昔から行きたいと思っていた街に行き、そしてその街にあるW杯開催スタジアムでサッカーを見て、その街にあるサッカーチームについてあれこれ考えるという、これとない至福なひと時を堪能したよ、というお話

誰しも一度は行ってみたい土地があると思います。ものすごく景色がいいとか、ドラマやアニメの舞台となったいわゆる「聖地」と呼ばれるところだったり、また大好きな人や憧れの人が生まれ育った街だとか…。人それぞれの特徴がよく現れるものではないでしょうか。
私はというと、サッカーにおいてはここというところは特にはないのですが、最近ちらほらと増えてきだしたいわゆる「グラウンドホッパー」と呼ばれる、今まで行ったことのないスタジアムやなかなか開催されることのない試合会場を好んで行く方たちが周りに多くいたこともあり、珍しい会場や普段あまりサッカーの公式戦が開催されないだろうという土地や会場には行ってみたいという願望はあります。そうなるとJリーグではほぼ固定のスタジアムでの開催となるので、年々試合に対する興味が薄れてきてしまうんです、いちおうJサポとしましてはホントはダメなんでしょうが…。そんなわけで(他にも理由はあるのですが…)ここ数年、Jリーグはほとんど見てないです。ま、もしガッツリ見てたとしたらこれだけの本数のネタもかけなかったでしょうが…(笑)
サッカー以外だと、月並みではありますが歴史的建造物などを目当てにすることは多いですね。他には「工場萌え」とはちょっと違うのですが、工場や何か単一の産業で発展している街というのにはけっこう惹かれます。特に「企業城下町」などと呼ばれる、一企業が街の経済の中心といった特殊な街は興味深いので惹かれますね。5月に天皇杯で松本に行った時も、時間があったので岡谷市まで足を運びました。岡谷は昔から繊維業で発展した街で、以前から訪れてみたい街のひとつでした。最近はなかなか「ついでに」足を運ぶのも難しくなったのですが、今回はそんな「サッカーでもそれ以外でも訪れたかった場所」に行った、というお話しです。

前日の東京から夜行バスでたどり着いたのは…

前日に武蔵野でホームゲームを見た後、普段はあまり使わない池袋のバス停から夜行バスに乗って今回の目的地に向かいました。

池袋から乗った岩手県交通の夜行バス。
行き先は岩手、三陸海岸の街…

関西から朝早く東北方面に行こうと思うと、最善の方法は東京から夜行バスとなります。直行の飛行機の方が楽ですが、時間優先と金銭的な面ではこれが一番です。そして、バスの行先表示にもあるように今回の目的地はバスの終点、釜石市です。

JR釜石駅。隣にホテルが併設されています。
観光案内所にはレンタサイクルもありました。
JRの隣にある三陸鉄道の釜石駅。
東日本大震災で被災したJR山田線を移管、
2019年3月23日にリアスせんとして全線開通しました。

朝7時40分過ぎ、釜石の駅前に下りるとかつての新日本製鐵釜石製鉄所、今は日本製鐵北日本製鉄所釜石事業所という名称の建物が出迎えてくれます。ご存知の方も多いと思いますが、ここ釜石市は古くから製鉄の街として知られています。駅前にあった高炉も無くなって駅前の活気もやや失われていますが、それでも日本製鐵の事業所は残り、依然として町の経済を支え続けています。

どうしても慣れない「北日本製鉄所」の呼び名。
もう少しいい名称はなかったんですかね?(笑)
イオンタウンの手前にある製鉄所。
街と製鉄所との距離感の近さが見て取れます。
鉄と鉄道との見事なコラボ!(笑)

昔は鉄の街でしたが、今は海沿いを歩くと高い防波堤と緩衝帯が目に付きます。12年前の東日本大震災の津波の影響をダイレクトに受けた釜石は、街の再整備に伴い災害、特に津波に強い街づくりが進められてきました。それを物語るように街と港湾地域を仕切る閘門だったり、高い防波堤や緩衝帯、また安全に避難できるように作られたグリーンベルトという避難路があります。

