見出し画像

「お客様精神」から「共同プロジェクトメンバー精神」へ

「カスハラ」というワードを最近よく耳にします。
最近のニュースでは、「カスハラ対策」を企業に義務化する動きを厚労省が検討しているそうです。

厚労省は「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」というガイドラインまで公表していて、この流れは確実になりそうな感じです。

私の勤めている会社でも「カスハラ対策」へ年々注力度が強まっていまして、従来の「お客様は神様」という少々歪んだ関係性から、時代は「顧客とサービス提供者は対等」という関係性に変わってきていると感じます。


「お客様精神」が生まれたのは構造の問題

なぜ今回のような流れが出てきているのか、と考えてみました。
顧客側が立場に甘えすぎたから、と当初は思ったりしたのですが、顧客を「お客様」として必要以上に持ちあげてきたサービス提供者側にも要因があった構造的な問題、と思いました。

そう思い至った背景に、学生時代に過ごしたヨーロッパでの経験があります。具体例でいうと以下のようなことです。
・スーパーでは不機嫌そうなおばちゃんがレジをやっていて、袋詰めもしてくれない、愛想悪い、というのがスタンダード
・日曜日にはスーパーすら閉まる。一部の飲食店しか開かず、結構な頻度でお店が閉まる
・こちらがしっかりコミュニケーションをとる姿勢をみせないと、向こう自ら声をかけたりサービスを差し出したりはめったにしない
何もしなくても顧客という立場で訪れれば至れり尽くせりであった私は、結構びっくりした記憶があります。でも慣れてしまえば、自ら店員に話しかけ、対等な立場でサービスを得られ、あまり不自由は感じませんでした。

あの時は「日本のサービス精神って素晴らしいんだな、恵まれてたんだな」くらいにしか思わなかったのですが、今思えば、サービス提供者側が無駄に「お客様」として持ち上げ、必要な時に対等に向き合うことをせずに、従業員等を犠牲にしながら無理やり成り立たせてきただけかもしれない、と今は思います。

冒頭で記載した厚労省のガイドラインには、厚労省が調査したカスタマーハラスメントの状況が載っているのですが、パワハラやセクハラ、そして顧客等からの著しい迷惑行為として挙げられている「長時間の拘束やクレーム」「侮辱・暴言」「土下座等の不要な要求」…
これらは対等な関係性であれば求められることは少ないこと。何らかの上下関係がある際に起きやすいものではないでしょうか。

出所:厚労省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル

これらから、上下関係(顧客が上、「お客様」として崇め奉る)を生み出しやすい構造をサービス提供者側がつくる・許す、ということを「良かれと思って」してしまっていたのではないか、と思います。
そうしないとサービスが売れない時代だったのでしょう。
しかし、今日のジェンダーギャップ是正の動きや、マイノリティを許容する社会の動きは、これまで差があった関係性を「対等」かつ「公平」にしようとする流れだとみたとき、顧客とサービス提供者の関係性についても同様のひとつの流れではないかと思うのです。

【行政現場】行政「サービス」?

上記は「企業」といういわゆる民間が主体となっている場合の関係性ですが、この関係性は民間ではないところでも求められる場面が多々みられます。ただ、私はこれに違和感を感じざるを得ないです。
民間が主体となって提供するサービスと行政のような公共性という異なる要素が含まれるサービスとでは、前述のような「お客様精神」では成り立たないのでは、と。

そもそも「行政サービス」って何だろうと思い、定義を調べてみたところ、
公共サービス基本法では以下のように定義されていました。

(定義)
第二条 この法律において「公共サービス」とは、次に掲げる行為であって、国民が日常生活及び社会生活を円滑に営むために必要な基本的な需要を満たすものをいう。
一 国(独立行政法人(独立行政法人通則法(平成十一年法律第百三号)第二条第一項に規定する独立行政法人をいう。)を含む。第十一条を除き、以下同じ。)又は地方公共団体(地方独立行政法人(地方独立行政法人法(平成十五年法律第百十八号)第二条第一項に規定する地方独立行政法人をいう。)を含む。第十一条を除き、以下同じ。)の事務又は事業であって、特定の者に対して行われる金銭その他の物の給付又は役務の提供
二 前号に掲げるもののほか、国又は地方公共団体が行う規制、監督、助成、広報、公共施設の整備その他の公共の利益の増進に資する行為

e-gov_法令検索_公共サービス基本法

難しい感じに書かれていますが、もう少し検索してみると、城西大学のHP上では以下のようにシンプルに表現されていました。

行政サービスとは「私たちの暮らしが便利になるように、税金を使って国や地方自治体が行うサービス」です。町にある公共施設、上下水道、ごみ処理、出産・育児・介護などにかかる費用の補助金制度などが行政サービスに該当します。

城西大学_学びのフィールド 行政サービス

ここで私が着目したのは、公共サービス基本法の二にある「公共の利益に失する行為」です。民間が提供するサービスとは少し異なる特性がここにあると思います。

「公共の福祉」とは,「社会全体の共通の利益」であり,「ほかの人の人権との衝突を調整するための原理」です。

中学社会 定期テスト対策【現代社会】 公共の福祉とは?

