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裕次郎さん(ねこ)の命日にあたり

※写真は、在りし日の裕次郎さんです

2016年3月1日。裕次郎さん(ねこ)が亡くなった。今日は命日。5年経っても過去のことにはならない。
朝は元気だった裕次郎さんが、帰宅するとまだ暖かいまま動かない。信じられなかった。16歳を迎えても別れの気配を感じることはなかったのに、パタリと途切れた命は、起承転結の通りにはいかなかった。

帰宅して、いつもは出迎えてくれる裕次郎さんが、玄関の手前で寝ている。朝、冷たくなってしまっていた猫の話を聞いたことを思い出す。そっと身体にふれる。温かい。よかった。変なところで寝てる、だけだ。

抱き上げる。少し目が開いている。首がくるりと揺れる。なんだ起きてるじゃないか。

そう思うと同時に、異常に柔らかな身体に違和感を覚える。

一瞬で、頭は理解した。亡くなってしまったのだ。16歳。寿命だろう。ずっと元気だったから、勝手に20歳までは生きてくれると思っていただけれど、もうおじいちゃんだったのだ。でも、心は全く追い付かない。

なんで。

だって元気だった。元気だった。本当に元気だった?私が気づかなかっただけじゃないのか?実は具合悪かったのに気づいてあげられなかったのではないのか。何かできることはなかったか?そういえば、食事の量は少なかったのではないか。ブラッシングもそんなにこまめにやっていなかった。どこか痛かったということはないか。

それに、こんなところで息絶えているということは、あと一瞬早く帰宅したら最期に立ち会えたのではないか?出迎えようとして、そして途中で絶えたようにしか見えない。私の足音を聞いて、いつも通り出迎えに来る途中で。

朝ちょうど、いつものカリカリがなくなり、帰宅したら注文しようと思っていた。数日は猫缶だけで過ごしていただく“猫缶天国”になる予定だった。そんなに毎日あげてはいなかったから。年齢を考えると、もっと猫缶をあげておくべきだったのか?

抱き上げて少しずつ冷えてゆく体温を感じながら、ただただ悲しくて、悲しくて、でもその中で火葬の準備や安置を済ませた。友人の猫が亡くなった時に丁寧に火葬してくれたという業者さんに電話をした。硬くなってしまう前に業者さん指定のポーズにして寝かせ、わけがわからなくてとにかくじっとしていられず、台所の洗い物を済ませた。皿を何枚か割ってしまった。

そして葬儀までの数日間、寒い部屋で暖房をつけずに隣で過ごした。空きがなくてすぐに火葬できないので霊安室で預かるとも言われたけれど、一緒に過ごしたかった。寒い時期で良かった。あわてて乗せた保冷剤のせいで、おなかが少しへこんでしまった。そのおかげで、もう「裕次郎さんだったモノなのだ」と、少し自分に言い聞かせる材料ができた。毛並みはツヤツヤとしていて、肉球はいつまでも柔らかかった。

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後日、知り合いの霊能者の方と話した際、裕次郎さんが実は苦しんでいたのではないか、何か伝えたいことはなかったか聞いてみた。

すぐに笑って、「まだ部屋にいる」と言われた。なんの不満もないし幸せだったから、そのまま居るんだね。居たいだけ居させてあげたらいい。

気休めだったかもしれないけれど、とても救われた。

その年の新盆のおわり、ふと明け方に名前を呼んだら、おなかにずっしりといつもの重みを感じた。見たら消えてしまう気がして、目は開けなかった。それ以来、気配を感じることはなくなった。

こんなに大切に思ってくれた存在は他にいないし、これ以上大切に思える存在ももう現れないかもしれない。本気でそう思っている。

自分もいつかは逝く。その時も唐突に訪れるのかもしれない。
そう覚悟した。
どんな終わり方でも寿命は寿命だ。
命も、関係も、感情も、いつかは尽きる。
今生きて、在ること、関係を結んでいることの有り難さ。
裕次郎さんという乗り物に乗って共に生きてくれた魂には、悲しみと共に、深く感謝している。 

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