レイラック滋賀の好調を見ながら、滋賀県のサッカーについてあれこれ振り返ってみた、というお話し

実は関西にはまだまだJ予備軍がいっぱいいます

2023年、ガンバ大阪、セレッソ大阪、京都サンガ、ヴィッセル神戸の4チーム体制だった関西のJリーグチームに20年以上ぶりに新しいチームが誕生しました、しかも2チームも。長年、マンネリの中のマンネリ化の激しい、停滞著しい関西のJリーグがようやく活性化するのではないかと思っています。
しかしまだ、関西には多くのJリーグ入りを目指すチームが存在しています。FC大阪のJリーグ入りで3チームを抱えることとなった大阪府には、JFLに所属しているFC TIAMO枚方。奈良クラブの参入で県内初のJリーグチームを持つこととなった奈良県は関西リーグ1部のFC飛鳥が、ヴィッセル神戸のいる兵庫県は同じく関西リーグ1部で今や「門番」と化している(あかんヤツ笑)Cento Cuore HARIMA、京都サンガのいる京都府にはHARIMA同様、地域CLの常連と化しているおこしやす京都AC。まだJリーグチームのいない滋賀県と和歌山県はMIOびわこ滋賀から名称を変えたJFL所属のレイラック滋賀と昨年久しぶりに地域CLに出場した関西リーグ1部のアルテリーヴォ和歌山がいます。他にも滋賀県に関西リーグ1部に昔の滋賀FCの流れを汲むレイジェンド滋賀や、一昨年のオフに一悶着のあったFC淡路島から別れたFC AWJ、そしてそのFC淡路島の当初の受け皿とされていたが結局折り合いが付かず、最終的には元日本代表の岡崎慎司がオーナーになったFC BASARA HYOGOあたりも虎視眈々と将来のJリーグ入りを視野に活動しています。JFL昇格までハードルを下げると3年前の地域CLに出場したA.S.Laranja KYOTOもいます。まだまだ関西には「上に上がらないといけない」チームが山ほどあります。

その中で一番Jリーグに近いであろう2チーム、JFLに在籍しているレイラック滋賀とFC TIAMO枚方。共に昨年はリーグの下位に低迷、レイラックに至っては最下位と同じ関西から2チーム抜けてくれたから良かったものの、もしどちらかがダメだったら今年は関西リーグに落ちていたかもしれなかったのです。ただでさえ関西リーグにこれだけのチームが蠢いているのに、ノコノコと落ちて来られると非常に迷惑なんです!とまでは言いませんが(笑)、この危機を同じ関西勢が救ってくれたことに何かの因縁を感じます。

ようやく動き出した「滋賀県からJリーグ」

まだリーグが始まったところですが、両チームとも開幕から好調。特にレイラック滋賀は今年、MIOびわこ滋賀から名称変更しただけではなく、体制も大幅に変わりました。さらにその新体制発表の記者会見の場において、ホームスタジアムとして使用している布引グリーンスタジアムの所有者である東近江市長から、3年を目処にスタジアムの大幅改修を行う計画があると発表されました。今まで滋賀県内にJリーグ規格を満たすスタジアムはありませんでした。そのことが「滋賀県からJリーグ」と言ってもあまり説得力を持たなかった一つの理由でもあります。今回、東近江市がスタジアムの改修を行うということはおそらくJリーグ規格に沿ったものになると思われます。そうすれば、後はチームが経営の基盤をしっかり構築することと共にJFLで結果を残せば「滋賀県からJリーグ」という念願が叶うのです。やっと滋賀県でJリーグという流れが本格的に動き出したと言えるでしょう。
このタイミングで東近江市をスタジアムの大幅改修に向かわせた要因として、再来年に滋賀スポ体、いわゆる国体の開催が大きな要因と言えるでしょう。国体を開催するとその何年か前から県内の運動施設の整備費として国や県から各自治体に補助金が交付されます。滋賀スポ体では東近江市はサッカーの開催地になっていて、さらにその会場は布引グリーンスタジアムとなっています。それに向けて交付される補助金を使っての大幅な改修を計画していると思われるので、まずはそれに向けての調査費を本年度(2023年度)予算で計上し、その上で来年度(2024年度)の予算で工事の着工、完成を目指すことになるでしょう。そのタイムテーブルでいくと、遅くとも今年の1月中には発表して市議会で予算の審議を行い、2022年度末までに議決させないといけないので、1月末の新体制発表と同時というタイミングでのスタジアム改修の発表となったのだろうと推測します。タイミングや背景はともかく、滋賀県でJリーグという流れが出来たのは今年の関西サッカー界にとっても大きな出来事だと思います。チャンチャン…

