音楽制作業 OFFICE HIGUCHI 10周年までの道のり#44 〜番外篇 広告音楽制作の存在意義とは? 左脳への回答〜
お世話になっております。代表の樋口太陽です。
今回は、広告音楽制作の存在意義について書きます。
"GOOD MUSIC VS BAD MUSIC"というコンテンツ制作で、“音楽はとても大切である” ということを広く伝えようとしておりますが、これは直感に訴えかけるコンテンツ。今回は、直感を司る右脳ではなく、理論を司る左脳への回答ということで、文章を書きます。
詳しく迫ると、これだけで本が一冊書けてしまうほどのボリュームになりますが、今回は連載の中でのあくまで一記事なので、すごくざっくりと書いていきます。これは論文のようなものではなく、あくまでこの連載の中での、現時点の僕の意見を記したものです。
会社設立の10年前、僕はなぁーんにも考えていなくて、成り行きだけで広告音楽の世界に足を踏み入れただけなのですが、自分の様々な経験により、世間に向けてお伝えしたいことが増えてきました。あくまで音楽制作者である自分が2022年の現時点で考えている事になります。数年後にはまた考え方も変わるかもしれませんが、連載のストーリーの流れで訪れた機会として、チャレンジしてみようと思います。
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はじめに
広告の音楽制作の現場は、様々な要因が複合的に絡み合い、かつてよりも予算が低く考えられることが増えました。さらに、ライセンスフリー音源の台頭により、安価で広告使用ができる音源が手に入るようになりました。
じゃあ、お金も時間もけっこうかかる広告音楽制作会社のオーダーメイドのオリジナル楽曲は時代の流れに合わないから、淘汰されても仕方がないのでは?本当に広告音楽制作の仕事なんて必要か?という問いがうまれました。詳しくは、#38で書いております。
これに対しての、僕の現時点での答えはこちらです。
広告音楽制作は、衰退し淘汰されるべきものではなく、むしろ時代の後押しでこれからさらに必要性が増し、広告の表現がより世間に受け入れられるために不可欠なものとして、発展させていったほうがよい分野である。
なぜそう考えるのか、自分なりに迫っていきたいと思います。
1.音に接触する機会が、以前より増えてきている。
そもそも、広告に音が関わるようになったのは、いつからなのでしょうか。
かなり古くまで遡ります。
かつて広告は、視覚のみに訴えかけるものでした。ポスター。街頭の看板。新聞広告など。1940年代までは、広告において音を使う機会は、まったくありませんでした。
日本で初めて放送されたラジオCMは、1951年9月1日、新日本放送(現・毎日放送)で流れた「スモカ歯磨」のCMだと言われています。
こちらから引用させていただきました。
続いて、日本テレビが1953年8月28日、民放で初めて放送を始めたことから、日本で初めてのテレビCMも同日に放送されました。日本のテレビCM第1号は、精工舎(現セイコーホールディングス株式会社)のCMです。
第1号にして、アニメーションも、音楽も、ナレーションも、とても味わい深い素敵なCMです。
こちらから引用させていただきました。
映画館でも本編を見る前に流れる広告があります。シネアドというものです。シネアドは、1950年代からだそうです。
こちらから引用させていただきました。
そういった流れで、1950年代に、ラジオCM、TVCM、シネアドと、「音が関わる広告」がいっせいにスタートしました。
あとは、お店で流れる音楽ですね。今でも、ドンキホーテや、ヨドバシカメラなど、延々とコマーシャルソングが流れているお店があります。スーパーのお肉コーナーや鮮魚コーナーでも、販売促進のために音楽が流れていることがあります。これも広告音楽の一種です。ラジカセなどで、カセットテープやCDを流すことによって、可能になりました。
このようなテクノロジーの発達により、広告に音を使用することが可能になりました。しばらくは、TVCMが広告音楽のメインの舞台。コマーシャルソングやサウンドロゴがお茶の間に流れるようになり、人々に親しまれるようになりました。
