アメリカdeバスケ9~高校バスケ⑤授業の様子その2~


高校には約1年半通った。
授業の半分はほとんど理解できなかったが努力だけは認めてもらい卒業することができた。

美術(※アメリカdeバスケ8参照)以外の授業も基本的には楽しかった。

最初に取ったタイピングの授業は、パソコンに向かってひたすらタイピングの練習をするものだった。

一度に数個のアルファベットの位置を覚えながら、少しずつ単語にして打っていく。毎日繰り返しやるので、このクラスのお陰でパソコンで文字を打てるようになった。これは大学でも役立ったし、仕事や今でも役立っているスキルだ。

数学は日本の方が進んでいるしどちらかと言うと得意な方だったから好きな教科だった。
それに加えてアメリカではスーパー電卓機がありそれを使うことが出来る。サイン、コサイン、タンジェントなどの計算もこれを使えば簡単だし、グラフまで書いてくれる。
よは、グラフの書き方よりも根本の理解力が重要視されている。宿題の他に先生からボーナス問題が出たりして頑張って解いて提出してた。

英語文学のクラスは9年生(日本でいう中3)クラスで勉強した。それでもまったくついけなかった。シェークスピアや昔の詩を読んだりすることが多かった。日本で言えば、竹取物語や古文を読んでるようなもの。英語もままならないのに、古い英語の言い回しや韻の踏みかたなど書いてあっても、、、なかなか厳しい授業だった。

高3になると政治・経済やライティングクラスもあった。将来アスレティックトレーナーをすでに目指していたので解剖学も取った。このクラスでは実際に猫を解剖した。私はかなり抵抗があったが、グループのクラスメイトが楽しそうに進めてくれたので助かった。

キリスト教の学校だったので宗教のクラスもあった。定期的にミサの集会もあったし、試合前は校内にある小さなお祈り部屋で牧師さんと祈ることもしていた。

なかなか自分からクラスメイトに話しかけるのが苦手だった。だけどバスケをやってるお陰で周りにも認めてもらえた。

それに、私よりも先に留学していたりえや、毎年鹿児島から来る留学生たちもいて日本人もいる環境だった。

最初は英語だけの生活を求めて出来るだけ日本人に近づかないようにとは思っていた。

実際は授業は一緒だしりえとは家も近くだし。リサも積極的に日本人と仲良くすることを進めてくれた。

最終的には変に肩肘張ることを辞め仲良く過ごした。特にりえには授業だけじゃなくいろいろな面で助けてもらった。

もう長く連絡が取れてないのだけど元気かな、、、


つづく

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