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大念仏寺の幽霊

「大念仏寺には幽霊がおってん!だから、幽霊の片袖があんねん」

「そうなん?ほんまに幽霊なんかおんの?」

「おるおる、だから大念仏寺行こうや!」

「え〜、オレ怖いしやめとこうかな。」

「こうちゃんだけ1人で行ってきいや!」

「ひがちゃんはホンマヘタレやな!しょんべんちびってんちゃうぞ。」

「しょんべんなんかチビッてへんわ」

「ほな、行こう!」

「しゃーないな。ついてったるわ。」

大念仏寺(だいねんぶつじ)は、大阪市平野区にある寺院。

融通念仏宗総本山。創建は大治2年(1127年)とされ、日本最初の念仏道場である。本尊は十一尊天得如来(絵像)。「十一尊天得如来」とは融通念仏宗特有の呼称で、阿弥陀如来と十菩薩の絵像である。Wikipedia参照

ここの名物となっているものが、

幽霊シリーズで「幽霊の片袖」や「幽霊の掛軸」なるものが多数存在する。

幽霊の片袖に関して詳しく書くと、

「大念佛寺が所有する宝物の中に「亡女の片袖」が存在する。

元和3年(1617)に箱根権現参拝していた奥州出身の巡礼者が、山中で摂津住吉の社人松太夫の妻の霊に出会い、平野大念佛寺の第三十六世道和(どうわ)上人に回向(えこう)を受けられるよう夫への伝言を依頼され、その証に亡女から朽葉色の片袖と香盒(こうごう)を手渡される。

巡礼者は住吉の松太夫宅で事と次第を伝える。最初は疑っていた松太夫だが、亡女から証拠の品として預かった2品を見せると、松太夫は疑う余地なく道和上人に回向を願い出る。

上人は心より哀れに思い、天得如来の前で一心に法要を執り行った。法要は夜更けまでおよぶと、夢ともなく現ともなく紫雲がたなびき、蓮華を踏んで薫香を帯びた女人が忽然(こつぜん)と現れ、極楽往生を遂げたことを告げ、西の空へ飛び去ったという。
『片袖縁起』より
亡女遺愛の品である片袖と香盒は、大念佛寺へ納められ、現在でも宝物として伝わっている。」
大念仏寺ホームページ参照


つまり、このような代物である。

エピソードだけ見れば、切な心がグッとつまされる一説だ。
今考えればなんとも切ない。

こうちゃんと、オレはトンボ自転車でさっそうとJR平野駅から続く1本の坂道を登っていた。

「あれが大念仏寺やで」

「おぉ、ほな入ろか!」

中に入り、2〜3m大の小石が引き詰められた寺内を通り、本堂の横に自転車を停めた。

「あっついなー、今日って何度くらいあんの?」

「おはよう朝日では、32°度まで上がる言うとったで」

「そら暑いわ。」

自転車を置いて、だらだらと流れてくる汗を右腕の甲で拭いながら本堂のほうまで歩く。

「こうちゃん、どこに幽霊おるんや?」

「ここや、ここや、ここに幽霊がおるんやって」

「だからどこなん?」

「ここやて!ここ。」

それは本堂の階段の横にある、木の柵のようになった空洞部分である。

「へー、こんなんなってんねんなー」

「せやねん!ほら、ここはなんか寒いやろ」

「うわ、ほんまや」

「でっ、あそこ見て見いや」

「なんか動いてへんか?」

「見えへん、見えへん」

オレはずーっと覗き込む。

「ん。なんや。なんかおんで。シー、、見え、た?!」

そこには白い物体が確かに見える。
3本柱奥の右側に小さな白い物体が確かに見えるのである。

「うそーー!マジー?」

こうちゃんも覗く。

「ゴクッ(生唾を飲み込む)、うわっ!!あかん逃げろー」

2人とも何度も何度ももつれる脚をなんとか立て直して石でできた階段を下り一目散にトンボ自転車に乗り込みペダルを踏みこむ。

「ひがちゃん遅いな!はよいくで」

「こうちゃん!まってー!」

2人ともうだるような汗とも冷や汗ともつかぬ「ベタサラ」とした汗を全身に纏い最高速度でペダルを踏み込み大念仏寺を後にしたのだった。

「こうちゃん、あれはなんやったんやろな?」

このような話しは日本のどの地域に行ってもあるのだが、実際に体験までした人はどのくらいいるだろうか。

本当にオレが見たのはまぎれもない幽霊だったのか?
それとも恐怖心から出現した物体だったのか?
真相は闇の中だ。

今となって想うのはこのような「逸話」のある場所というのはなんらかのエネルギーが発生しているのは間違いないということ。

闇の中にこそ、闇の中でしか存在しない何かがあるのだろう。

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