1990年代の学生の時の自分を振り返ると、コマーシャルソングやサウンドロゴをたくさん聴いていて、もちろん自分で歌えるし、中には好きなものもあったにも関わらず「音楽をつくること」は、バンドやシンガーソングライターやアイドルなど、いわゆるアーティスト活動の方にしか結びつきませんでした。CMの音楽を、だれがどういう風につくっているかについて、まったく考えたこともなく、友達との話題にも、もちろん上がることはありませんでした。
そして、現在へ。
WebやPodcastなどのメディア、さらにスマートフォンなどのガジェットの普及によって、状況は大きく変わりました。CMの枠という概念を飛び越え、音を届けることのできる舞台が無限になりました。
また、かつてチラシやポスターだったものが、映像をうつすディスプレイに変わっていきました。たとえば、タクシー。かつてはチラシだったタクシー広告が、映像や音を届けれる場所になりました。単音の電子音しか鳴らせなかった携帯電話はスマートフォンに変わり、イヤフォンを通じて豊かなサウンドを届けれるようになりました。
これが具体的に、どう企業の広告活動と関係してくるか、ご説明します。今までにTVCMやラジオCMを制作したことがあった企業。それは、かなり規模が大きい、ひとにぎりの企業かと思います。CMの映像や音楽の制作費だけでなく、それを流すためのTVやラジオのメディアの枠を買うには、すごく大きな金額が必要なものです。それほどのことができない中小企業は、看板やポスターなど、視覚に訴えかけるしか手段がありませんでした。つまり・・・
ついこの前まで、日本のほとんどの企業にとって、広告に音など、まったく関係なかったのです。
しかし現在は、ブランドムービーや採用ムービーを制作して、自社サイトやYoutubeなどに載せるというような利用方法も発生しています。この場合、プロジェクト全体の規模がそこまで大きくないものでも、音が関係してくることになります。これは、過去にはなかったことです。
テクノロジーの変遷によって、訴えかける対象が目だけだった時代から、耳に対して訴えかける機会が多くなっている。たった数十年で、まったく状況が変わっているのです。
しかし、商慣習はそれには追いついておらず、旧体制からあまり変わっていないため、聴覚への訴求が大事だという話は広告業界ではいまだに「言われてみればそうかもね」程度の認識です。広告業界紙では、サウンドに関する特集はほとんど組まれず、サウンドに関する制作スタッフや制作過程のクローズアップはほとんどされず、数多くある広告賞には、音楽部門がほとんど存在しない。広告の世界において、サウンドを意識することが追いついていないのが現状です。
2.視聴者のリスニング環境が変わってきている
スタジオのハイクオリティなスピーカーでミックス作業をしていて、よくある光景があります。
「一般の人は、こんなにいいスピーカーの音で聴いていないと思うから、ラジカセとかで流してチェックさせてください」
これは、CMの仕上げの現場でよく見られる光景です。しかし、今は状況が変わっています。
たとえば、だいぶ普及してきたAppleのAirPods。スタジオのスピーカーには負けますが、じゅうぶんよい音質だし、ノイズキャンセル機能もすごい。低音もしっかり聴こえます。
MacBookやiPhone本体の小さなスピーカーでさえも、少し前(2010年ごろ)のモデルより、スピーカーはとても進歩していて、小さな音で流してもボーカルの細かなニュアンスや各楽器が、どんな演奏をやっているかがわかるほどです。※Appleが、サウンドを大事にしている姿勢が伺えます。
また、TVを観る時の環境も変わってきています。家電量販店には最近、サウンドバーというものが目立つところにたくさん置かれています。
見覚えのある方、自宅で使っている方も多いのではないでしょうか。サウンドバーは我が家でもTVに接続して使っていますが、TV内蔵のスピーカーよりも断然クリアに聴こえて、よい製品です。
Bluetooth機能がついた小型のモバイルスピーカー、スマートスピーカーなど、気軽に生活環境にサウンドを持ち込むことのできる機材も増えてきました。
何が言いたいかというと、現在は予想以上に「みんな、いい音で聴いてます」ということです。
テレビを、わざわざ高級オーディオにつないで聴いている人などいるのか?一般の人は、どうせみんなよくない環境で聴いているだろう。だから音なんて適当で大丈夫!
