私は主婦にあこがれる

一度でいいから言ってみたい。主婦になりたいと。

皮肉ではない。純粋な本音である。私の夫は、私を扶養に入れる気はないと、結婚前から言っていた。平等意識が強い人なので、そういえば、交際している時から割り勘だったし、就職に関しても、業界は違えど、妻は妻でフルタイムで働いてほしい、という思いで励ましてくれていた。逆に言えば、俺を経済的、心理的にサポートしてくれと言われたこともない。夫には、家事も育児も同等にこなしているという自負があり、主婦は家庭に不要だと思っている。

しかし、私は、次の永久就職先があるなら、主婦を選びたい。
この書き方が気持ち悪いのはわかっている。これは、昭和時代、今から50年前、永久就職と女性に使うことで、若くして女性の結婚と主婦になることを促し、男女格差を助長したフレーズだからだ。私は女性差別を助長したくない。

だが、私は自分が三児の母親になり、仕事と育児に疲弊したときに、ふと思う。私が主婦だったら、こんなに疲弊したのかと。育児だけに専念するならば、経験した世界は、違っているのではないかと。多子はキャリアを詰むのか、でも書いたが、私は右往左往している。自分の人生選択が正しかったのかと。

生き方に正しさなど、評価しようがないことはわかっている。あとは、自分の納得感だ。自分が、自分の生き方に納得できないというフラストレーションを抱えながら中年女性になっても生きていることに、正直違和感しかない。私がティーンエージャーなら、そうだよね、思春期色々思うよね、と寄り添えるけれど、私はこの年になって、それなりに社会をみてきて、経験があるのに、今更何を言うとんのや、と自省してしまう。

私の永久就職が実現するとは、思えない。
そして、仮にも、転生がおきてスライムじゃなかったとしても、すばらしい人徳と財力のある男性に出会えると限らないし、すばらしくても、モラ夫なら離婚するかもしれないし、人生の出会いが運のようなものだとしたら、やっぱり人生の正解はわからない。結局、今の人生をどう生きるか、ということだけが、課題なのだ。



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