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世界が違って見えるんだ

本当のことを告白すると、気管チューブが外れ、やっと喋ることができるようになった日の、主人の第一声を覚えていない。それどころか、どんな場面だったのかも思い出せない。記憶がすっぽりとない。

腫れあがって誰だかわからなくなってた顔も、この頃にはだいぶ元に近づいていた。それまでは、目は閉じているか、うっすらと片目が開いているかくらいで、モノが見えているのかみえていないのかずっと気になっていた。

主人は見えていた。

「見えるよ…見えるんだけどさぁ…」と少し言い淀んで、続ける。

「なんかさぁ、世界が違って見えるんだ」

これは ”比喩” なんかではない。 ”心情” を表しているわけでもいない。
それが本当の意味で理解、いや、想像することができたのはもっと先のことだった。

管が取れると、娘の小学校の入学式のことを口にし始めた。仕事の折り合いをつけて年休を申請していたのに、入学式に出られないのがつらいと訴える。娘の大事な行事なのにと申し訳なさそうにしてメソメソする。

仕事のこともあれこれ気にし始めた。
取引先の方とアポを取っているからどこそこへ行かなくてはいけないのに、とか、いついつに会議があるから資料をまとめなくてはいけないのに、とか、ゴルフコンペの幹事なのにどうしよう、とか、 ”あの日” 以前の記憶が次々と溢れ出していた。

そして、身体は思うように動かないけれど、頭はちゃんと働いているから自分は出勤しようと思えばできるのだと言う。

これはもしかすると、B先生の予想に反して、凄まじい回復をみせるのではないか…。いいや、そもそも回復なんて思うことそのものが間違いで、ほとんどなんにも変わらない主人がそこにいるのではないか、と、またこころの中で期待した。

頭に怪我をして、大袈裟に手術しただけで、左側は今こそ動きはしないけれど、それ以上でもそれ以下でもなく、ただ、以前と”まったく同じ”主人がそこにいるのかもしれない。
他人を思いやる気持ちもあるし、周りの状況を確認することも、ちゃんとでてきたじゃないの。

でも、本当に?


同じことばかり繰り返し話す。その話、さっきも聞いたよ。
なんの脈絡もなく「おしっこに行きたい」なんて、子供のようなことを言う。なんだか会話がかみ合わない。
左側が動かないせいもあるんだろうけれど、0.8倍速での会話。

そして、すぐに泣く。

こんなことになってしまったことを悔やんで、思うように動かない左側を憂いて、家族や会社の仲間に申し訳なくて、だから泣いている、とこの時は思っていた。

主人が泣いているのは、これまでたった1度しか見たことがなかったのに。
ましてや、号泣している姿なんて一度も見たことがなかったのに。


世界が違って見えるんだ。わたしにも。



最後まで読んでくださってありがとうございます💗 まだまだ書き始めたばかりの初心者ですが、これからの歩みを見守っていただけるとはげみになります。