実は別の線もあった「滋賀県からJリーグ」

では終わらせません(笑)。というのも、実は滋賀県内でJリーグ規格に沿った競技場の建設、改修計画がこれとは別に既に進行しており、さらにそれはもうまもなく完成するのです。にもかかわらず、新たにJリーグ規格に沿ったスタジアムの改修が行われるのです。実に不可解な話です。
その、既に建設が完了しつつあるというスタジアム計画ですが、元々は国体に合わせて進められたものでした。2025年に滋賀県で旧国体である国民スポーツ大会が開催されると言いましたが、本来は2024年が開催年でした。というのも、2020年に開催予定だった鹿児島国体がコロナウイルス感染拡大に伴い、大会の中止となりました。しかし何年も大会の準備に費やし、また予算も多く投じた国体の開催をそう簡単に取りやめるというのはどうなのか?という議論になり、それ以降の開催県と協議した結果、3年後の2023年に再び鹿児島で開催することとなりました(大会名は国体ではなく「特別国体」となります)。その代わり、本来2023年に開催予定だった佐賀県開催が翌年の2024年に、2024年開催予定の滋賀県はその翌年の2025年というように2023年以降の開催県を1年づつずらすことになり、滋賀県の国民スポーツ大会は当初の2024年ではなく2025年に正式に決まりました。
しかし、滋賀県での国体開催の決定時に滋賀県内には「国体(スポ体)の開会式を行うメインスタジアムは3万人以上収容でなければならない」という規定を満たす会場がありませんでした。そこで既存の陸上競技場の新設、もしくは大幅な改修工事が必要となり、それは当初の開催予定であった2024年の国体開催までに間に合うように県主導で計画されました。その会場というのが、彦根にある県の運動公園である滋賀県立彦根総合運動場改め、滋賀県営都市公園彦根総合スポーツ公園の陸上競技場でした。国体のメインスタンドとして候補に挙がっていたのは実際に改修された彦根陸上競技場の他は、野洲市にある希望ヶ丘文化公園の陸上競技場と大津市と草津市にまたがるびわこ文化公園内に新設するものでした。びわこ文化公園は滋賀県立アイスアリーナに隣接した県所有(正確には県の外郭団体所有)の土地で、希望ヶ丘文化公園もやはり県の所有する土地ということからも、県を挙げてのイベントということで県主導での計画となっていました。
もしMIOがJ3ライセンスを申請するのであれば、この改修中の彦根の陸上競技場をホームスタジアムにするのが一番早い、という判断を下すのではないか?あるいは、滋賀県サッカー協会もそれを望んでいたのかもしれないという予測を立てていたのですが、実際はMIO改めてレイラックは長年ホームタウンとしてのつながりが深い東近江市を選んだようです。また、東近江市としても長年ホームとして使用してもらっていた布引グリーンスタジアムの改修に踏み切ることでチームの期待に応え、自治体としての面目も保たれる形となり、まさにwin-winの結果だと思います。

