「推しは推せるときに推せ」についての私なりの思い
(個人の意見です)
「推しは推せるときに推せ」。
度々目にする言葉です。
アイドルやその他たくさんのジャンルの推しがいる方はこれを肝に銘じて生きていらっしゃると思います。
仕事から帰ってニュースを見たら、私の好きなボカロ曲の作者で、気になって今度曲聴いてみよう、と思っていたアーティストの方の訃報を目にしました。
ショックでした。
今度、じゃなくてその時聴いておけばよかった、と後悔しました。
そして、
「推しは推せるときに推せ」。
この言葉は真理でありながら、呪いである。
後悔しないよう「推しは推せるときに推せ」。
きっとこの言葉を最初に使った方は、自分が体験した憤りや悲しみ、後悔を後世の人々に味わわせたくない、という思いだったのでしょう。
では、一体どこまで推せばいいの?
イベント全通?グッズ全購入?出待ち?ツーショット?
私は地方民です。交通費がチケット代の20倍は基本です。
それを言い訳にしたくはありません。でも、東京近郊で、お金も時間も有り余る人の前では塵同然です。
「もし地震が来て公演行けなかったら、いやその前に推しが被災したらどうしよう」
新幹線の中でそんなことを考えながら会場に向かいます。
無事に公演が終了して、自宅について、「あぁ楽しかった」といつもなります。
「考えすぎだよ、そんなこと起こらないよ」と思うかもしれません。
でも、起こらないとは言い切れないのです。
「推しは推せるときに推せ」はとてつもなくエネルギーを使う
皆さんは、明日自分が死ぬかもと思ったことはありますか。
本当は毎日生きていることに感謝しながら生活しないといけないのでしょうが、おそらく現実では無理です。
「推せるときに推せ」もその仲間なのだと思います。
多分2,3日は意識しますが、そのあとは日常が永遠であると思うような生活に戻るでしょう。ずっと意識できる方もいると思いますが、出来なくても自分を責めないでほしいです。
私はできません。脳がパンクします。
疲れたのか今目が霞んでいます。
一口に「推す」と言っても何を大事にするかは人それぞれだと思います。
確かに一回でも多くライブに行って空気を感じたり体験した方が私は良いのかなと思います。
でも強要はしたくない。
じゃあどうすればいいのか、とまとめようとしたけど何をいっても「そうじゃない人の気持ちをかんがえろ!」とか「お前はいつもそうなんだな?矛盾を指摘してやる!」という方が出てくると思ったのでこれだけは。
私は絶対衝撃を受けるうえに、絶対後悔する。
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