釜石の市街地と港湾部を仕切る閘門
このゴツさが津波の怖さを物語っています。
外側、つまり海側から見た防波堤
ざっと3〜4メートルはあったかと思います。
防波堤に沿って走るバイパス
高速道路が津波被害を軽減させたケースもあるので
防波堤とバイパスとの組み合わせはベストですね。
このラインは港から資材を運ぶベルトコンベア。
鹿?
奥にも鹿…
なぜ鹿を飼ってるの?
しかも、放し飼いっぽい…
この距離でベルトコンベア見るとテンション上がるよね?
惜しむべくは、動いてないこと。
お金払ったら動かしてくれるのかな?←そんなサービスはない!
港湾労働者が避難に使うためのグリーンベルト。
グリーンなのに地面がなぜか赤っぽいのはナイショだ(笑)
さっきの閘門の上を通っていきます。
こういう案内があると、観光客でも避難しやすい。
こういう案内は大事ですね。

そして、市街地に戻るとそこかしらに津波と共存する街の人たちの工夫を見ることができます。昔の人たちの逞しさと順応さが垣間見て取れます。

釜石市役所は山の麓のちょっとだけ高台にあります。
壁にある「津波到達地点」の表示が
津波の凄まじさを静かに語っています。
震災復興住宅は高層住宅、住居部分は2階から。
海と反対側に廊下を作る構造になっています。
昔からお寺はよく災害の避難場所になってました。
このお寺も周囲とは少し高い位置にありました。
この市営住宅。山と山の間の奥まったところにあるようです。
おそらく立体駐車場かなにかなんでしょうね…(推測)
おそらく手前にあるお寺の墓地。
先祖のお墓を津波の被害から避けるために
斜面に沿ってどんどん高くなっていったのでしょう…
あら、こんな急斜面にも避難用の階段が…汗
山門の手前まで津波が押し寄せたよう。
仏の御加護を感じなくはないですね…
釜石は甲子川に沿った細長い平地に広がった街。
その河口に町のシンボルでもある製鉄所が作られて発展しました。
釜石市民歌には「鉄の都」の文字。
江戸末期、日本初の高炉方での製鉄に成功した、
近代鉄産業発祥の地でもあります(日本製鐵公式HPより)

そしてこの街には、日本を代表する市民クラブチームがあります。釜石シーウェーブスです。かつてラグビーの強豪として名を馳せた新日本製鐵釜石のラグビー部が、名称を変えて市民クラブとして活動し続けています。4月に終わった昨シーズンはリーグアンDivision2の4位(6チーム中)と苦戦していますが、それでも全国リーグで戦うことで街の誇りになっていることでしょう。街にはシーウェーブスの幟やポスターをたくさん見かけましたし、さらに市民会館の隣の建物にはグッズ売り場がありました(思わずトートバッグを買ってしまいました)。かつての栄光を知らずとも、広く市民にその存在が知れ渡っています。

釜石駅にあった釜石シーウェーブスの幟。
このチームの存在が復興を支えたとも言えるでしょう。
シーウェーブスのグッズを売っていたショップが入る建物。
隣にはミッフィーカフェが併設されたました。
シーウェーブスのトートバッグ。
やはり釜石といえば「赤」ですよね!

さらに、釜石をラグビーの街であることを世界中に知らしめたのは、なんといっても4年前のラグビーW杯でしょう。台風直撃というアクシデントのため、開催予定だった2試合のうちの1つが中止になったにも関わらず、対戦予定の両チームによるボランティア活動や交流会を行われました。街のラグビー熱の高さが見て取れます。
そんな釜石に何をしに行ったのか?というと、サッカーを見に来たのです、しかも…

その、ラグビーW杯を開催したスタジアムで行われるサッカーの試合を見に来た!

のです。
そう、W杯が行われた釜石鵜住居復興スタジアムで地元、日本製鐵釜石の試合がこの日行われるのです。
日本製鐵釜石のサッカー部は現在、東北社会人リーグ1部に所属、この試合の直前の順位は10チーム中9位の降格圏内と厳しいシーズンとなっています。しかしこの日本製鐵釜石サッカー部の公式のインスタの投稿には

