ご催促のお念仏
朝目が覚めてなんまんだぶ
用を足すときなんまんだぶ
玄関出るときなんまんだぶ
電車に乗ったらなんまんだぶ
会社に着いたらなんまんだぶ
お昼を食べたらなんまんだぶ
仕事が終わってなんまんだぶ
湯船でゆったりなんまんだぶ
布団にくるまりなんまんだぶ
一日暮れてはなんまんだぶ
なんまんだぶつでまた明日
・・・と思ったら
夢の中までなんまんだぶ
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
如来様のご催促は、24時間営業、365日年中無休。まるで私の心臓の鼓動のよう。これが会社だったら、とんでもないブラック企業だ。だから心臓はいつかは諦めて、「疲れた。もうやーめた。」となるのだろう。
ところが、如来様には諦めるということがない。私のことを私よりよくご存じの如来様。今生、人間として生まれてくる前、始まりもなく、何億回、何兆回と生死流転を繰り返してきた私。そんな私に付きっきりで、なんまんだぶのご催促。私のお粗末な頭では到底理解などできるはずもない広大なお慈悲。そもそも「救ってくれ」とこっちが頼んだわけでもないのに、「必ず救う、どうか、お願いだから救わせてくれ」の先手のご催促。
如来様の仰せを聞かせていただき、自分の本性が暴かれてゆく。如来様にそこまでさせてしまっているのは、他でもないこの私だった。それでも如来様を無視し続け、血の涙を流させ続けてきた救いようのない親不孝者。何という愚かさ。何という無自覚。恥ずべきことである。これ以上驚愕すべき事実を私は知らない。この私ひとりを救うために、永遠ほどの時間がかかることも熟知された上で、それでも「救わずにはおれん」と、立ち上がられた如来様。
なんまんだぶ なんまんだぶ
称えるはずもない口から、今、称えられるはずもないお念仏が溢れ出てくる不思議。
聞くはずもない耳に、聞こえるはずもない如来様の喚び声が、今、聞こえている不思議。
お念仏など喜ぶはずもない石のような心が、今、この上もない悦びを感じている不思議。
この口も
この耳も
この心さえも
如来様からのいただきもの
大慈大悲のひとり働き
そうでなければ
全く辻褄が合わない
もともと
私の中のどこを探しても
出てくるのは厭らしい臭みばかり
欲深 怒り 妬み 驕慢 怠惰
尊いお念仏を悦ぶような
殊勝な心など
0.00000000000000000001%も
持ち合わせてはいない 私
嗚呼 それがどうだろう
もったいない もったいない
不思議不思議のご催促
なんまんだぶのご催促
皆さん、空也上人像をご覧になられたことがありますか?あの口から小人みたいなのが出てきているあれです。確か中学の歴史の教科書にも載っていたような気がします。ググったら、あーこれかーとわかると思います。
あれは実は口から小人が出てきているわけではなく、南・無・阿・弥・陀・仏と、六体の仏様の姿が現れているということなんですね。
阿弥陀如来は声の仏様となられて今、現に私に働きかけておられます。その「事態」を端的にビジュアライズすると、あの像の通りになるというわけです。言葉で説明するより直感的に伝わりますよね。
南無阿弥陀仏は、私の意思とか意図とかそんなものを遥かに超えた世界なのです。あの空也上人像には、今、私の身に起こっていることと全く同じ状況がそのまま表されているので、実はとても親近感があるのです。
南無阿弥陀仏
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