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私の求道体験記 ③二人の善智識 前篇「武村ショーゴ」さん

 仏教において、正しい教えを説き、真実の世界へ導いてくれる存在のことを「善智識」と呼びます。反対に、仏法を説きながらも、その本質を説かず、間違った道、迷いの道へ人々を導く存在を「悪知識」と呼びます。浄土真宗の祖、親鸞聖人にとって法然上人こそ「善智識」であり、そのような人と縁を持てるということが、自分では測り知れない大きな喜びであると言われております。

 私も、不思議なご縁で、私を導いてくれた善智識に出会うことができました。私には二人の善智識がおります。今回はこの二人の善智識についてご紹介させていただきたいと思います。

 まず一人目はTさんという在家の方(お坊さんではなく、普通の生活をしながら仏教に帰依する人)です。Tさんとは、2019年の9月頃に初めてお会いしました。彼は、当時京都駅近くのカフェで「仏教勉強会」を開催されており、ひょんなことから私もそれに参加させていただいたことがきっかけです。今でも彼とは月に1~2回会って、仏教の話を聞かせてもらっております。私の善智識であり、同時に良き友人でもあります。

 私は初め、仏教とは人間としてどのように生きるべきかを説く、道徳的な教えのようなものだと思っておりました。しかし、今はそうではなく、仏教とは、真理を伝え人間を迷いから目覚めさせる教えであると理解しております。なぜなら仏教で説かれていることは、紛れもない真実であり、私たちは普段そんなことを意識することも、気にすることもなく生きている、つまり深い迷いの中を生きているということをわからせてくれる教えだからです。

 仏教では、「因果の道理」「罪悪」「無常」というものが徹底して説かれます。「因果の道理」とは、ものごとは全て「原因⇔結果」という因果関係で成り立っており、その道理があてはまらないことなど何ひとつないということです。しかし、我々人間にはその道理を全て観ることができません。これを仏教では「愚痴」と呼びます。皆さんも「なんで自分ばかりこんな目に遭わなければならないのか?」と、一度は感じたことがあると思いますが、これも愚痴の心の一種と言えます。自分が被る結果ばかりに注目し、その原因となる行い(業)との因果が見えないんですね。これは人間の最大の迷いとも言えます。
 
 罪悪というのは非常に分かりやすいと思います。他者(人間)の命を奪うことは殺人という大きな罪悪ですよね。これは社会通念上でも罪に問われます。では動物の命を奪うことは罪悪にならないのかというと、仏教ではそれも全く変わらない罪悪なのだと説かれています。ところが我々は普段そんなこと意識しませんよね。スーパーに行けば当たり前のように肉や魚が並び、それを買って調理して食べる。そこに深い罪の意識を感じるほど繊細なデリカシーを持った人間など皆無だと思います。よくてせいぜい「命に感謝して、命を頂きましょう」という道徳心のようなものを持つくらいです。それは一見非常に大切なことのようですが、実はその考え自体がどこまでいっても、人間を中心とした考え方でしかないのです。食べられる側からしたら、感謝されようが、されまいが、「自分が食べられる」という事実に変わりはないのです。つまり、上で述べた因果の道理から観ると、命に感謝しようがしまいが自分で造った業はいずれ自分に結果として帰ってくるのです。ただそれだけです。毎日毎日命を取って、命を食べている我々の業がどういう結果として私たちにかたちとして現れるのか、想像したら恐ろしいですよね。仏法を聞いていけば、そんなことを実感する感受性すら持ち合わせていない自分というものがだんだんと知らされてくるのです。

 最後に「無常」ということです。これは、すべては移り変わり、留まるものなど何ひとつないということですね。「死」というものはその最たるものです。頭では自分もいつか死ぬとわかっていても、じゃあ明日、今夜、今から一時間後に、自分が死ぬ、その可能性があると言われてそれを実感することができますか?難しいですよね。人間は無常の世界で生きているにもかかわらず、無常を観ることができないんですね。これも深い深い迷いと言えます。

 このようなことを私はTさんから徹底的に教えていただきました。そして、仏法を聞けば聞くほど本当にそうだなあと感じずにはおれませんでした。因果の道理、罪悪、無常を自分の実生活に当てはめて考えてみても、それは厳然たる現実であり、そういう考え方もできるよな、というようなぼやっとした話ではないということがはっきりと知らされてくるのです。

 Tさんは「武村ショーゴ」というペンネームでnoteやブログも書かれておりますので、興味のある方は是非ご覧になってみてください。実生活の中で起こる様々な出来事を仏教的視点から細かく解説されており、仏教ということを抜きにしても非常に面白い記事がたくさんあります。


 次回は、私のもう一人の善智識である「久保光雲さん」についてご紹介したいと思います。それでは皆様、良い一日をお過ごしください。

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