こういった、かつて現場でよく言われていた言葉は、以前から続く思い込みです。現在はそうではありません。雑につくられた音楽は、よい音環境で聴いたときにごまかしが効かず、クオリティが低い事がバレてしまいます。だから、CMのサウンドは「かなり良い環境で聴かれている」ことを前提として制作すべきだと、僕は考えています。
しかも、おそろしいことに、視聴者にアンケートをとったとしても、音の良し悪しの話はアンケートには現れにくいものかと思います。例えば・・・
「映像のクオリティは高いけど、音のクオリティが低いから惜しいことになっている」
などと、それぞれの原因を分解しつつ書ける人は、ほとんどいません。
さらに細かく原因を分解できる人ならば、
「音のクオリティが低いといっても、音楽というよりは効果音がチープなことが影響しているので、効果音を差し替えると、全体のクオリティが上がる。ただし、このジャンルの音楽だとパーカッションの打ち込み感がもったいないのは否めないので音楽も手を加えた方がよくて、違う曲を作り直す必要はないがパーカッションだけは生録音した方がよい」
という、細かな精度で判断できます。自分のやっている音楽プロデューサーという職業はまさに、そういった精度で音の判断をしていく仕事です。
しかし、視聴者は自分がどう感じるかの原因を分解するような行為はせず、全体の印象だけを受け止めます。映像とサウンドの印象が混ざって直感的に「このCM、ウザい」「なんか、感動した」という回答だけになってしまう事が多いでしょう。
多くの人が本能的・潜在的にサウンドの良し悪しを感じれるのにも関わらず、意識をそこに向けて原因を分解され意見されることはほとんどありません。だから音に関するフィードバックは、アンケートに現れにくいものなのです。
3.音は、全方位からキャッチできる。
めちゃくちゃあたりまえの事を言いますが、視界は前方しか見えません。
#35で触れた、SOUND LOGO JAPANのサイトのためにMACCIUさんに書いていただいたイラストですが、こちらの図をご覧ください。
ご覧の通り、視界は前方しか見えませんが、音は全方向から聴こえます。これが広告に、どう関係してくるか。「ながら視聴」という言葉があります。
テレビをつけている間、何かやってる状態です。番組の合間にCMが流れている間、クライアントやCM制作者は、もちろん映像をしっかり見てほしいわけですが、悲しいかな視聴者はずっと一生懸命に画面をみてくれるわけではありません。スマホでSNSのタイムラインみてたり、料理してたり。
これは、今に限ったことではありませんね。ずっと前からみんなやっていることです。CMのあいだ、新聞のテレビ欄を見たり、みかんを剥いたり、洗濯物たたんだり、飲み物を取りに行ったり、トイレに行ったり。漢字ドリルの続きをやったり。
このように「ながら視聴」は昔からやっている行動ではありますが、スマートフォンなどのガジェットの普及により、さらに視界を奪うものが多くなって、ひとつの画面に集中できない事が多くなり「ながら視聴」のスタイルは以前よりも増えています。
2020年の調査(※)によると、全世代にわたっての「ながら視聴」の平均は、平日では4割強、休日では約1/3になるといいます。
※ 出典:NHK 放送文化研究所「国民生活時間調査」
ながら視聴の場合、そのまま視線を画面に移さないままの事も多いでしょう。莫大なメディア費を投入し、大御所のタレントを起用しているにも関わらず、無情にも映像をほとんど見られないまま、15秒が過ぎていきます。
CM制作側にとっては本当に悲しいことですが、その場合には目で感じる情報の全てが、残らないものになります。ながら視聴の場合に、視聴者に届くものは・・・
音です。
音が印象的だったり、よい雰囲気であれば、視線を画面に移す可能性があります。実際に自分も経験している事ですが、TVをつけながらPCでカチャカチャとメールの返信などをしている時。
印象的だったり、心地よく感じるサウンドが流れると、その15秒だけは手を止めて、画面に釘付けになることがあります。よいサウンドのCMは、映像もこだわっていて全体的に素敵な仕上がりな事が多いものです。音の感触しだいで、振り向いてもらえることもあるでしょう。
となると、ナレーション、コマーシャルソング、音楽と効果音が与える印象、それらを統合する、MAスタジオで行われる最終的な仕上げなどのサウンドに関係する全て。それらは音にうるさいクリエイターのこだわりのような狭い話ではなく、企業の広告活動にとって決して軽視できない、重要な要素だということになります。
4.音は、記憶に残す力がある。
音楽は、長く、記憶に残るという性質をもっています。歌を使った記憶法で
♪る〜らるらる らる 受け身可能自発尊敬
とかいうふうに、古典助動詞を覚えたり、元素記号を覚えたりしたこともあるのではないでしょうか。勉強の場面でも、音楽の力で覚えにくいものを、記憶に刻む、という性質は使えますね。
もちろん、広告にも有効です。しかも、下手をすれば一生の間。これはすごくパワフルな特徴です。あなたにも、幼いころ聴いてずっと覚えているコマーシャルソングが、あるのではないでしょうか。ブランドは、視覚からだけでなく、聴覚からも存在をアピールします。