釜石からJFLへ

いうハッシュタグが貼られています。そうなんです、日本製鐵釜石は今は1部残留出来るかどうかの位置にいますが、将来的にはJFL昇格を目標としているのです、ラグビーのシーウェーブスが全国で戦っているように…。
シーウェーブスは今でこそ全国リーグであるリーグアンDivision2で戦ってますが、元々はトップチャレンジでした。その前身はというとかつての東日本社会人リーグであり、トップリーグに変わるタイミングでリーグ名が東日本社会人リーグからトップイーストに変わった、言ってしまえばずっと「関東リーグ」の所属とも言えるのです。トップリーグがリーグアンに変わるタイミングでDivision2という「全国リーグ」で戦うことになったのです。
もし日本製鐵釜石サッカー部がJFLに昇格しようとすると、まずは東北リーグで優勝、もしくは全国社会人サッカー大会で3位以上に入り、地域チャンピオンリーグに出場。さらにそこで2位以上にならないといけないという、明らかにかつてのシーウェーブスよりも高いハードルが待ち受けているのです。
それでもJFLを目標に挑戦しようというその熱い思いが、ラグビーW杯開催スタジアムである釜石鵜住居復興スタジアムでのリーグ戦開催が組む運びとなったのではないでしょうか、しかもこの試合を含めて3試合も。

そんな高尚な目標を掲げる小さな街のサッカーチームの試合を、めったに見ることのできないであろうワールドカップ開催スタジアムで見てきました。

7/2 東北社会人サッカーリーグ1部@釜石鵜住居復興スタジアム 日本製鐵釜石 1-0 盛岡ゼブラ

釜石鵜住居復興スタジアムがあるのは釜石の市街地から北へ行くこと車で約15分くらい、三陸鉄道なら3つ先の鵜住居駅から歩いて10分程度の鵜住居地区。パッと見たところ、W杯が行われた会場なのか?と思うような実にオープンな外観でした。

行きは時間の関係でバスで向かいました。
最寄りのバス停から歩くと、程なく見える案内板。
釜石鵜住居復興スタジアムの入口。
さて、どんなスタジアムなんでしょうか?
スタジアムの外にあった避難経路図。
ここでも、津波に強い街づくりが見て取れます。
え〜っと…、えっ?
す、スタジアムを囲む仕切りがないんですが…汗
もし有料試合をやろうとしても、外から見放題なのでは?

ラグビーW杯の時、どうやっていたのかは分かりませんが、少なくともこの造りはとても有料試合を行う前提で設計されてませんよね?と言わざるをえない構造。ま、他に類のない開放的なスタジアムということでしょう…汗。海外から来られた方にはどう映ったのでしょうか?気になります。

メインスタンドはこんな感じ。
雨の日の観戦は大変でしょうね…
座席は木製、背もたれは低い造りでした。
真ん中の造りがどうなっていたかまでは見てません…
スタンドの後ろには本部室やロッカーなどが入る大きな建屋。
裏側にもさらに建屋がありました。
そっちが選手のロッカーになるのかな?
メインスタンドからバックスタンドを眺める。
バックからの方が見やすいかもしれませんね。
ピッチは手入れの行き届いた綺麗な芝生が広がります。
そしてスタジアムの奥には異様な建造物が…
そうです、ここにも高い防潮堤がありました。
海からそう遠くない位置にスタジアムはありました。
防潮堤の反対側には三陸鉄道の線路。
試合中、何度か可愛い車両が行き来していました。

この日のカードは岩手県のチーム同士の対戦。調べてみたら、ここでの3試合はいずれも岩手県のチーム同士の対戦でした。アウェイの盛岡ゼブラはこの日のメンバーは11人。つまりスタメンギリギリの人数しかいませんでした。まあ、ホームの日本製鐵釜石も13人しかいなかったので、さほど大差ないんですけどね…汗

ホームの日本製鐵釜石。
鮮やかな青が緑のピッチに映えます。
アウェイの盛岡ゼブラ。
伝統の白黒の縦縞ユニフォームです。


試合は序盤こそゼブラが優勢だったものの、20分も経たない頃には日鐵釜石のペースになっていました。しかし、リーグの下位に低迷している日鐵釜石。ゴール前まで行けたとしても、なかなかシュートが打てない、打ったとしても勢いのないボールがキーパーの正面に行ったりと、得点の入りそうな気配を感じなかった前半でした。

