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日本史上最強のパワースポット

 浜松に史上最強のパワースポットがある。
  
 浜松城の前身・引馬城の城主飯尾豊前守のキサという娘がいた。
 キサの孫の書いた『太閤素生記』には、この城の配下の松下が、異形の面相の少年を連れてきた。猿かと思えば人。
人かと思えば猿といった感じであった。
 この猿は愛された。仕事も物凄くできた。このことが、同僚に嫉妬を買い、納戸の出納管理に抜擢されたとき、たびたび物がなくなり、「猿が盗んだ」といって、イジメた。
 松下は、慈悲のある人で、「おまえはよそ者だから無罪の罪をかけられるのだ。不憫だが本国に帰れ」と路銀に
永楽銭300枚を与えて、暇を出した。
 この猿がすなわち秀吉で、16歳から
18歳まで3年間、浜松にいた。
 秀吉にとって最初の就職の地は、キサがいた、引間城本丸の場所だ。

 しばらくして、引間城は落城する。
キサは、かろうじて逃げた。
 かわってこの50メートル四方の引間城
本丸に入ってきたのは、徳川家康であった。家康は、この城を拡張して、浜松城とした。家康は、この城を根城にして、
と遠江一帯を侵略した。
 武田氏が滅亡し、信長が京都本能寺で殺されると、ここから出陣して、一挙に
 甲斐・信濃と領土を拡大。天下を狙えるポジションに躍り出て、秀吉の天下を
奪った。
 秀吉と家康。二人の天下人の人生の転機となった地点は、引間城、のちの浜松城。今の浜松東照宮。

 旧浜松城内は、ホンダの本田宗一郎
も住んでいた。

 浜松城は、出世城🏯であった。

この記事は、磯田道史先生を参考にしました。ありがとうございます。


 


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