♪チョッ コレート チョッ コレート チョコレートは明治
♪スーモスーモ スーモスーモ スーモスーモ ス〜モ
たぶん、多くの人が、文字を見ただけで歌えるはずです。
コマーシャルソングも重要ですが、サウンドロゴは広告音楽の究極形といえる、超重要なものです。ブランドをそのまま表すもの。会社のロゴデザインと同じような立ち位置のものです。
音楽の力で、覚えにくい企業名を覚えられ、親しみやすいものになりますが、それだけではありません。サウンドロゴは、ブランド名だけでなくタグライン(キャッチコピー)までも一緒に記憶に刻むという超強力な機能を持っています。
歌を使って記憶に残す方法。それは小さな子供からお年寄りまで、まんべんなく企業のタグラインを覚えてもらえる、他に例のないおそらく唯一の方法です。こちらに、タグラインがまとまったものがあります。
♪セブンイレブン、いい気分
♪ココロも満タンに コスモ石油
♪あなたと、コンビに、ファミリーマート
ほら。
歌うことによって覚えている企業タグラインが、あるのではないでしょうか。歌以外の手段で企業タグラインを視聴者に自然に覚えてもらえる方法は、おそらく存在しないでしょう。
そして、幼いころの記憶は、おそらく一生刻まれる。音楽をうまくつかえば、すぐに忘れられる一過性の広告でなく、時空を超えて人の一生に寄り添うほどのポテンシャルを秘めています。
私たちのタグラインである "To many ears, for many years." は、
まさにそのような責任を背負うという意味を込めております。
このような、記憶に刻むという狙いのある、コマーシャルソングやサウンドロゴは「なんでもいいんで、なんかおしゃれな感じの音楽がついてれば大丈夫です」というわけでなく、固有のオリジナルティが求められるもの。
BGM用途のライセンスフリー音源では実現不可能なので、音楽制作者が、オーダーメイドで制作する必要があります。
5.音は、ムードを操る力がある。
「感動するCM」「すてきなCM」には、もれなく良いサウンドがついています。同じ映像で同じことを言っていても、ナレーションの声質がマッチしていなかったり音質が悪ければ台無しになるし、音楽の方向性がマッチしていなければ、何かすっとんきょうなことを言っているようにも聴こえます。見えないけれど、ムードを操る。いわば、香りのようなものです。仮にいいことを言っていても、ここを外すと、もったいないことになります。言っていることの内容だけでなく、ムードは大事です。
実際、ナレーションの後ろで流れるBGMとして、よい雰囲気を出すことだけであれば、#38で話題に上がったライセンスフリー音源でも、事足ります。よーく探せば、フィットしそうなものも、あるでしょう。単にオシャレだったり、かっこいい音楽が流れている事が求められる場合、ライセンスフリー音源でも、うまく使えば用途によっては全く問題なく機能すると思いますが、オーダーメイドでないと、どうしても辿り着けない境地があります。
広告音楽において求められる表現は、針の穴を通すようなピンポイントの雰囲気を追求することが多いものです。その願いを叶える15秒や30秒の音楽は、短いからといって簡単につくれるものでなく、制限の中で必要な要素を表現しなければならないので、むしろ難易度が非常に高い音楽制作です。
ファストファッションが台頭しても靴やスーツのオーダーメイドはなくならないように、ブランドをオリジナリティある音で表現するオーダーメイドの楽曲制作も、なくならないものかと思います。
6.音楽的霊感のある人は、そこらじゅうに潜んでいる。
音楽的なセンスのある人がいます。この場合に指すのは「オシャレなローファイヒップホップに詳しい人」みたいな意味ではありません。
音楽の良し悪しがわかる人。音楽のピンキリがわかる人。つまり・・・
「ホンモノか、ニセモノか」
を感知できる人という意味です。これは、性別、地方、中央、問わず、全世代に一定の割合で存在します。言い換えるなら、音楽的霊感がある人、と言ってもよいでしょう。なぜか。
ピアノ、バイオリン、ブラスバンド、合唱、ロックバンド、音楽鑑賞・・・これらは、全国、全世代で教養や趣味として親しまれているからです。そういった経験を積んだ方の中には当然、「ホンモノか、ニセモノか」に、敏感な人も潜んでいます。
よく言われるセリフがあります。
一般の人は、そんな音楽の細かいところとか、ぜんぜんわかんないと思うんで、適当で大丈夫です。僕らもそういう、打込みか、生録音かの違いとか、ミックスの細かいとことか、わかんないし。
クライアントの宣伝部、代理店のクリエイティブ、監督、みんながOKだと思っていても、それよりも音楽的霊感のある人は、実は趣味でバンドやDJをやっている社員の中にいたり、テレビを見ているカスタマーの中にいたりします。
音楽的霊感のある人は、たった15秒間、接触しただけで、
・この音楽ゾクゾクするほど素晴らしい。演奏もミックスも一流だな。
・あっ、意外とまぁ音楽ちゃんとしてるじゃん。
・音楽、しょぼ!
