疑わしきは……
綺麗に舗装された冷たい道の上を歩き、正確に製図された無機質な直線や曲線に朝から晩まで囲まれて過ごしていると、自分自身もだんだんと「あそび」がなくなってくるのかも知れない。
そして、無意識に少しの「はみ出し」さえ気になって、互いに個人的な正しさをぶつけ合うようになる。
わたしたちはいつからこんなにも「おおらかさ」を失ってしまったのだろう。
女性軽視発言で謝罪会見した政治家。
たまたま縁さえ揃っていたなら、あの場所に立っていたのはわたしだったかも知れない。その可能性を一体誰が否定できよう。
疑わしきはわたし。
誰かの言動を名指しで批判できるほどの善性が、わたしの中にあるとは、到底思えない。
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