃、龍馬と知り合う。
薩長盟約が事実上成立した日の夜、
伏見の旅籠屋寺田屋で、龍馬は幕吏に
急襲される。入浴中だったおりょうが、そのことにいち早く気付いて、裸同然の姿で龍馬に注進し、龍馬の危機を救った。
寺田屋遭難以降、龍馬が死ぬまで
同じ所帯で暮らすことになった。
遭難後、龍馬は薩摩藩邸に匿われた。
今、京都にいては、危ないということで、一時的に薩摩にいくことになった。
それにおりょうも同行した。
おりょうの願いで霧島に上った。
霧島の頂上付近には、逆鉾がたててあった。おりょうが、逆鉾に触ってみたところ、軽い感触があった。
同行していた薩摩の田中吉兵衛が、
「それを抜けば火が降る(桜島が噴火する)という言い伝えがある」といったが、おりょうは、いっきに引っこ抜いてしまった。噴火は起きなかったが、周囲の人間は、冷や冷やし通しだっただろう。
おりょうは、相当、肝の座っていた
女性だったらしいが、家事は、出来なかったらしい。
容姿は、大変な美人だったみたいだ。
おりょうは、龍馬から見たら、面白い女と映ったのかも知れない。
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