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ユング心理学入門/河合隼雄

「そして、われわれ心理学者としては、死とは何かということを哲学的に追求するのではなく、死とは何かという質問の背後に、どのようにして情動が高まり、どのような過程をたどってそれは平衡状態に達するのかという、心理現象をこそ、与えられた議題として追求すべきではないかと思われる。」(p.5)
「結局のところ、現在の客観科学としての心理学は、このような現象に目をつむることによって、科学であることを保っている。」(p.9.10)
「このことは、ときにユングが、処女懐胎や錬金術などの事実を信用しているかのような皮相的な誤解をもたらしたが、ユングはけっして、そのような事実にではなく、それらを信じたり、信じようとしたりする心的現実に目を向けていることを強調しておきたい。ユングは合理主義者ではないにしても、非合理主義者では、けっしてない。」(p.12)
「今日、実際の臨床場面においてわれわれが有用性を感じているような、この無意識の考えを、細心な研究と大胆な意欲をもって主張したひととして、精神分析を創始したフロイトの名があげられる。実際、ユングも指摘しているごとく、フロイトこそは、「神経症の心理学の基礎を築いた不滅の功績」を担うひとということができる。」(p.20)
「アドラーはフロイトの性の理論に対して、人間を動かす基本的な動因として、「権力への意志」(will to power)を考えた。彼にとっては、愛も性も権力への意志を遂行してゆくための手段として考えられた。」(p.30)
「フロイトは、1つの症状に対して、その症状について何か思い出すことはないか、あるいは、その症状が初めて起こったときについて何か思い出さないかと患者の過去について尋ねるのに対して、アドラーは、今悩んでいる症状がもしなかったら、何をしたいと思いますか、と未来に関する患者の態度をよく尋ねたという。」(p.32.33)
「これに対して、ユングは人間の基本的態度の相違ということを考えざるをえないとした。つまり、ひとによってものの見方が異なり、態度が異なってくるというのである。」(p.35)
「このため、ある1人のひとを、外向型とか内向型とか、類別することも可能になってくる。この2つの型は、生まれつきの個人的素質に帰せられると、ユングは考えた。その証拠として、この両者が社会的階層の差や性差などに無関係に生じること、このような傾向が非常に小さいときから認められること、および、その個人の素質による態度を逆転させると、はなはだしい疲労現象が現われ心の健康が害されること、の諸事実をあげている。」(p.44)
「心理機能とは、種々異なった条件のもとにおいても、原則的には不変な、心の活動形式であって、ユングはこれを4つの根本機能、すなわち、思考(thinking)、感情(feeling)、感覚(sensation)、直感(intuition)に区別して考えた。」(p.47)
「感覚と直感は、まず何かを自分の内に取り入れる機能であるのに対し、思考と感情は、それらを基にして何らかの判断をくだす機能であるとも考えられる。事物の色や形、あるいは何かの思いつきは、まったく文句なしに存在するが、思考や感情は、それについて概念規定を与えたり、良し悪しを判定したりする。この点から考えて、ユングは思考と感情を合理機能(rational function)、感覚と直感を非合理機能(irrational function)とも呼んでいる。」(p.48.49)
「自分と型の異なるひとを理解することはまったく困難であることをユングは強調する。われわれは自分と反対のひとを不当に低く評価したり、誤解したりすることが多い。」(p.60)
「コンプレックスという用語を現在用いられているような意味で、最初に用いたのはユングである。」(p.64)
「このようにコンプレックスの否定的な面のみならず、そのなかに肯定的な面を認めようとし、また、外的には症状としてみられるもののなかに、建設的な自我の再統合の努力の現われを読みとろうとするような態度は、ユングの考え方の特徴を示しているものといえる。われわれは無数にもっているコンプレックスを数えたて、欠点の多い自分を不必要に反省したりするよりは、その時に布置されてきた(momentarily constellated)コンプレックスの現象をさけることなく生き、最初はネガティブにみえたもののなかに光を見出してゆく実際的な努力を積み重ねてゆくべきである。」(p.86)
「このように無意識内を層に分けて考えることは、ユングの心理学の特徴をなすものであり、彼のたてた普遍的無意識の概念は、多くの芸術家、宗教家、史学者などに歓迎されるが、一方多くの誤解をも生じさせることとなった。」(p.89)
「この点、神話学者のケレニーが、真の神話は事物を説明するのではなく、事物を基礎づけることのためにあると考えるのは、非常に示唆深い。」(p.97.98)
「また、実際生きてゆくうえにおいて、一般に、ひとびとは他人を傷つけるとか、極端にひとをだますとか、下品なことを公衆の面前で話すとか、のようなことはしないでいる。」(p.102)
「内部にあるはずの悪を他にあるように信じることは、何と便利なことか。このことを知っている狡猾な為政者は、適当に影を投影する方法を探し出すことによって、全体の団結を高める。」(p.110)
「心像の研究は、必然的に象徴(symbol)の研究へと彼を向かわしめ、象徴のもつ創造性の意義を強調し、それをたんなる記号(sign)と区別して考えてゆく点に、ユングの特徴を見出すことができる。実際、ユングの心理学を非常に特徴づけているのは、このような心像と象徴という領域に、彼が着目した点にあるといえる。」(p.114)
「ユングは人生の後半の重要性をよく強調する。人生の前半が昇る太陽のようであるとするならば、40歳を過ぎてからの後半の人生には、われわれは傾き沈んでゆくことに人生の意義を見出さねばならない。」(p.203)
「実際、われわれは自分の自己そのものを知りつくすことはなく、自己の象徴的表現を通じて、その働きを意識化することができるのである。」(p.228)
「つまり、自然現象には因果律によって把握できるものと、因果律によっては解明できないが、意味のある現象が同時に生じるような場合とがあり、後者を把握するものとして、同時性〈シンクロニシティ〉ということを考えたのである。」(p.241)

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