というようなピンキリが、感知できます。
もちろん音楽プロデューサーは、音楽的霊感を持ち合わせていないといけません。マニアックなアーティストをたくさん知っていることよりも、遥かに重要な能力です。CM音楽のクオリティの番人は、音楽プロデューサーになります。僕は、ここをそうとう重要なポジションだと考えているのですが、慣習的に下請け業者のような立ち位置になってしまっているので、発言権があまりないのが現状です。
実際に現場で起こっていることを、心霊現象に例えて書きます。ある案件で複数のタイプの候補の音源が欲しいというので、数を揃えることを優先していちおうたくさんつくったタイプの中で、どう考えてもマッチしないタイプが選ばれた時、音楽プロデューサーが、
いや、これあまりよくないやつなんで、やめた方が・・・
ほら、叫び声聴こえるでしょ・・・
と、本気で言っているにもかかわらず、音楽的霊感のないクライアントの宣伝部、代理店のクリエイティブが
先日の会議で、社長に聴いてもらってこれかなと言っていたし、僕らにはその叫び声、全然聴こえないんで大丈夫です!
と、決めるようなものです。
その後に、音楽的霊感のある視聴者がそれを見ると、
いや、この会社のCM、ヤバ!
めちゃめちゃ叫び声聴こえるし!
と言うオチになります。音楽的霊感がある音楽プロデューサーが、音楽のクオリティの番人になって、よいサウンドを世に送り出すことは、不特定多数、無作為で流れることが前提の広告においては、もはやマナーと言えるでしょう。あなたにとっての「問題ない」は、視聴者全員にとっての「問題ない」ではないかもしれません。
7.結論
ここに書いたことで全てを網羅しているとは言えないですが、簡単にまとめただけでも"音楽はとても大切である"ということに関して、これぐらい数多くのエビデンスがあります。
これらの様々な理由により、広告の世界の中で、オリジナルの広告音楽制作は淘汰されるものではない、むしろ、時代の後押しによって、これからさらに発展させていったほうがよい分野だと、僕は考えています。
今まで、こんなに大事な役割を担っているのに、語られることはあまりない世界でした。自社に関わる音楽がどうやって産み出されているのか、興味を持って接する事ができればもっと大切にすることができるし、楽曲を作り上げるプロセス自体を楽しめるのではないでしょうか。
サウンドは、きっと思った以上に、ビジネスに貢献できるポテンシャルを秘めています。
8.これからの課題
しかし。
現在、日本の広告音楽を取り巻く状況は、時代の変遷に対して、商慣習がマッチしておらず、旧体制のまま制作が行われている現実があるので、たくさんの課題を抱えています。これについて書き出すと、また内容が膨大になってしまうので、箇条書きで、とても簡単に書きます。
・日本のCM制作の現場においてはCM制作費のごく一部の予算で音楽制作費が賄われるという慣習があるのでコスト削減の一番の標的になり音楽制作費が極限まで削減されている現状があり、しかもそれを知る人物がほとんどいない。(クライアントも代理店も、当事者であるにも関わらず、そのことをまったく知らない。)
・日本に広告音楽プロデューサーが少なすぎる。(#2をご参照ください)さらに闇雲な予算削減が追い討ちになり、現実的な話、複数案件をかけもちせざるを得ない。結果、どうしても一案件に対してフルコミットしにくい状況がある。
・BGMとして使われる音楽と、歌が主役になるコマーシャルソングは、まったく違う役割を持っているにも関わらず、現状はどちらも「音楽制作」というだけのくくりになっているので、なぜかほとんど同じ予算感とスケジュール感で扱われ、歪みが生じている。
・オリジナル制作の広告音楽という存在自体が世間的に認知されていないことにより、一般的な理解が得られにくい。(サウンドにかける費用は無駄なコストという認識になっている)
・代理店同士の競合プレゼン時に、音楽制作会社が関わってオリジナル楽曲をつくる行為が必要なこともあるのはよいとして、競合プレゼンを経て勝利した後に選定された監督に音楽発注の主導権があるという慣習により、数々のトラブルが起きている。
・日本の広告関係者でサウンドの重要性を理解している人物が少ないことにより、多くの場合、計画性なく成り行きで音の制作を進めることになる。結果、一過性の半端なアウトプットが産まれやすい土壌がある。
※こういった課題の詳細や、解決に向けての具体的な提案などについて触れると膨大になってしまうので、今回は割愛します。
