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4月のことば

新年度、桜舞うこの季節になると、いつも決まって思い出す言葉があります。

「4月は勤め人の正月、なんだよ」

年度という概念は、明治時代にイギリスの会計年度に倣って4月としたとされていますが、ここまで長く浸透すると、染み付いた時節感になっていると思います。
そして、働き始めて長くなると、この言葉はより含蓄を増してくる気がします。

クォーター区切りのリブセンスに来て、年度の感覚は大分薄れてしまいましたが、出会いと別れの多いこの季節、「1Qの終わり」という名であっても、その感覚は変わらないと思います。
ちなみにこの言葉は、前の職場の上司の言葉なのですが、桜を見ると自然と思い出すのです。

これまで、たくさんの出会いと別れを踏み越えてきましたが、その上司は生涯忘れることができない存在です。
仕事の仕方、というよりは魂のようなものを、背中で学ばせてもらった存在でした。
根っからの正義漢で、社会の不正は仕事関係なく正していく―そんな義侠な人が現実にいることを思い知らされた経験は初めてでした。
仕事とプライベートが全く分かれていない人で、平気で僕の人生に入ってきて、たくさんの言葉をくれました。

とても僕が落ち込んでいたある日、いっしょに居酒屋で飲んでいたのですが、手元の割り箸入れにボールペンでさらりと「止揚」とだけ書いて、僕にそっと手渡してくれました。
「俺は金はやれないが、言葉はあげられる。」
ドイツ語で、Aufhebenと呼ばれるその概念は、その後、僕の人生の柱のような存在になっています。

定年退職して数年後、彼は突然倒れ帰らぬ人となりました。
その日はちょうど僕の誕生日で、そういう意味でも未だに忘れることはできません。
50代で一度生死の境を彷徨ったこともあって、生前よく、
「俺は一度死んでる。あとはおまけみたいなもんだ」
と笑っていました。私利私欲なく、正しいと思った方に豪快に突き進む牽引力は、そうした悔いのなさからあったのかもしれません。
1964東京五輪の地方聖火ランナーでもあった彼が、来年を迎えたらなんといってたかな。今年の春は、五輪の近づきと共に、なんだかよく思い出してしまいます。


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