その一方で、Jリーグチームが来るかもしれないと思われた彦根市の新しい陸上競技場である、平和堂HATOスタジアム(なにか、どっかの『みんなの鳩なんとか』みたいで間違いそうですね笑)はどうなるのでしょうか?…と、ここまで書きながら実は彦根市は、そんなことたいして気にしてないのではないかと思うのです。そもそも彦根市がそこまでスポーツに対しては積極的ではないし、彦根周辺の経済規模も県内のトップクラスです。さらに、もっと言えば歴史を遡れば他のどの自治体と比べても圧倒的に全国的に有名だし、さらに一世を風靡した「ひこにゃん」の知名度は誰もが知るくらいのハンパないものです。彦根市が今さらサッカーで名前を売る必要もないのです。ただ「Jリーグが来るんだったら全然お断りしませんよ」というスタンスだとは思うので、この競技場のおかげで彦根としては「いつでもウェルカムです」という状況になるわけです。
ということで、もし仮にMIOが東近江ではなく彦根の新しいスタジアムをホームにしようと考えた場合、それが実際に可能だったのか?それとも、それはやはり難しいのだろうか?といったいったところをシミュレートしてみようと思います。

波瀾万丈の道のりを歩んだレイラック滋賀と滋賀県のサッカー界

と、その前にまずはレイラック滋賀の前身、MIOびわこ滋賀についてザックリとお話しないといけません。
MIOびわこ滋賀、その前身となるMi-Oびわこ草津は2008年にJFLに昇格。今年で在籍16年目となります。当初の頃のホームスタジアムは湖南市にある湖南市民グラウンドという、ボロボロの年季の入った古いスタジアムでした。2010年から現在のホームスタジアムである東近江市の布引グリーンスタジアムを使うようになり、2014年からは完全に今の東近江と甲賀(水口スポーツの森陸上競技場)との併用となりました。東近江市とレイラック滋賀との関係の歴史の長さがよく分かりますね。
そんな、滋賀に根付いたJFLクラブである旧MIOびわこ滋賀、現在のレイラック滋賀ですが、実は元々は滋賀のチームではなかったのです。Mi-Oびわこ滋賀の前はMi-Oびわこ草津いう名前で2006年と2007年は関西リーグに所属していました。さらにその1年前、関西リーグ2部に昇格し、優勝して1部昇格を決めた年までは佐川急便京都というチームで活動していました。つまり、今のレイラック滋賀のルーツは実は京都のチームだったのです。

では、なぜ佐川急便京都がのちのMIO、今のレイラック滋賀になったのか?詳しくは正直よく分かっていませんが、その手がかりを探ると2006年にその理由らしき出来事があったのです。それは、当時JFLで活動していた佐川急便東京SCと佐川急便大阪SCの合併です。当時、佐川大阪のサポーターだった私は、実はその年のシーズン前に2007年から東京と大阪が合併して新しいチームとして活動をするという話が既に決まっていたことを、シーズンの早い時期に聞いていました。もう時効だと思うのですが、いつも2月に行われていたSSF(佐川スポーツフェスティバル)の西日本予選の閉会式の場で、そのような趣旨のコメントがあったようです。その時期に突然そんな話が出るわけないので、おそらくその前の年には既に社内で何らかの通達はあったと思われます。

当時JFLで活動していた2チームを統合するということは、つまりは経営の合理化です。それまではほとんどの全国各支社、関連会社毎にサッカー部があり、それぞれがSSFで勝つために各支社、関連会社を挙げて強化していたのを、JFLの2チームを一つに纏めることで佐川のシンボルチームとして活動させ、その他の支社単位のサッカー部に関しては会社からの支援のない、強化の対象とはならないただのクラブ活動とする方針に変わったということでした。
ほとんどのサッカー部が休部や廃部、またはチームが移管される中、佐川急便中国だけは今でも広島県リーグで活動を続けています。おそらく社内通達でこの決定を知ることとなった佐川急便京都が出した結論はその年、つまり2005年シーズンを以て廃部するというものでした。現場の選手、スタッフたちは新たなチームの受け皿を探した結果、滋賀県の草津にチームの所在地を移して活動を続ける道を選んだのです。そうして生まれたチームがFC Mi-Oびわこ、今のレイラック滋賀です。