必ずしも悪気があって、このようになっているわけではないでしょう。しかし時代の変化に追いつけず、なかなか変わらない商慣習によって、現在はこれでもかというぐらい様々な形で歪みをきたし、日本の広告音楽制作の現場は、もはや崩壊しはじめていると思います。
長らく、こういった話題は、音楽制作者の口によって語られることはありませんでした。狭く閉じられた業界であったこと、そして商流が下の方にあるのが原因かと思います。音楽制作会社はそんなことを広く示す立場にはありませんでした。
かつては全体的な予算が太い時代だったので、音楽制作者はそのおこぼれに預かることができて、下請けの立場でも不満なく仕事をまっとうする事ができました。よって、このような構造的な問題点は指摘されず、矛盾を抱えつつもそのまま進んできたという流れがあるのかと思います。
しかし、時代は変わりました。今は、そうとうまずい状況です。
僕は自分自身が経営者としてさまざまな経験をしていく中で、そういったどうでもよい内部事情のような商慣習やパワーバランスのせいで不利益を被ってしまうのは、結局はクライアントだということに気づきました。
広告費の全体でいうと、ものすごく大きなお金を払っているにも関わらず、様々な要因が複合的に絡み合って、クライアントは自覚のないうちに、安価で短納期につくられた「グッとこないサウンド」を手に入れてしまいます。
そうなると、クライアントがサウンドに対して価値を感じれない、リスペクトなどできるわけがないという、負のループが産まれます。
時代の変遷によって、サウンドはより重要な役割を担うことになっていくにも関わらず、広告音楽制作は、理解されず衰退していく道を辿っているという、とても奇妙で興味深い現象が、今、まさに起きています。
僕は、このタイミングで何とかしなければならないと思っています。これはもはや、オフィス樋口という小さな音楽制作会社だけの話ではありません。
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さて、自分たち音楽制作側にも、課題があります。自分がまさにそうだったので、あくまで自分の目線から言いますが、広告音楽の案件に関わりたいというモチベーションのほとんどは・・・
「広告案件はお金がよさそうだから」
「アーティスト活動だけでは食えないから」
社会や世界からすると、本当にしょうもない動機です。しかし、音楽制作者は、広告音楽について、これぐらいしか本当に知らないのです。自分もそうでしたが、ずっと広告音楽の世界にいても、その本当の役割や存在意義について考える余裕も機会もなく、広告の目的など本質的な事を勉強したほうがよいとは誰にも教えられませんでした。
「あの監督と繋がった方が良い、メジャーな仕事が多いから。」
「小さい規模でも断らずに全力だして、実績と人脈つくったほうがよい。」
このような、ごくごくスケールの小さな話題に終わってしまいます。
僕たちの仕事は、全業種に関わります。
食品・建設・住宅・薬品・化粧品・電気機器・自動車・玩具・不動産・鉄道・航空・運輸・電力・ガス・飲食・ホテル・旅行・福祉・人材サービス・商社・IT・通信・コンビニ・新聞・銀行・証券・保険・行政 etc・・・
日本の全ての業種です。
そのメッセージが凝縮された15秒や30秒という短時間に、視聴者が直に接触する、サウンドという極めてデリケートなものを取り扱っています。
音楽制作側は、広告音楽の責任を理解し、案件に対してひとつひとつフルコミットする。
音楽発注側は、広告におけるサウンドの重要性を理解し、音楽制作者が容赦無く才能を発揮できる環境を用意する。
相互の歩み寄りが、今こそ必要なのではないでしょうか。
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・・・はい。
こういった、僕が普段思っていることを書いても、この1万字を超える文章を、じっくりと読んでいただく必要があります。それは多くの人に期待できることではありません。だから理屈抜きに、多くの人の直感に訴えかける必要があります。
左脳だけでなく、右脳にも訴えかける。
音楽はとても大切である、という事を。
今、僕が"GOOD MUSIC VS BAD MUSIC"というコンテンツ制作をおこなっている動機。それは趣味の自主制作ではありません。今こそ、自分がこの世の中に対して示さなければならない。
その時が来たのです。
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