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社会圧

 ググってみましたが、いまのところ「社会圧」という言葉は見当たらないみたいです。でも今ほど「社会圧」と呼べるような事柄について考える必要があるのではないかと思います。コロナ下、国の感染防止対策の無策というか無責任が、様々な形の相互監視の同調圧力のようなものを日本国民の中にたくさん生み出してしまい、梅雨空のような暗雲が私たちの頭上に何層にも重く重く圧し掛かっていると思うからです。

 ただでさえじとっとした湿度と村社会の因習のような圧がある日本社会なのに、コロナ禍が継続されるにしたがって、じわじわと「社会圧」が増して、現在凡そコロナ前の3割増し程に高まっているのではないかと思います。

 もっとも大きな「社会圧」はやはり経済的なものだと思います。繰り返されるまん延防止対策や非常事態宣言と、それに対する(欧米では迅速に対策された国が多い中)休業補償等の決定的な遅れと不足は、確実にパートや非正規雇用で働いている人を急襲しています。収入が激減したり、あるいは店を廃業したり、リストラされたり、厳しい状態に追い込まれている人はたくさんいます。若い人でも住む場所を失ったり、バイトできずに学業を断念したり、将来や夢を失う人も続出しています。

 そういう直撃弾の被爆を受けた人だけではなくて、あらゆる人が目に見えないストレスやプレッシャーに苛まれて、大きな影響を被っているのです。社会的に弱い人々に特に重く圧し掛かり、しかしあまりにも当たり前のように圧し掛かっているので、ほとんどの人がその存在を認識しないまま知らないままに日々を過ごしている現実があります。ここはひとつ、このストレスやプレッシャーに「社会圧」という名前をつけて、対象化してしっかり認識する必要があると思います。

 実際、身体的な問題、たとえば血圧が高めだった人が治療が必要になったり、夫婦げんかで済んでいたものが離婚に至ったり、普通に子育てしているお母さんが不安定になって子どもへの虐待やネグレクト、不登校が増加しています。いじめもハラスメントもDVも、そして特に子どもや若い人の自殺の増加も、この「社会圧」による直接、間接の影響であると考えてよいように思います。

 1990年頃まで、「日本には子ども虐待はない」と宣う政治家や行政マンがいました。そんな筈はありません。よく保育園に行くと、園長先生が「うちの園児には貧困などの家庭に問題のある子どもはいません」と、平然と言われることがあります。もちろん、そんな筈もありません。見る視点、知識、問題に取り組む意識や責任感がないだけなのです。

 現在重たい暗雲のように「社会圧」が日本社会を覆って、特に弱い人々に圧し掛かって、多くの人が危険に晒されている、という認識を持つべきだと思います。

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