マガジンのカバー画像

私の求道体験記・仏教のこと

91
仏教とは何なのか?自己とは何なのか?浄土真宗の教えを通して私が体験したこと、感じたことを具体的に記録した記事を集めております。皆様にとってこれが仏教とのご縁になれば、嬉しく思いま…
運営しているクリエイター

2021年5月の記事一覧

人間に何かしらの絶対的な指針を与え、思考停止させるものを宗教と呼ぶなら、仏教はそのいかなる側面においても宗教とは言い難い。

現代人は宗教を求めるか、宗教には用はないか、そのどちらかの選択肢しか持たない場合が多い。

これは、科学がもたらした悲劇とも言えるだろう。

東野たま
3年前
23

自分の善を主張する
善人の顔は甚だ険しく

自分の悪を自覚する
悪人の顔は至って和やか

東野たま
3年前
22

人間に於ける「目覚め」とは、此処ではない何処かへの憧憬に始まり、何処でもない此処の発見に帰着するということではないでしょうか。

此処を離れて如何なる場所に、人生の彼岸など存在し得ると云うのでしょう。

東野たま
3年前
17

わからないこと、理解できないこと、自分の考えに沿わないことを、頭から否定すべきではない。かといって無理に肯定する必要もない。

花を眺めるように、ただ眺めてみればよい。私たちが花について知っていることなど、所詮その花の名前くらいのものなのだから。

東野たま
3年前
25

いつの世も 見渡す限り
善人ばかり 花盛り

「私こそが悪人です」と言ったところで、そこに慚愧が伴わなければ、私はただ罪悪の自覚に酔っているだけの善人に過ぎない。

これでは、親鸞聖人や蓮如上人のような「極悪人」には到底成れない。

東野たま
3年前
22

「師」

師とは、私の問いに明確に答えを示してくれる人でも、私の進むべき道を照らし、手を引いて導いてくれる人でも、本当にその道で大丈夫かと忠告してくれる人でもない。

師とは、どこまでも私が私自身に問うことをやめさせてくれない人だ。

東野たま
3年前
24

言葉を持たないものたちは、人間とは全く違う次元で、本願の世界に生きているのではないでしょうか。 言葉しか持たない我々より、遥かに直接的・直感的な次元で。

「自分らしく生きる」

私にとって自分らしく生きるとは、自分という不確かなものを軸として、思うがまま生きていくことではありません。

仏法という確かなものを軸として、自分はどう生きるのかを、自分自身に問うていくことです。

東野たま
3年前
20

当たり前

食いものが喰えて当たり前 そうじゃなかろう 旨いものが喰えて当たり前 住む家があって当たり…

東野たま
3年前
23

爽やかな朝、歩道をゆっくり歩いていたら、後ろから逆走してきた自転車に「邪魔だ、どけ」と言わんばかりに思いっきりベルを鳴らされた。

私がさっと端によけると、自転車は猛スピードで走り去っていった。

それを見て「あいつはおかしい、自分は正しい」と思った私を、私が見つめていた。

東野たま
3年前
24

とある裁判にて

「わたしの子供、親、兄弟、一族郎党、ことごとく捕らえられ、こいつに喰われました」 豚が言…

東野たま
3年前
43

問題が解決されるに二つの方法あり。

ひとつは、その問題に正しい答えが示されること。もうひとつは、その問題が最早問題でなくなること。

東野たま
3年前
22