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私の求道体験記・仏教のこと

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仏教とは何なのか?自己とは何なのか?浄土真宗の教えを通して私が体験したこと、感じたことを具体的に記録した記事を集めております。皆様にとってこれが仏教とのご縁になれば、嬉しく思いま…
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#念仏

私がどのようにして「死の問題」を解決したか

突然ですが、皆さんは病気になったら、どこへ行きますか?恐らく床屋でも八百屋でもなく病院へ…

東野たま
7か月前
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種を蒔く人

その人は 今日も黙々と種を蒔く 種を蒔くことがその人の仕事だから…… 来る日も 来る日も …

東野たま
10か月前
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アメリカの如来様

朝 会社へ向かう車の中で お念仏が聞こえてきた なんまんだぶ なんまんだぶ 私の口から 私…

東野たま
1年前
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空過(くうか)ということ

私の好きな僧侶系YouTuber「ねこたまさん」です。 “念仏の教えは、幸せに目が眩んだ状態に冷…

東野たま
2年前
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ご催促のお念仏

朝目が覚めてなんまんだぶ 用を足すときなんまんだぶ 玄関出るときなんまんだぶ 電車に乗った…

東野たま
2年前
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思慮分別の世界は

 『百聞は一見に如かず』

大慈大悲の世界は

 『百聞は一聞に如かず』

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

東野たま
2年前
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問題の所在

上記は、西光義敞師の著書「わが信心わが仏道」からの一節である。名号とはつまり南無阿弥陀仏のことである。南無阿弥陀仏は一切衆生を漏れなく救い、極楽浄土に往生させ、必ず仏にならせるという阿弥陀仏の大悲の願である。また、それを成就せしめるための阿弥陀仏の永遠ほどの仏道修行の功徳の当体である。その南無阿弥陀仏を煩悩べったりの凡夫のこの身にしかといただいておきながら、この喜びを誰かに伝えようとしてもなかなか伝えることができない。 「根本的な不自然、致命的な虚偽・・・」この言葉が頭から

『念仏者』

衣食住、生活のあらゆる場面で常に念仏申す。その心掛けは殊勝なことであります。

しかし、念仏申すために衣食住を成し、生活そのものが展開している。そう信受することこそ肝要でありましょう。

斯くして念仏者にとって、人生と称名念仏は同義となるのです。

南無阿弥陀仏

東野たま
2年前
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悩める教え

念仏称える私を仏にする 阿弥陀仏が そう誓われている 仏の言葉に嘘はない よって私は 必ず…

東野たま
2年前
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わからないこと、理解できないこと、自分の考えに沿わないことを、頭から否定すべきではない。かといって無理に肯定する必要もない。

花を眺めるように、ただ眺めてみればよい。私たちが花について知っていることなど、所詮その花の名前くらいのものなのだから。

東野たま
3年前
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