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スマホ依存から抜け出したい

日常で起こる些細なこと。
自分の発する一つ一つの発言や行動が、
自分を取り巻く世界を作っていく。
当たり前なのだけれども、
情報に溢れた毎日では、なかなか気がつけない些細な日常のお話。

とある山の麓で暮らすワタシが綴る物語。

【山暮らしの手帖】書き始めました。


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「依存症」って言葉だけ聞くと、なんだか構えてしまう。

アルコール依存症とか、ドラッグ依存症、恋愛依存症とか、ハマってしまうと抜けられない印象が強いから。

もともと、パートナーやドラッグに依存しがちだった私。だからこそ、精神的にも物質的にも自立しているようなタフな自分になりたい!ってずっと願っていた。だから私にとって、依存している=かっこ悪い&イケてないという定義になっている。

依存症っていうのは、何かに頼ったり、それがないと不安になったりする思考状態のことなんだけど、依存症って実は、身近な現象で「当たり前」として生活に起きている。今日は、そんな依存症の中でも近年もっとも違和感なく、日常に起こっている「スマホ依存」について書く。

その文章を書いている今も、右手の近くにはスマホが置かれている。

スマホ。


なんでかな、スマホを見ると触りたくなるのよ。
触りたくなるって思考になっているなーとか、気がつく前にはもう、瞬間的にスマホを触っている。

例えば、通りすがりの可愛いネコみたいに、ああ...そのふわふわバディに触りたい♥触らせてネコちゃん♥とか思っているけど、気まぐれネコは身構え、その身体に触らせてくれない...なんていうもどかしさ、スマホには全くない。

私とスマホの距離感ゼロm。ふと気がついたら利き手でスマホを抱え、SNSやらアプリを起動している。

毎日毎日、触っているスマホ。
実は私も、スマホ依存しているのかもしれない。って、気がついてはいた。
気がついていたけど、スマホは無くても全然問題ないと思っていた。

スマホ依存は簡単に克服できると思っていた私に、
大きな気づきとなる、小さな出来事があった。


数日前、キャンプで参加するイベントに行ってきた。
大雨で地面はぐちゃぐちゃ、風も強く、近くに設置していたテントは破損しているものもあった。
そして、普段は静かなのであろう地域の中で、急に大人数が集まってイベントを始めたもんだから、電波障害も多発していた。スマホ決済アプリなどのネットワークにも時間がかかる状況だった。

もちろん、SNSやLINEなども使える状況ではなかったよ。
粘り強くスマホに向き合っていれば、もしかしたら友人たちとスマホで連絡は取れたかもしれない。けれど、降りしきる大雨の中でスマホを濡れないように守りながら、小さなスクリーンと向き合うのは馬鹿馬鹿しくて、そのままスマホをテントの中に放置。スマホに囚われない分、そのイベントでしか味わえてない空気感を思いっきり吸い込んでいた。

これを機会にデジタルデトックスをしよう!そう決意した。

はずだったのに。

私の片手は、あらゆるシーンでスマホを探していた。

流れている音楽のタイトルが気になったとき、
美味しい食べ物の材料を聞いたとき、
お手伝いの時間を把握したいとき、
綺麗な景色、忘れたくない瞬間を目にしたとき、
スマホを触っている人も見たとき、
などなど、多数。

そんなとき、私は着用している洋服のポケットを弄っていた。
全部のポケットを弄り、スマホが見つからなくてようやく、私は今、デジタルデトックスしているんだったと思い出したりする。

そしてテントに戻るたびに、またスマホを触っている自分に、
「ちくしょー!」と心の中で叫んでいた。


ちくしょー!


もう一つのストーリー。
とあるとき友人の結婚式に参加するのに、スマホを忘れた。
なんで大切なイベントに限ってスマホを忘れるんだろう...と自分を責めながら、式場に到着。ここでの気づきは【準備はゆとりを持ってするべし】ですね。うんうん。
美しくて感動的な友人の晴れ舞台。美味しいご飯やお酒を共有しながら、いい時間を大好きな仲間たちで過ごしていた。
が、しかし、ここでもスマホの気づきは起きた。


集団でいるとき、誰か一人がスマホを触ると、近くにいる人がスマホを触り始めるっていう現象が起きた。スマホを触り始めた集団は、脳内がスマホトリップしているから、目線も思考も全てスマホに奪われる。私自身はスマホを持っていなかったから、急に、会話が止まり静かになって、動きが止まってしまう、その集団の動きに気がついた。

時が止まったような、何かが抜けたな空気感は独特だった。


もし、私がスマホを持っていたら、その現象にさえ気がついていなかったと思う。きっと私も混ざってスマホを操作していただろうから。

この【誰かがスマホを触り始めると、自分もスマホを触ってしまう】っていうのは、ミラーリング効果っていうやつ。同調性の高い国民性である日本で起きた出来事だし、きっとこれは自然現象なのかな。


スマホ依存症、ねえ。
スマホっていうのはとっても便利で、心強いアプリをいくつも入れられる。


SNSは、シュシュとサクッと友人や世界と繋がれるツールだし、
高画質になったカメラは、目の前の愛おしい世界を記録するためのツール。
美味しいご飯の作り方はWeb上にたくさんあるし、
こんなに高画質⁈と驚くようなゲームアプリ、赤ちゃんをあやすための賑やかな動画、目的地までの交通手段を最短ルートで教えてくれるツールなど、日常のあらゆる形でスマホは私たちの生活を支えてくれている。


もはや、スマホを使わないという選択肢は無くなってきてるよね。
これが依存症ってやつなのかしら?
誰もスマホを否定できない。
スマホは、もはや大切な仲間。


けどね、スマホと向き合っている自分を意識し始めて、気がついたこともある。


例えば、承認欲求のためにいいねを押し続けていたSNSをぱたっと止めてみら、急に、絵を描いたり、インテリアを美しくまとめたりし始めちゃうクリエティブな自分に目覚めたこと。

美味しいご飯を作りたいために頼りがちだったWebのレシピを止め、本棚から取り出した古い料理本を読みながら、自分流にアレンジしたら新しい発見があったこと。

スクリーンを見ていた目線を窓の外に向けて、ただただ毎日ぼーっと見ていたら、いつも家の周りを歩くネコに気がついたこと。しかも、ときどきパートナーのネコを連れて日向ぼっこしていること。


誰に共有したり、記録しなくてもいい。
ただただ、その瞬間を味わうだけ。
スマホに記録してしまうと、一つのデータになってしまう。


もちろん、スマホの小さな画面から広がる世界も楽しい。
それと同じくらい、自分の目の前の【現実】に時間を費やす。

ちょっとした意識だけで、こーんなに世界って変わる。


スマホ依存症から気がついた、大きな気づき。


この現象に気がついている人は、どれくらいいるのかな?

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