ゼブラのCKは釜石DFにクリアされる。
前半数少ないチャンスも活かしきれず。
日鐵釜石10番坂井がドリブルで切り込むもカットされる。
クロスに9番築場が中で合わせるも惜しくもバーの上。
両チーム通じて前半唯一の決定機だったかなと…

後半に入るといよいよ日鐵釜石のワンサイドゲームとなります。がしかし、前半同様得点の入る気配の少ないまま試合は進みます。それでも後半も中ほどの65分、左サイドからのクロスを中に走り込んできた7番の浅沼がシュート。キーパーの横を抜け逆側のポストに跳ね返ってゴールイン。日鐵釜石が貴重な先制点を決めました。

日鐵釜石11番阿部のクロスに合わせた浅沼。
ボールはキーパーの横を抜けてポストに当たり、
その跳ね返ったボールがネットを揺らす。
釜石が貴重な貴重な先制点を決めた。
決まった瞬間、喜びを爆発させる日鐵釜石。
残留のライバル相手に今シーズン2勝目が大きく近づいた。

その後も日鐵釜石の猛攻は続くが、追加点は奪えず。ゼブラも残り数分は最後の力を振り絞っての反撃を試みるも及ばず。試合通じて交代選手0、後半ATが0分という、なかなかレアな試合はホームの日本製鐵釜石が1-0で勝利しました。

日鐵釜石18番川崎がエリア内まで持ち込むも
ゼブラ3番佐々木の必死のDFに阻まれる。
今度は10番坂井のシュートはキーパー熊谷のセーブ。
サイドハーフとしてプレーしたキーパー登録の橋野。
キーパーと1対1決定機も、シュートは力無くキーパーの正面…
ゼブラは元山形の谷村(26番)がエリア内に入ろうとするも、
日鐵釜石の守備陣の前に思うようなプレーはできず。
残り時間はほぼない中、ゼブラのFKはバーの上。
CKをアピールするゼブラの選手。
しかし直後にAT0分で試合終了、というまさかの結末。
ホームでの2勝目に安堵する日鐵釜石の選手たち。

名門街クラブも過疎化と人口減少には抗えない苦しい現実…

アウェイの盛岡ゼブラですが、この日集まったのはスタメンぎりぎりの11人。しかもキーパー登録の選手が2人いたため、1人はフィールドプレイヤーとして出場していました。また、メンバーの中には元モンテディオ山形、盛岡商業時代には仙台→新潟に進んだ藤村と1年後輩ながらボランチを組んだ谷村憲一がいるなど、元々高いレベルでサッカーをやっていた選手たちの名前もありました。
伝統あるクラブチームではありますが、過疎化や人口減少、仕事の関係などでたとえ登録メンバーはいても試合には集まれないというジレンマと戦っているようでした。これは何も盛岡ゼブラに限ったことではなく、他の地域でも多くのチームが抱える問題です。単純に解決できる問題ではないですが、何かしらの手を打たないとますます事態は深刻化していくことでしょう。
盛岡ゼブラは新たにYouTubeチャンネルを開設しました。打開策としてまずは、チームの知名度を上げることから始めたのだろうと思います。これといった特効薬がない以上、いろんな手を尽くして足掻くしかないのかもしれません。

慣れないサイドでのプレーとなった谷村。
それでもそれなりにこなしていたのは流石です。
189cmの大型ボランチとして将来を有望視されたが、
Jではなかなか結果が残せず、今はここにいます。
大型ボランチ好きの私としては
出来れば彼をボランチとして見たかったです…

人口3万の小さな街からJFL。そのカギとなるのはあのチームと、あの街…

勝ったホームの日本製鐵釜石。まあ、よく勝てましたよねというのが率直な感想です。正直、良くてドローとと思ってましたから…。順位を考えるとどんな形であれ、勝っていかないと1部残留はありえません。さらにその先にあるJFL昇格という大きな目標のためにも、この勝利は小さくとも大きな一歩と言えるでしょう。
しかし課題は山積です。ホームゲームにも関わらずこの日のメンバーが13人というのはあまりにも寂しいです。登録メンバー自体は29人もいるのですが…。残留、さらにその先を目指すにはまずは「リーグを戦える」だけの選手を確保しないと厳しいです。実は東北リーグ、2007年のTDK、2013年の福島ユナイテッド、2014年のヴァンラーレ八戸、2016年のラインメール青森、2018年のコバルトーレ女川、そして2020年のいわきFCと15年で6チームもJFLに昇格している、極めてレベルの高いリーグです。まずはレベルの高い選手をどれだけ集められるかがカギとなるでしょう、なかなか難しいでしょうが…

