見出し画像

思考の漂流

あれやこれやと考え事を分岐させていく時間を大切にしたい。主に考えるのは自分の会社やビジネスのことなのだけれど、そんな中に自分の子供のことや奥さんのことがふわり、ふわりと浮かんできたり、10年後の展望なんかが突然壮大なストーリー展開で始まってみたりもする。誰かに止められるでもない、誰かが助けてくれるでもない。そもそも、誰かの助けを希望していない。思考の漂流とはまさに孤独で自由な、他者の侵害が絶対に許されない時間なのである。

私の場合、時や状況に限定されず、割とどのような場所でもそのモードになることができるが、土曜日の午後の喫茶店が比較的多いだろうか。自分専用の事務所でも構えることができればそれが理想なのだろうが、そう簡単に叶わないから理想なのだ。そのうちに自家用車をキャンピングに変えて書斎化してしまおうかとも考えているが、維持費のことを考えるとどうだろうか。できれば自宅をもう少し広い場所へ住み替えて一室を自分の居室にしたいところだがこの物価高騰の時代、住み替えが最も難易度が高いだろう……こうして、私の思考は今日もまた見知らぬ地へ向けて無計画に飛び立つのである。

どこが目的地なのだろう。時々考える。私はどうなれば満足できるのだろう。あれこれ、とビジネスの幅を広げた。資格をとった。所得も増えた。だが、まだ何一つ満足などしていない。私は何を目指すのだろう。私は何処を目指すのだろう。この思いは焦燥感にも似ていて、時折息苦しくなる。だからきっと私は考えるのだ。思考を漂流させるのだ。引き続き不明のままの最終目的地は別として当面の目標、手をかける場所、足を休める場所を作り出すために。またもう一度、前を向けるように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?