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 戦国武将の城作り

 城🏯作り。

 豊臣秀吉による大坂城築城まで、
築城術は、機密事項だった。
 簡単に、落とされないために、
築城者は知恵をしぼり、そのため、戦国大名ごとに、独自の築城法が工夫された。
 しかし、秀吉による大坂城築城は、
大きな転換点になった。大坂城築城からは、信長時代の同僚だった大名たちに、
手伝い普請を命じているのである。
 それは、彼らを臣従させるために
やったことだった。同僚だった大名にしてみれば、迷惑な話であるが、秀吉との
力の差を認めざるをえず、渋々ながら
手伝った。
 大坂城築城と同時進行で京都の
聚楽第築城も、手伝い普請、すなわち
天下普請があった。
 ところが、諸大名にとって、この手伝い普請は、プラスにもなっていた。
 秀吉の先進的な築城のノウハウを
諸大名が習得できる場ともなっていたからである。最先端の築城術を実際にみているわけで、技術の平準化という側面もあった。
 それは、徳川家康にも、ひきつがれており、駿府城、江戸城、名古屋城も
天下普請として、取りくまれている。

 それによって、進んだ築城術をまなびとった大名たちが、自分の城作りに
活かしていった。

 戦国時代の城という観点からみても、
色々な風景が見えてくる。

今回の文章は、小和田哲男先生の著作を
参考にしました。


 

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