1部残留。そして上位に定着し、さらにその先のJFLに昇格したとして、試合会場はこの、鵜住居の「W杯開催スタジアム」を軸に試合を行えば何の問題もないでしょう。Jリーグとなると照明や屋根の問題などでなかなか難しいでしょうが、JFLまでなら鵜住居で何の問題もないでしょう。むしろ贅沢なくらいです。
その一方で、チームの組織という点ではかなり脆弱かと思われます。現在の日本製鐵釜石サッカー部のままでは、運営的にも資金的にも出来ることは限られますし、またチーム運営のノウハウについてもほぼないでしょう。もちろん、今の状態のままの方がいい面もあります。練習も事業所のグラウンドが使えれば、練習場を借りる経費が抑えられます。選手が日本製鐵の釜石事業所や関連会社で働いているのであれば、雇用や給料の心配もありません。本来必要な経費がその分だけ浮きます。でもやはり、一企業一事業所だけで運営しようとなると、やはり難しいです。チーム運営という裏方の業務も、通常の業務の片手間でいうわけにはいきません。ある程度独立した組織が必要となります。
では、果たして今の日本製鐵釜石事業所のサッカー部から、一クラブチームとして独立してやっていけるのでしょうか?私は「出来る!」と思うのです。なぜならば、釜石には街クラブの先駆者である釜石シーウェーブスという存在があるからです。シーウェーブスと連携しないという手はないでしょうし、むしろシーウェーブスと一緒になるのもありだと思っています。いや、むしろそうすべきだと思います。シーウェーブスには、全国リーグで活動するノウハウは持ち得ているわけですし、また釜石の住民にとって町の誇りでもあり希望の星でもあり、釜石市民であれば誰もが知っている存在でもあります。そんなシーウェーブスと一緒になれば、すぐに釜石市民にチームの存在が知れ渡るでしょう。さらにチーム名も統一できればラグビー同様、サッカーの「シーウェーブス」も一緒に応援してくれることでしょう。

ラグビーとサッカー。相容れないような存在のように思えますが、うまく共存しているケースもあります。同じ街のチームとして共存しているのは、ジュビロ磐田と以前ヤマハ発動機ジュビロと名乗っていたラグビーの静岡ブルーレブスです。どちらもリーグでは実績を残しており、ホームゲームも同じヤマハスタジアムを使用しているのでらうまく共存できていると言えるでしょう。また、SC相模原と三菱重工相模原ダイナボアーズも相模原で、そしてやはり同じスタジアムを使用しています。同じクラブとなると、東京武蔵野ユナイテッドと横河武蔵野アトラスターズがそうです。共に横河武蔵野スポーツクラブのチームとして活動し、スタジアムも同じ武蔵野陸上競技場です。さらに練習場も、同じ横河電機グラウンを使っています。もし日本製鐵釜石サッカー部がクラブ化し、釜石シーウェーブスと一緒になるのであれば、武蔵野の例を参考にすればいいでしょう。Jを目指さないチームとしての活動となれば、なおさらちょうどいいお手本になるでしょう。
しかし、いくらシーウェーブスのノウハウがあったとしても、たかが3万程度の人口の街で全国規模のスポーツクラブが2つも成立するのか?ということを思う方もおられるかと思います。それについてもちゃんと前例はあります。日本を代表するプロサッカークラブの一つ、鹿島アントラーズがホームタウンとする鹿嶋市は、釜石と同じく製鉄所を中心として発展した街です。この鹿嶋市には、アントラーズの他に日本製鐵鹿嶋の野球部があります。野球部は日本製鐵釜石サッカー部と同様、日本製鐵鹿嶋事業所の部活動ではありますが、いざ都市対抗となれば応援ツアーと称して100台以上のバスで東京ドームに応援に来ます。社員以外でこのツアーに参加する人がどれだけいるかは分かりませんが、それなりに地元住民もいることでしょう。後援会には社員以外の市民の参加も可能なので、鹿嶋市民の会員がそれなりにはいるかもしれません。地元の企業などの法人会員もいるでしょうし、別途市民からの寄付などもあったりするかもしれません。街を支える産業が全く同じなので、街の経済基盤が同じ。社会情勢による街の経済の浮き沈みも全く同じなことを踏まえると、鹿嶋に出来て釜石に出来ないわけがないと言えるのではないでしょうか。