ただ、滋賀県サッカー協会がそれを歓迎したかというと必ずしもそうではなかったのです。というのも、実はチームが滋賀県に移る前年に「滋賀県にJリーグを」というスローガンの元、県協会主導で滋賀FCというチームを立ち上げたばかりだったからです。県協会主導のチームがまだ関西リーグにすら上がれていない状態で、突然隣の京都から関西リーグのそれも1部のチームがやってきたのです。これが、滋賀県協会が思い描いていたシナリオが狂い始めるきっかけとなりました。
さらに、佐川急便の東京と大阪の2チームが合併したチームが本拠地としたのは、会社の保養所や運動施設のあった滋賀県守山市。つまりこの2年で突然、滋賀県内にJFLと関西リーグのしかもそれぞれ上位を狙えるチームが誕生したのです。しかも、県協会の範疇の外から急にやってくるというアクシデントのような形で…。さらに、関西リーグ1部にいたFC Mi-Oびわこ草津はリーグ2位ながら全国社会人サッカー大会で優勝。全国地域リーグ決勝大会では3位ながら、その年JFLにいたアローズ北陸とYKK APが合併し、カターレ富山に変わることにより1チーム欠員が発生したため、繰り上げでのJFL昇格を果たしたのです。滋賀県協会としてはまさに祟り目に触り目と言ったところでしょう。

JFLチームが一気に2つに増えたことにより、関西リーグの2部に上がったばかりの滋賀FCよりJFLのどちらかがJリーグに行くのを待って、そこに乗っかった方が早いだろうと判断した滋賀県協会は、ほどなく滋賀FCの運営から手を引くことになります。滋賀FCは県協会によって設立されたにもかかわらず、僅か数年で県協会からチームの存在を否定されたという見方も出来るでしょう。ただ、当時としてはこの判断はありだとは思いますが、その判断が滋賀県のサッカー界長年の苦悩となることはまだこの時は誰も知る由もなかったのです。
Jリーグに向けて明るい兆しの見え始めた滋賀県のサッカー界に、突如暗雲が立ち込めます。JFLでも常に優勝争いに絡んでいた佐川滋賀が、2012年シーズンを最後に休部すると発表されました。合併前は佐川東京単独でのJリーグ参戦を視野に入れているという報道が流れたこともありましたが(その信憑性については実際よくわかりませんが…)合併後はそうした動きもなく、合併自体が佐川急便のシンボルチームとしての価値を高めることが目的だったため、会社としてはアマチュアの最高峰を目指すという姿勢を打ち出していました。県協会としてはJリーグ参戦に消極的な佐川滋賀に対して、過度の期待を掛けることは出来なかったかと思います。協会とチームとの間に、Jリーグに対するある一定の距離感があったのかもしれませんが、そんな県内トップでもあり、またJFLトップクラスのチームでもある佐川滋賀の突然の休部は、滋賀県サッカー界に大きな衝撃を与えました。なんとか説得してあわよくば…と思っていた県協会の淡い期待が途絶えたとともに、もう一つのJFLチームであるMIOに期待するしか道が無くなったからです。
でもそんなMIOはJFL昇格時から常に運営資金に苦しむくらいの経営状態でしたし、チームとしてもこのタイミングで大々的に「Jリーグへ」と舵を切りたいところでしたが、現実はそんな余裕もない状態でした。それでもなんとか資金を確保し、チーム力を維持し、長年ホームスタジアムとして使用した布引グリーンスタジアムの所有者である東近江市との関係を深めることで、ようやく本格的にJリーグを目指せる体制になったのです。チームの廃部に始まり、チームの移転、突然のライバルチームの出現と消滅、長く続いた自転車操業的経営、リーグで目覚ましい結果の出ないシーズンの連続…。そんな苦労の日々を乗り越えて、ようやく大々的にJリーグと叫べるようになったのも、長くチームに携わった方々の尽力なくてはなし得なかったことでしょう。

