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見えない獣の世界で


 うぉーん、うぉおーん、と、私の内側で獣が哭く。
 こんなに鳴り響いているのに、その哭き声は、あなたには聴こえることがない。こうして獣を哭かせてしまうのは他でもない、あなたがくれた言葉であるというのに。

 良い聴き手は良い演奏を生む。今、私の言葉が際立つのだとしたら、光るのだとしたら、それは良い読み手のあなたがいらっしゃるからだ。ただただ虚空に書きつけるのとはもうまるで違ってしまったことを、この指は知っている。
 画面上のキーボードにサラサラと指を滑らせながら、この指は考える、こんなに流れるように私は一体誰に向かって、何に向けて、言葉を重ねるのだろう?もうここに一人では無いということが、何処かで誰かに読まれうるということが、その豊かさが私の言葉を尚更奔流へと変えてゆく、流れだす言葉に私は思う。…一人で自分の言葉を聴いていた時よりも、恐れが無いのはどういうことだろう?
 この言葉を誰かが愛してくれる保証など何処にもないのに。誰かを傷つけてしまう可能性なら100万通りあるのに。
 それでも私は書くし、愛される保証など何処にもないと自分を脅しつけながら反対の耳には、でも誰よりも自分の言葉を私が愛していると囁く。
 片耳に脅し、片耳に愛、身の内に獣の哭く声を聴きながら、そうして私は思う。

 あなたの言葉はこうして私のなかにするすると音もなく注ぎこまれる。そうしていとも容易く、石像みたいに凍えていたはずの私の獣を哭かせてみせる。なのに、この哭き声をあなたは知らない、知る由もない、知らなくっていい。ここで私は獣とふたりこの肌の内側で孤独にされる。自分のなかに、置き去りにされるのだ、と。

 哭きわめく獣はあなたに恨み言を歌うだろうか。それとも、それを歌うのは私だろうか。恨み言に変わってもいいんじゃないかなぁ、だってそれくらい今獣は哭いている。それを聴かされる私の足元はひどくあたたかく浮ついていて、もう日常に戻れる気がしないくらい…解放されてしまった。こんなに優しいこの混沌、闇も光もクルクル入れ替わって永遠に続くエレクトリカルパレードな現実世界で。…だから。
 
 どんな言葉にも、したくない。だって感謝だけでは嘘になりそうだ。愛情だけでは虚ろになりそうだ。うねるこの響きは言葉にはならない、あなたには聴こえない、聴かせられない、それなのに頭の何処が頑なに、聴いてほしいと駄々をこねている。“あなたに、届いてほしい。”

 しかたがなくて私は、こんなことを思ってみる。

 あなたの身の内にも、きっと獣がいるのでしょう…?だからこそ私が書く、この。獣の哭き声をほどいて編みなおし、色を染めて願いに変える、そんな私の言葉を愛してくれたりするのでしょう…?
 あなたと私が人の言葉をやわやわと交わす僅かのあいだ…世界の何処か、知らない場所で、あなたの獣と私の獣とが何処かで、邂逅してくれたら良いな。

 哭くのか笑うのか、すれ違うだけなのか一緒に踊るのか、分からないけれどそうやって、肌の内側に閉じこめられてしまう私とあなたそれぞれの獣が、見えない獣の世界で出逢ってくれていたら…良い。

 そんなことを、想像する。そうして、やっと。
 私は、どうしようもなく、まだ何も知らないで懐いて哭いてしまった自分の獣へやさしく声をかけることができる。

ーー行こう、この先へ。

 うぉんうぉんと獣が哭く。笑っているのか泣いているのかだんだんと、わからないままぼやけてゆく。お前と一緒でも、大丈夫なのかもしれない、こんなふうに、生きていけるのかもしれない。永遠に、誰にも聴いてもらえない声で、それでも哭くことをやめないお前を連れて。もしかしたら私にも見えない獣の世界では、お前にもともだちができるかもしれない、いいや、もしかしたら…もうとっくに。って…そんな、優しい妄想を、手の平に握りしめて。

行こう、この先へ。


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