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過去の延長線上で暮らす

目を見て話さないと、同じ場所にいないと、
テンションのような透明度の高いモノは共有しにくい。

いろんなところで目にしてた閉店、閉業、などが、どんどんバンド界隈でも、脱退、活動停止、解散てフレーズで、見るようになってきた。会社やお店はまず資金てものが大切で、バンドにも資金はとても大切ではあるけど、同じ方向を向いて走るテンション、その音楽で何を表現したいかの共有、人によっては馬鹿馬鹿しいかもしれないけど"絆"的なこともとても大切である。そういう類いのものが、なんとか繋ぎ止めてたものが、このコロナであぶり出されていったのかもしれないと思う。


それらのバンドはもともとギリギリやったかもしれない。曖昧にしてきたものが弾けたのかもしれない。かくいう自分もバンドという舟に複数人で乗っかって曲がりなりにも動かしてきた。(今は活動休止)曖昧になっていくこと、自然とできていく距離感とか、続けていく上で、そういうぼんやりとした"もや"みたいな負の匂いのするものができていくのを感じたことは少なくなかった。
 

やはり今回で"会わない、会えない、スタジオ入らない、ライブできない"そのうちに大切だったものが少し薄れたり、自分のこの先を考えた上で、違う道が見えたかもしれない。会って同じ場所で物事を共有するということ、目線や声のトーンや、雰囲気など、同じ時間を共有して確認しないと中々に難しい。バンドには言葉よりも、同じ空間で一緒に音を鳴らすという、行為以上のコミュニケーションはないと本気でそう思う。
もやがかかっていたバンドは"会わない、会えない、スタジオ入らない、ライブできない"の期間でしっかりあぶりだされて受け入れざるを得なかったかもしれない。


自分の行く先をここまで考えさせられることは生きてきてなかった。たぶんこんなことでも起きない限り、時間にひきづられたまま、季節またいで、四季で、喜んだり、悲しんだりしながら、ゆるやかに、死んでいってただろうと思う。それに自分の乗りこなし方もよく知ってる。これしたら気持ちいい、こうしたらダメージ受けない、回避できるとか、よーく知ってる。何も起こらなければゆるく生きていける術はもうなんとなく身に付いている。よかれ悪かれ。そうなるとなかなか新しい感覚になれないし、"今"からハズレようとできない。「間違いではないし、大正解ではないかもしれないけど正解に近いよな」ぐらいで過去の延長線上で生活を繰り返す。痛みは少ない、傷も増えにくい。


あぶりだされてよかったんだと思う。解散してよかったとか、脱退してよかったとは言わないけど、普段見逃してしまいそうなことにしっかり向き合った結果だと思う。東京のよく聴いてたバンドが解散した。もちろんこれ以降更新はされないから悲しいけど、これからも音楽をやっていくとのことだ。これから先がまたあるもんな。

今回、弱さに素直になること、それが大切なことだと気づいた。過去の連続が今を形成してるのだが、過去の延長線上で生きてばかりいられない。

近々お知らせがある。これから"今"をハズレて、挑戦しようと思う。

これから先の明るい未来についての話。

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