残された「Jリーグ規格対応」スタジアムの行方は…

と、ザックリと過去の流れをお話しした上で、ではMIOびわこ滋賀が新しく完成する彦根の新スタジアムへのホーム移転は果たして可能だったのか?を検証してみます。もう結論から先に言ってしまうと、答えはNO。極めて難しかったと思います。
その理由は2つ。彦根にホームタウンとしての活動実績が皆無なこと、そしてチームの登録の問題があったのではないかと推測します。
ホームタウン活動実績の皆無については、以前のクリアソンのホームスタジアムの際にも触れましたが、J3ライセンスの申請時にホームスタジアム、あるいはホームタウンでの活動実績がないというのは審査時に大きなマイナス要素となります。ホームタウンでの活動にとくに重きを置くJリーグとしましては、それがない地域への転籍は認められないでしょう。Jリーグによる厳格な審査の元では、そうそう簡単には認められないでしょう。
かといって、昨年までのMIOに東近江以外でのホームタウン活動を行うのには、資金的にも人材的にも難しかったと思います。全く何の活動もやってこなかった地域に突然行ったとしてもすぐに目覚ましい成果が上がるわけでもありません。さらに、今までさまざまな協力を尽くしてくれた東近江市との関係が拗れることが大いに予想されます。そこに行くだけでも相当な経費が掛かるうえ、人材の確保の問題やさらには今までのホームタウンである東近江市への配慮などを総合的に考えると2、3年後に彦根にJリーグ開催要件を満たすスタジアムが出来るとしても、そこに移るのには得策ではないです。

仮にその問題が解消されたとしても、今度はチームの登録の問題が発生するのではないかと考えます。
新規チームを立ち上げる時、まずは各都道府県のサッカー協会からチームの所在地を管轄する、各地域のサッカー協会を紹介されて、そこにチームの登録をして、チーム個別の登録番号を発行してもらいます。所属する協会は変わらない場合がほとんどですが、まれにチームの在籍地を変更するチームがあります。同じ県内であれば、今いる協会と新しく移る先の協会と該当チームとが話し合って転籍を申請。都道府県協会がそれを承認して、無事に転籍が完了します。
しかし、これが県外に移るとなると話がややこしくなります。都道府県協会同士が話し合い、まとまった上で今度はチームが所属しているリーグを管轄する協会、地域リーグであれば関東協会だの関西協会だのといった地域の協会、仮にJFLだったら JFAとJFLを管轄する一般社団法人日本フットボールリーグのそれぞれの承認が必要となります。チームの規模が大きくなればなるほど、当然ながら及ぼす影響が大きくなるので、そのような県を跨いだ転籍には必然的に慎重にならざるをえません。それはかつて、ヴェルディ川崎が国立競技場にホームスタジアムを移そうという計画が持ち上がった時、当時のチェアマンだった川淵三郎氏の猛反対により断念した経緯があることからも分かる通りです。その少し前にはチームの転籍はいつくかありました(浜松→鳥栖、藤枝→福岡、倉敷→神戸など)が、それらはJリーグ創成期であり、さらにいずれもまだJリーグ参入前だったこともあり容認されていたものと思われます。また、今みたいなJリーグによる厳格な審査が行われていたとも思えないので成り立ったものとも言え、先ほども触れましたがホームタウンでの活動を重要視している近年では、よほどの理由がない限りは全国リーグのチームの転籍は認められないでしょう。
でも…、MIOの転籍はあくまでも滋賀県内の話です。滋賀県内の話ではありますが、各協会が納得して円満に解決しなければ転籍は認められません。今、かつてのMIOびわこ滋賀、今のレイラック滋賀の登録は東近江の協会にあるのではないかと思われます。それがもし彦根にホームスタジアムを移すとなると、おそらく東近江の協会から彦根か長浜の協会に籍を移さないといけなくなるでしょう。これまでのMIOの東近江市周辺のサッカー界への貢献度を考えると、Jリーグの規格に沿ったスタジアムがないだけで同じ県内の他の場所に移るのを、東近江の協会が易々と認めないでしょう。東近江の協会による猛烈な反対と引き留めが予想されます。同じく、東近江市としてもそう簡単にMIOに逃げられては困る、と必死に引き留めに走ることでしょう。
しかしラッキーなことに、東近江市にはこの何年かは国体向けの補助金が下りてきます。しかもその補助金は市内のスポーツ施設の拡充にしか使えないお金です。東近江市はこの、天から降ってきたようなお金を使ってJリーグ規格のスタジアムを作ることで、チームの引き止めを図ったのだろうと想像できます。協会も引き留めたい、行政もなんとかしてチームに残ってもらいたい、そして「そのために使っていい」かのように支給された国体関連の補助金…。この時点で、MIOの彦根移転という線は完全に消えたのかな?と思います。もっとも、初めから移転ということを考えてなかったかもしれませんが、仮にあったとしてもここまで「残留する」条件が揃ったらわざわざ移転しませんよね。