民間が主体のサービスは、顧客とサービス提供者という、結構シンプルな二者間の関係が多いですが、行政サービスの場合、納税者・サービス受給者・行政執行者・決裁者…等様々な関係者から成り立つものであり、お金を払って即得られるような構造にはなっていないです。
その実現には「公共の福祉」という判断軸があり、サービスを受ける側が一方的に権利を主張して得られる、という性質のものではないことがわかります。少なくとも、「公共の福祉」に反しない範囲で権利を主張し、協力していくことを求められる、ともとれます。

そう考えると、「お客様精神」で行政サービスの窓口で偉そうな口調で命令したり不当な要求をする人は果たして…?と疑問に思います。

【教育現場】「親」と「教師」は共同で教育する仲間ではないか

もうひとつ疑問に思うのが、子育てにおける親と教師(学校)の関係性です。『モンスターペアレンツ』という言葉が生まれて久しいですが、これは教育という特殊なものを「サービス」ととらえて、民間が提供するサービスと同様の構造を求めてしまった親と、それを許容もしくは向き合ってこなかった教師(学校)によってうまれてしまった歪、とも捉えられます。

そもそも、人を育てるのに民間の提供サービスの要素だけで賄えるとは思えません。教育は親だけが担っているものではないし、教師だけが担っているものではない。そこには前述した行政のような多種多様なステークホルダーが存在しています。
そんな中、フロントで子どもたちに接する役割を担っているのが「親」と「教師(学校)」というだけであって、顧客とサービス提供者という関係性ではなく、『子供の成長』という目標に向けて各々の役割をもって動く「共同プロジェクトメンバー」であるはず。
それが、親が顧客として教師(学校)にサービス提供を求める、となってしまうのであれば、協力関係というものは構築できません。
求める親に対し、説明や協力を求めるコミュニケーション自体を教師側(学校側)もあきらめてしまい、せめて責任だけは逃れたいという悪循環に陥っているような気がします。

【医療現場】「患者」はお客様ではない

「医療サービス」も通常のサービスとは異なる要素を含んでいます。
そもそも人の命がかかっているものなので当たり前ですが。
医療はエステと違い、お金を払えば勝手に医療行為を快適な状態で与える、というものではないこと。患者が快適に感じたかどうかよりも、まずは「症状を改善すること」が重要であり、場合によっては、緊急性の高さから苦しい投薬治療や手術等も経なければなりません。治療法が確立していないものである場合は、死に向かってどういう状態でありたいか、その方法を患者自身で決めなければなりません。
そこに、「お客様」というような上下関係は当てはまらないように思います。なぜなら、「症状の克服」はお金を払うだけで誰かが担えるものではないから。必ず「患者本人」の意思決定や協力が欠かせません。
昨今の医療現場で「同意書」ばかりが増えているのは、医療行為について対等な立場で説明を十分に尽くしてこなかった医療従事者側と、快適な状態という本来とは異なる「医療サービス」を求めた患者との関係から生まれた、ひとつの悲しい結果なのかもしれません。

教育と医療の件については、いろいろ思うところがあるので、もう少し別の機会にじっくり書いてみたいと思います。

対等で公平な「共に達成を目指すメンバー」

顧客とサービス提供者の「上下関係」という構造が前述までの歪みを生じさせてしまっていたと考えたとき、是正のために「対等かつ公平な関係性」に向かっていくと考えられます。
では、「対等かつ公平な関係性とは?」と問いかけられた際に、私は「共同プロジェクトメンバー」なのではないかと考えています。
サービス受給者とサービス提供者は、ひとつのゴールに向かって進む対等な関係であり、その達成のためにそれぞれの役割を果たす、というイメージです。
サービス受給者は受給する上での役割(例えば対価を支払う等)を、サービス提供者はサービス提供という役割を、それぞれ担っているのですが、そこに貴賤や上下関係はなく、互いにそれを達成するための環境配慮や協力をしながら、各々の役割を果たすというもの。
これがタイトルの「お客様精神」から「共同プロジェクトメンバー精神」です。

「対等」かつ「公平」な「共同プロジェクトメンバー精神」では、『相手への尊重』が必須となります。人間関係性において『尊重』は欠かせないものであり、それを欠いている一方的な関係性は成り立たちません。
一時的に成り立ったとしても持続性はなく、自然に淘汰されていくのは避けられないのではないでしょうか。

冒頭の義務化について、対象は「企業」となっているけれど、企業だけでなくサービスを提供する主体すべてが「カスハラ対策」が義務付けられるようになっていくのではないかと思います。
上述した3つの領域についても、その流れは遅かれ早かれくるのでは、と。
そんな世の中が実現したときのほうが、介護や医療、教育の現場で起きている今の問題は、自然と解決に向かう(もしくは解決しやすくなる)気もします。
ちょっとポジティブに考えすぎかもしれませんが、大きな流れで捉えたとき、そんな着地になるのでは、というのが私の見解です。

読んでくださってありがとうございます!応援もらえると嬉しいです。素直に喜んじゃいます♪