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11/4東吉野村天誅組第2回講演会③

2023年11月4日に東吉野村住民ホールで天誅組第2回講演会が開催されました。
オープニングまでのご紹介はこちら


岡本彰夫先生ご講演の様子はこちら

そしてパネルディスカッション
奈良県立大学客員教授 岡本彰夫氏
元東吉野村教育長 阪本基義氏(父)
天誅(忠)組記念館 館長 草村克彦氏
東吉野村天誅組顕彰会 会長 桝本君考氏
フリーアナウンサー 桑原征平氏(兼コーディネーター)

桑原さんのお声を聞いて、聞き馴染みがあると思い出しました。
テレビやラジオでご活躍です。
さすがプロで、テンポがいいし、面白いし、ご自身で勉強をされているし、また東吉野村に来ていただきたいなと思いました。

パネルディスカッションで印象に残っているのは桝本天誅組顕彰会会長のお話です。
桝本会長の家の前には宍戸弥四郎の碑があり、そこで遊んでいたそうです。
(今まで数人の村内在住の方にお話をお伺いしましたが、天誅組の史跡近くにお住まいの方は幼少期から何かしら関わっておられるようです。私の家は離れた場所にあるので全然知らずに過ごしました。)
史跡がいくつかありますが、近所の方が代々暗黙の了解で担当を決められていて、花をたむけていらっしゃるそうです。
(鷲家口にはいくつもの碑がありますが、それぞれ違う方が花をお供えしているそうです。)

そして、天誅組顕彰に人生をかけた東吉野村の梶谷留吉(とめきち)、信平(しんぺい)親子の話をされました。
明治22年、留吉の兄が来た際、一緒に天誅組のお墓へお参りに行ったそうです。
お墓は草に埋もれた状態。
兄が弟に天誅組の悲劇を語って聞かせたそうです。
それに感銘を受けた留吉は、荒れた墓を整備し記念碑や墓石の建立に尽力したそうです。
やっと33回忌の法要ができたと思いきや大きな台風で墓石が崩れ、7~8年かけて修復したそうです。
その時家は破産状態。
その後長男信平に引き継がれ、信平は2冊の本を書きあげました。
(信平も調査や出版のために全財産を使い果たしたそうです。湯の谷墓地には梶谷信平の墓もあります。)

パネルディスカッションは今後天誅組をどう顕彰していくかという話題に。
私は最期に桑原征平さんが「NHKの大河ドラマになったら多くの人が訪れ、ホテルが足りなくなりますね。」とおっしゃったことが印象に残りました。
「あ、そっか。」
今まで誰かと話していて大河ドラマの話題が出たことはありますが、天誅組の活動期間が短いこと、志士たちが若いことから、難しいのではと思っていました。
でも、朝ドラで「カムカムエヴリバディ」をしたNHKさんだから、何か工夫してくれるのではと思いました。
天誅組のイベントでは毎回「天誅組を伝えたいけど難しい」という話題になります。
「大河ドラマ」という大きな目標に向かってみんなが前向きに行動できるといいなと思いました。

私は天誅組の顕彰もそうですが、村の高齢化、過疎化が気になっています。
空き家が増え、朽ちていくのを見るのが辛いです。
今父の病気を皆さんが心配してくださっていますが、うちの集落の方のほとんどが父と同じような状態です。(父はまだ元気な方)
村に仕事があれば過疎化の問題が解決できるし、若い方が増えれば高齢者の負担も減るのではと思いました。

天誅組のイベントと同じ期間に東吉野村でオープンアトリエがありました。
そこで私はメキシコ人で日本の歴史の研究をしている方と出会いました。
(天誅組のことも学び、高知県津野町を訪問されています)
私はかねてより、海外の方の方が素直に天誅組に興味を持ってくれるのではないかと思っています。
メキシコ人の研究者の方と全世界に伝えていく楽しい計画を議論しました。
東吉野村が日本で一番有名な村になるといいです。






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