いつの世も 見渡す限り
善人ばかり 花盛り

「私こそが悪人です」と言ったところで、そこに慚愧が伴わなければ、私はただ罪悪の自覚に酔っているだけの善人に過ぎない。

これでは、親鸞聖人や蓮如上人のような「極悪人」には到底成れない。
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