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「ひとつながりのスープ」写真日記に至るまで (2010年作)

 幼いころ遊んだ「日本地図パズル」。都道府県がそれぞれ1ピースになっていて、それに加えて佐渡島は島だけど一片のピースになってなかったっけ? 日本海に浮かぶ、地図で見慣れたその形。離島として国内最大級であるその陸地。上陸最初の印象は ”いいところに来たな。”でした。
 新潟県直江津港から2時間半あまりの船旅の途中で日は暮れていきました。島南部の小木港に降り立つと、ぼくらを呼び寄せてくれたacci-cocciのサオリ、アルノ、娘のモスの出迎え、うれしい再会。彼らの暮らす島中部へと、アルノが運転する車は夜道を飛ばしていきました。外灯少なな田舎道は暗い。ちょうど新月の晩でもありました。遠くの闇に目を凝らすと、街明かりがとぎれとぎれに海岸線を教えています。十月上旬でしたが思っていたような寒さはなく、ぼくは窓ガラスを下ろしました。湿った風と一緒に、ライトに照らされた視界がどんどん後ろへと流れていきます。そのときふと
「ああ、きっといいところへ来たんだな…」
と、感じたのです。空気の感触と、過ぎていく暗闇の木々を見ているだけで、なんとなくそんな気がしたのです。この予感のようなものが当たっていたのは、翌日からの島暮らしで次第にわかることになります。それが「なぜか」、を説明しようとするとなかなか難しい。でも、「いいところ」という感触は島を離れるまでずっとどこかで感じていくことになるのでした。

 さて、acci-cocciでの佐渡暮らしが始まりました。目覚めてカーテンを開けると、目の前に真っ青な真野湾、その向こうに島北部の山並みが見渡せて、反射的に「わぁ」と声が出ました。こんな場所で、これから半月あまり滞在できるなんて!
 ぼくたちは、acci-cocciが立ち上げたイヴェント「佐渡国際アートフェスティバル」の出展者として島を訪れたのでした。滞在期間前半、日々譚はかっぽう着作りのワークショップ。後半はかっぽう着の展示と、ぼくも写真展を開く予定になっています。
 これまで、表現したい気持ちには「伝えたいこと」があるはずだと考え、展示に際してはいつも「伝えたいこと」をつかむ心がけをしてきました。でも今回は伝えるべきことを絞り出すのをやめました。佐渡への機会が与えられ、それを選び、やって来て暮らす中で、何を見たのか知ったのかを受け止めよう、と決めたのです。そんなわけで写真展に向けて、テーマを絞らず島での日々を素直にカメラで拾い集めることが、滞在前半のぼくの仕事となりました。

 一日はacci-cocciのみんなと一緒の朝ごはんから始まります。日々譚は、ここでも普段と同じようにかっぽう着を着て味噌汁作り。まずは佐渡産のネギが入りました。鍋にちょっと残ってしまった味噌汁は、次の食事で新たな具と味噌を足して味重ね。お昼は白味噌と佐渡の牛乳・バターを加えちょっと洋風のスープになりました。そして晩には近所の方にいただいたキュウリを入れます。
「どんどん味が深くなる!?」
それならずっと具と味を足して足して、佐渡を帰る日までこのスープを飲み継いだら面白い! 食事のたびに誰かが手をかけ、スープリレーをしていくことになりました。具財も1日目から佐渡の食材がいろいろ。佐渡ならではの記録が残せるかもしれない、とぼくは毎回スープの写真を写すことに。そしてつまりはこれが展示テーマとなってゆきます。

