月と黒猫

気分がよかったので、少し遠くまで散歩をした。ふと、空を見ると、月があまりに綺麗だったので、挨拶をしてみた。
「こんばんは、とても綺麗ですね」
瞬間、月は燃えたように赤くなり、しゅっと山の方に隠れてしまった。月の光源がなくなると、だいぶん暗くなってしまったので、懐中電灯を懐から出して、電気をつける。すると、後ろから「おい、おまえなあ」と声がした。私は振り返って、声の主に懐中電灯を向ける。「まぶしいな」懐中電灯の光をくらって、声の主は眉間に皺を寄せた。でかい黒猫だった。
「おまえなあ、月が隠れてしまったじゃねえか。ここいら一帯は、暗いから、月の明かりを頼りに生活しているやつだって、少なくないんだぜ」
黒猫は眉間に皺を寄せたまま、私にそう言った。私は、ここの居住者ではないし、それは知らなかったので、「それは、すみません」と、素直に謝った。しかし、黒猫は許さない。
「ごめんですんだら、警察はいらねえんだ。とにかく、月をどうにかしないことにはよ。ほらあ、言ってるそばから。そこ、見てみろ」
黒猫が顎で示す方に懐中電灯の光を当てると、ネズミが石に足をとられ、頭でも打ったのか、突っ伏して、気を失っている。「あらあ」私が心配して、近付くよりも早く、黒猫は、ネズミにかけよって、その身体の首根っこをくわえ、ちぎり取って、食ってしまった。「ほら、おまえのせいで、ネズミは俺に食われたぜ」黒猫は、得意げに言う。
私は、心が苦しくなったので、月に出てきてくれるよう、頼むことにした。「おうい、お月さん。ネズミが死んじまいました。どうか、出てきてくれませんか」
月は、その顔を、山の陰からチラと見せた。その顔は燃えるように赤く、いつものように黄色くはなかった。それでも、しっかりと明るくって、これはこれで、とても綺麗だった。「ははあ、赤くなっても、綺麗なものですね」
つい口をついて出た私の言葉に、月は「きゃっ」と小さく呟いて、また、山の後ろに引っ込んでしまった。
「おまえはさあ、ほんと、下手くそなんだから」ネズミを食い散らかして、満足した黒猫が、いつの間にか、私の隣にいた。私は、どうしたもんかと空を見上げながら、途方に暮れていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?