幸せについて/谷川俊太郎
「自分が不幸だと思っているヒトには言いたくないけど、俺、いま幸せなんだよね。」(p.5)
「幸せが自分の外にあるように思うのはアホ、外にあるのは幸せそのものではなくて、幸せの理由だけ、お金とか、友達とか、地位とか、広々した自然とか、可愛い子犬とか、幸せを感じる理由は身近にいっぱいあるけど、幸せそのものはひとりひとりのヒトのカラダとココロに湧く感情の一種、それもいわゆる喜怒哀楽の感情の次元を超えた〈感動〉だから、自分のココロとカラダから湧いてくるのを信じるしかない。」(p.7)
「胸がいっぱいになって涙が滲んでくるような静かな幸せもあるし、人目を気にせず道で踊り出したくなる爆発的な幸せもある。後になって〈ああ、あの時幸せだったんだな〉って気づく幸せもあるよね。」(p.8)
「成功したIT長者が素敵な家で素敵な家族に囲まれている写真なんか見ると、つい羨ましくなっちゃったりするけど、そういう人が幸せであるとは限らない。当人が自分は幸せだと感じることができたら、外の条件がどうであろうと、その人は幸せなんだ。でもこんな言い方は本当すぎて嘘っぽい。」(p.9)
「長続きする幸せは平凡な幸せだ、言葉を代えるとドラマチックな幸せは長続きしないからこそ濃い。幸せが毎日の暮らしの低音部を担っていて、幸せだっていうことにも気づかないくらいの、BGMみたいな幸せが、一番確実な幸せかもしれない。」
(p.11)
「幸せはささやかでいい、ささやかがいい、不幸はいつだってささやかじゃすまないんだから。」(p.23)
「幸せは自己中です。幸せになる条件を分かち合うことができても、幸せそのものは人と分かち合うことができないから。幸せは自分ひとりのものだから、他人と比べることもできません。自分が幸せであるってことだけで、何も言わなくても他人を傷つけることだってあるんです。」(p.29)
「どうすれば、何があれば、幸せになれるかと考えているとき、ヒトはあんまり幸せではない。」(p.31)
「幸せはお金で買えないというけど、お金で買える幸せもあるはず。幸せがお金で買えると思ったときは、ケチケチするな!自分の幸せだけじゃなく、見知らぬ他人の幸せでも。」(p.34)
「幸せになることよりも、幸せであり続けることの方が難しい。いったん幸せになると、ヒトって油断するんだね。思いがけないことで幸せになれて、ラッキーって喜ぶのはいいけど、思いがけないことで不幸せになることもあるんだから幸せには[fragile]ってステッカーを貼っとくほうがいい。」(p.40)
「私、幸せじゃないんですと言う女の人がいた、じゃあ不幸せなんですかと訊いたら、いいえと言う、いったいどうなんですかと言うと〈普通〉と答える。たしかに幸、不幸を問わずに生きられる人、生きられる世の中は悪くないと思う。でもそれを〈ぬるま湯〉の幸せと呼ぶ人もいたな。」(p.46)
「不幸を避け続けてそれなりに幸せな人、幸福を追求するあまり不幸になってしまう人、どっちが幸せなんだろう。」(p.47)
「愛されているのは最高の幸せだけど、もしかすると愛されていなくても愛している幸せのほうが、もっとずっと深く長くヒトを支えるかもしれない。」(p.53)
「ぼくは二十五歳で運転免許をとりました。幼稚園のころから車好きだったぼくにとって、その日は生涯最良の日で、そのとき感じた幸せはささやかだけど具体的で、とても濃い幸せでした。空想ですが地球上から戦争がなくなるという奇跡が起こったとしたら、人類は幸せになると思いますが、そのいわば一般的でどこか抽象的な幸せは、運転免許が取れた日のぼくだけに与えられたいわば特殊な幸せに比べると、ずっと薄味なんじゃないでしょうか。」
(p.56)
「真偽、善悪、美醜、賢愚などの反対語(antonym)の両極のあいだ、その矛盾と曖昧さにこそ現実はあるということが、腑に落ちてきたのです。」(p.91)
「「幸福は、人間が追ひ掛ける物ではない、人間が所有する物である。所有しなければ、ただ言葉に過ぎぬ。」フランスの哲学者アランの言葉を、小林秀雄はこんなふうに翻訳しています。」(p.106)
「幸せについて語る言葉は掃いて捨てるほどありますが、どれも明快なものではありません。幸せという美しい蝶は、ピンでとめて標本にすることが出来ないもののようです。」(p.107)
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