 かっぽう着のワークショップに訪れた人、acci-cocciつながりの方々、同じ建物に入っているカフェレストラン「えんや」のスタッフ……。知らない土地で少しずつ交流が広がってゆきます。いろんな方から、家で採れた野菜や到来物のおすそ分けを頂戴しました。
「家で採れた野菜、なかなか食べる機会ないのよね。いつも頂き物があるから…」
実り多きこの時期は、島の人々の間で、身近な畑の収穫が行き交っているようです。
 ある朝、散歩から戻った日々譚は
「おっちゃんにもろた。千匹釣ったゆうてたで」
と、サヨリの開きをたくさん手にしていました。酒と塩にくぐらせてあって、1日2日干せば干物になるとのこと。
 またある朝は、acci-cocciの友達家族が
「モスー! 釣り行こう!」
と、娘のモス訪ねて来ました。モスはサッと長靴を履いてついて行く。釣り場は目の前の海。防波堤から釣り糸をたらすと、子供たちも難なくアジなどの小魚を釣り上げます。横では中年夫婦が大きなタモ網の竿をふるってサヨリの稚魚の群れを追っています。これがまたどんどん捕れるのです。
「今日は、こんくらいにしとこう」
と、のんびりしたものです。
 アルノはぼくらが来る直前、9月の終いまではその海に潜ってモリで魚を突いてたと言います。冷蔵庫に残ってた最後の1匹、クロダイはぼくらも一緒に食べたのでした。秋祭りの晩におじゃました家では、食卓に上がっていたサザエを指して
「今朝、拾ってきたんだよ。下の海で」
と、お宅の主が言うのです。サザエの横には、裏山のシイの実が炒って小鉢に盛ってありました。野菜に魚、山も海ももなんと豊かなことでしょう。
「ここは冬さえ凌げればね、生きていけますよ」
佐渡で生まれ育ったある男性はそう言いました。

 acci-cocciの二階から、弧を描く海岸線や山々の連なるのを眺めていると、地図で見慣れたあの島にいることが実感できます。車に乗って道を行けば、どっちへ向かってもしばらく走ると海に行き着きます。一日あれば一周できます。自分が地図の上でどの辺りにいるのか想像できるその広さに安心感を覚えます。心地よく閉ざされた土地に山海の恵み、そしてそれを育む自然の存在感と豊かさも、心の落ち着きを与えてくれるようです。
 佐渡の集落はどこも美しい。本土の集落では、打ち捨てられた農業用品や漁具、朽ちるままの民家……どこかうらびれ、寒々しい、やるせなさを感じる瞬間が多い。それが佐渡にはあまりないのです。住む人のちょっとした心遣いの積み重なりが、全体の美しい印象を生んでいる気がします。生活の場がほんの些細な手間によって瑞々しく保たれている、これもまた「落ち着く」感じを支えているのだと思います。
 それは街に住み、時間をお金に換算するような暮らしにはない落ち着きです。街でなくてもそうかもしれない。本土のいたるところで、旧市街を避けるバイパスを通し、全国同じような量販店・チェーン店が軒を並べ、ぼくたちは安価な値札をぶら下げた豊かさを追いかけ、手に入れた気になりながら同時にたくさん捨て去り、いつも何かが足りないような気持ちでいます。島で感じる落ち着きとまるで逆です。
 その落ち着きは、下手をすると閉塞感となるかもしれません。「どうせ狭い島のこと」と見てしまえば、確かに商業的な立ち遅れ、経済的な滞りは厳しいこともあるでしょう。島で20代の若者が少ないのもそのせいでしょうか。けれども30代以上、小さな子連れの家族はしばしば見かけるのです。島外から移り住む若者も増えていると聞きますし、ぼくらが出会った人にもUターンや移住の方々がありました。「消費経済では得られない幸せを」という想いが、風土と人と自然の結びついた島暮らしに可能性を見出しているように感じます。(ぼくの個人的な希望に偏った印象でしょうか……?)

 こうして食べて、見て、話をして……見つけた島の魅力の一つ一つが「いいところに来たんだな」という初めの予感を、実感として裏づけていきました。そのカケラを散りばめたacci-cocciでの写真展、今回大阪で「佐渡のみやげ話の会」で再現している展示が、『ひとつながりのスープ』です。作り継いだスープを主題に、お祭りで見つけたもの、頂き物など、うれしい佐渡の食材との出会いの記録。そして心をすっと捉えた、佐渡でしか出会えない眺めをカメラでスケッチ。写して貼って、貼っては写す。acci-cocciではそうして展示中も随時更新していきました。短い滞在の間、ぽつりぽつりと心を打った、一言で言い表せない「いいところだなぁ」の理由、その瞬間を毎日丁寧に重ねていったのでした。


展示中のacci-cocciの扉

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