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中学校教員が感じた小学校での違和感

 私は退職前の3年間、小学校2校に勤務しました。私が勤務した小学校の状況から、小学校教員のたいへんさを知るとともに、中学校との違いに戸惑うことがたくさんありました。今回は、その戸惑いについて綴りたいと思います。

1 社会科の授業時数は足りているの?
 私の中学校での担当教科は社会科でした。先生方の授業予定を確認して、社会科の授業を見ようと教室に行ってみると、他教科の授業(特に算数)をやっている状況にであいます。前の時間が伸びたなど理由は様々あると思います。でも、このような状況を何度か見かけると、1単位時間を全て使わなかったとしても、社会科の授業時数は足りているのか不安になりました。
 6年生の場合、社会科は年間105時間となっています。1単位時間は45分なので、年間4,725分になります。本当に4,725分確保されているかということです。
 現実的には予備時間もあるので、確保されているのだろうと思います。
 でも、課題は、社会科(各教科)の時間確保ということだけでなく、授業を45分で構成するということです。単元の展開を考えるとき、この学習課題は1単位時間では難しいと考えるなら、当初から2単位時間で扱うなど計画的に考えるべきです。そこが学級担任の裁量を発揮すべきところだと思います。
 また、児童に休憩時間をきちんと提供することも大切です。授業中にトイレに行きたくなることも一定防げるのではないかと思います。
 学級担任制に慣れ親しんだ小学校の先生方には理解し難いことかもしれませんが、教員の授業スキルを向上させるためには大切な視点だと考えます。

2 全員参加の授業になっているの?
 小学校の授業は、児童が元気よく手をあげて発言します。しかし、よく見てみると、発言しているのは挙手した児童のみで、担任と発言者との1対1のやりとりになっています。私は、これまで児童の元気よさに小学校の授業の見取りを誤っていたと思いました。
 このような状況から、よく手をあげる児童は意欲的だとか、よく発言する児童は思考しているとかの評価が行われていることも、残念ながらあると思います。
 学習課題をいかに自分ごとにさせるか、児童同士をつないでいかに相互作用させるか、そうした視点で見直してみると、小学校でもまだまだ授業改善に取り組む必要があると思います。
 また、最終的に記録される評価(通知表等に記載させる評価)は、テストの点数のみでつけられているように感じます。小学校でテストは担任の自作ではなく、教材会社から購入しています。そのテストには各問題に「思考・判断・表現」などの観点が付されていますが、社会科を見る限り、教科書の内容が事細かに問われているだけで、記された観点が評価できる問題とも思えません。
 こうしたテストを使っている限り、授業改善はすすまないだろうと思います。とはいえ、現状では、小学校の先生にテストを自作せよとは言えません。また、テストだけでなく児童の学びの足跡や変容を評価材料とする必要があると思います。
 手をあげない児童が何を考えているのかをどのようにして把握するのか、児童の考えをどのようにつないでいくのかなどについて研究・実践していくことが評価にもつながるのではないかと思います。

3 教科主任は機能してるの?
 小学校では、全ての教科を一人で指導するので本当にたいへんです。時間をかけて準備をしても、その成果が発揮できるのは一回だけです。1学年に複数の学級があるなどして担任間で教科の分担ができれば、一人への負担は少し軽減されるのではないかと思います。
 中学校では、各教科主任が校外の研究会等に参加しその内容を校内に広めるなど、各教科の中心的な役割を果たしています。
 ところが、私に言わせると、小学校では教科主任が全く機能していません。夏休みの備品整理のときと次年度予算の備品購入計画のときに、その名前が登場するのみです。また、校外で開催される研究会に、必ずしも当該教科の主任が参加するわけでもありません。ですから、参加した教員の意識が低ければ、各教科の最新情報等が校内に伝わらないということも起こります。
 国語や算数などの特定の教科だけでなく、全ての教科の授業改善をすすめるためには、市町村レベルでの教科主任の計画的な育成が重要だと思います。

 授業にかかる3点について書きました。
 何の改善策も示さず批判めいたことばかりの内容になってしまいました。お許しください。
 先生にかかわる内容なので、「#教師のバトン」を付記させていただきます。

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