小さい街でも全国で戦える、そんな前例がすぐそばにありました…

それでも説得力がない!ということであれば、もう一つの例を挙げておきます。それはかつてJFLに昇格したことのあるコバルトーレ女川のホームタウンの女川町です。女川町の人口は6000人程度。人口3万の釜石とは比べものにならないほど小さな街です。そんな女川町をホームタウンとしたコバルトーレ女川がたった1年だけとはいえJFLで活動できたわけです。
釜石市と女川町。人口は釜石の方が5倍近く多いですが、実は自治体の年間の予算は実はそんなにたいさはありません。なぜなら女川町には東北電力女川原子力発電所があり、それによる税収が街の財源の多くを占めているからです。それもあって女川町は周囲の自治体のほとんどが隣の石巻市と合併した中、合併せず単独での存続が可能だったのです。女川町は元々、財政的に恵まれた町だったと言えるでしょう。
でもいくら女川町が財政的に恵まれているとはいえ、この小さな女川町単独でJFL、その上のJリーグとなるとやはり財政的には厳しいです。当然ながら同じ経済圏内の主要都市、石巻市と連携することが必要となります。石巻市の人口が約15万人弱、さらに現在自治体支援パートナーとなっている東松島市まで含めると約20万人くらいと、カバー出来る地域の人口規模はそれなりの規模になります。
それと比べて釜石の都市圏である釜石都市圏は、隣の大槌町と合わせて約5万5千人程度。女川のそれには到底及びません。ただ、この釜石都市圏だけが釜石周辺の街の経済規模を計るものではありません。岩手県が定める「釜石広域生活圏」では、釜石都市圏である釜石市と隣の大槌町に加え、西隣の遠野市も含まれます。これで人口規模はだいたい8万人くらいにはなります。現にサッカー強豪校である遠野高校卒の選手が何人かチームにいます。この2市間の人的交流は深いです。そして、さらに遠野市と同じくらいの距離にある、三陸海岸沿いの大船渡市も含めるとおおよそ12万人くらいの規模にまで拡がります。
ただ釜石と大船渡とは、遠野と釜石ほど経済的な繋がりが深くはないです。しかし遠野と大船渡とは共に昔からサッカーが盛んな街。もし日本製鐵釜石がJFLを目指す、将来的に昇格するとなると、今まで繋がりの薄かった大船渡と釜石との関係性が一気に強まる可能性もあります。さらに、釜石と大船渡を結ぶ無料の三陸自動車道が開通したことにより、両都市間は30分ちょっとで行き来できるようになりました。実際、夜行バスで通りましたが道路の線形もよく、実に快適でした。今まで以上に人的交流や経済的な繋がりが期待できると思います。釜石都市圏と釜石広域生活圏、さらに三陸自動車道沿いの主要都市を巻き込むことで、JFLでも十分やっていけるでしょう。

釜石のような小さな街でも近隣の町同士を巻き込めば全国リーグでもやっていける。それが実証できれば、これに追随する地方の小規模都市にあるクラブチームが増えるかもしれません。「小さな町だから」「全国で戦うだけのそんなお金ないし…」などといって諦めかけていたチームに夢と希望を与えられる。日本製鐵釜石のJFL昇格の夢が現実味を帯びてくれば、明るい未来が見えてくるのかもしれません。前途多難とは思いますが、そうなる将来が来ることを期待して釜石を跡にしたのでした。

ゴール裏からみたメインスタンド。
木をふんだんに使ったスタンドか風景に馴染んでいます。
バックスタンドの裏側は芝生で覆われています。
鵜住居復興スタジアムの最寄駅、鵜住居駅。
ホームからはスタジアムのスタンドの屋根が見えます。
真っ直ぐに伸びる三陸鉄道の鉄路。
まっすぐ伸びる鉄路のようにチームの将来は明るいだろうか?

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