では、残された彦根にもうすぐ完成するJリーグ規格対応の平和堂HATOスタジアムは一体どうなってしまうのでしょうか?
これはあくまでも個人的な見解ですが、将来的に今はまだ関西リーグに所属しているレイジェンド滋賀が使うようになるかもしれないと思っています。
現在、レイジェンド滋賀はMIOほどには大々的にJリーグとは謳っていません。しかし、元々はJリーグ目標に作られたチームである以上、環境さえ整えばJリーグ参入に向けて準備をしておく必要はあるでしょう。チームの本部は守山市ですが、近江八幡市にもサブの拠点があります。守山市一辺倒というわけでもありませんし、県協会が運営から手を引いたとはいえ、協会との関係は良好と言えるでしょう。
もし仮にチームの成績がJFLを狙えるくらいまでになれば、必然的にJFLを開催するスタジアム探しが始まります。しかし、残念ながら守山市や近江八幡市周辺にJFLを開催できるような会場は見当たりません。それ以外であるとすれば、レイラック滋賀のテリトリーとも言える甲賀市の水口スポーツの森陸上競技場か、あるいは大津市の皇子山陸上競技場くらいです。しかし、皇子山はピッチの幅が足りないのと陸上連盟との兼ね合いで、JFL開催には不向きです。

そこで浮上するのは彦根の新スタジアムです。そもそもJリーグ規格のスタジアムなのでJFL開催には十分ですし、もし彦根開催が増えればどこのクラブも頭を抱えるスタジアム問題も解消し、将来のJ3ライセンス申請も容易となります。さらに、新スタジアムの所有者である滋賀県としても恒久的に使用してもらえるチームが出来ることは大歓迎でしょうし、ネーミングライツの権利を買った滋賀県内最大のスーパーマーケットの平和堂としても、露出度が増えて投資甲斐があると言えるでしょう。チーム、協会、滋賀県、そしてスタジアムのメインスポンサー、みんなが笑顔になるまさに「三方よし」、いや「四方よし」です。
滋賀県に2つのJチームは多い、という声もあるかと思います。しかし近年、滋賀県の人口は全国的に見ても数少ない増加傾向にあります。京都はもとより、大阪のベッドタウンとしての機能を果たしています。関東でも東京のベッドタウンとなっている茨城県にJチームが2つあるのだから、似たような環境の滋賀県に2つあっても全然おかしくないでしょう。むしろ、滋賀県は大きな企業こそないものの、交通の便の良さから大企業の工場や物流センターが多く存在します。それらがそれぞれのチームのスポンサーとなれば、それなりの資金力は維持できるでしょうからそれほど問題はないかと思います。関西圏の人口規模を考えると、それくらいのチーム数があっても不思議ではないと言えるのではないでしょうか。

そうなるにはまだもう少し時間はかかるかと思いますが、レイラックが順調にJリーグへ道を歩んでいけば、それに追随するかのようにレイジェンド滋賀がその後を追うことが出来る。そんな未来が早く来ることを願っています。

何の縁もゆかりもなかった滋賀県の、それもサッカーにたまたま合併したチームが移ったが為に関わるようになって10数年が経ちます。その当時から続いた、長く暗い過去を乗り越えてようやく滋賀県にJリーグという光が見え始めた2023年。滋賀県のサッカー界にとって飛躍の一年になることを期待しております。

追伸
MIOの初期にホームスタジアムとして使われていた湖南市民グラウンドの取り壊しが決まったらしいです。MIOからレイラック滋賀に変わるこのタイミングでの取り壊しというのは、何か一つの時代が終わったような気がしますね。くれぐれも取り壊しの現場には近づかないようにね(笑)

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