2021年3月12日の日記

それにしたって私は創作に疲れていたらしいので、創作を始めて初めて(あああ~こんなくだらないギャグを入れるつもりでは…)思い切って1週間お休みした。いままではオンザ原稿じゃなくても頭の片隅で原稿の火種がちらちら燃え続けていたんだけど、それすらも吹き消して、まじで自分のしたいことしかしなかった。下着をつけ忘れたまま出勤した日のような、背徳感を含んだ快楽と解放感だった。超楽しかった。下着を忘れた日の仕事って妙に最強な私気分になれるしね。

お休みしていたこの1週間、原稿はしなかったけど自分の過去作はあれこれ読み返した。主人公が西安へ渡ってすったもんだ恋をする話、『子育て』をテーマにしたときに書いた保護司と喫茶店店主が恋をする話(当時の私は保護司と被保護観察者との関係で子育てというテーマに挑むつもりだったらしい。むちゃすぎる)、“努力”を数値化して外見に反映させることができるようになった近未来で恋をするふたりの青年の話、DQNネームをもつ中国人と日本人がその苦しみをわかちあううちに恋に至る話……あわわわ癖が強すぎる。ちなみに私の核をなす性癖が「多言語話者が言語によって思考が引っ張られたりあっちの言語で言えることがこっちの言語では言えなかったりする描写」なので、2作に1作は外国語を話すシーンが出てくる。多すぎ。

でもどの話を読んでも、書きたいシーンへの熱がたしかに伝わってきた。自分のニッチな性癖をカバーしてやれるのは自分だけだという意気込みや、主人公を苦しめたいという欲望や、「たとえばこんなふたりが出会ったらどうなるんやろ?」という疑問。
私は常に、そのときいちばん自分が読みたい話を書き続けてきた。だから書き終えたとき、自分の書いた話は間違いなく世界でいちばんおもしろいものであり続けたのだ。だっていちばん読みたかった話やもん。ニッチな性癖をちゃんとカバーしてくれてるもん。すごい、こんなに私の性癖をわかってる話ってほかにないよ! やったーハッピー!! 私は私の書く話が好きだった。んで、気づいた。

私はその時々の私の「いちばん読みたい」話を書かなかったとき、自分の書いた話がおもしろいと思えなくなることが怖かった。

重箱の隅を突き続ければ私は喜んでくれる。だって私の読みたかったやつやし。
でもそうじゃなかったら、自分の作品をこれまでと同じように楽しめるかがわからない。くっそ甘ったれめ、私。

えええ~大丈夫だよ書いてしまったら愛着わくに決まってんじゃん!という気持ちと、待って本当に大丈夫なのちゃんと自分の話をおもしろいと思えるの?という気持ちがせめぎあっている。
絶対に自分の話を「おもしろくない」なんて言いたくない。いや、過去作にもおもろくないやつはあるんやけどね? もっとここどうにかできたやろ~なんてのは山ほどあるが、私の性癖のための私によるニッチな萌えシーンがそのマイナスを打ち消している。そんな反則的な裏技は私のいちばん書きたいものを書かなかったらきっと使えない。それに向き合えるかがわからない。こわいよママ~。

とまあいろいろ考えすぎてしまったが、前向きに考えると! きっとラブコメでも明るくポップな話でも書き続けられる。おもしろい話さえ書けば解決する話、なので。ニッチな性癖で自分の胸きゅんを刺激しなくても、ストーリーだのなんだのきちんと正面からおもしろい話を書くことと向き合えばいい。でも私のネガティブな部分は「いやいやいやいやおもしろい話を書けば解決ってそれはそうかもなんやけどそうやなくって!」とわめいている。うーん困ったな。もうとにかく書くしかない気がする。半年間はがんばるって決めてしまったし。

とにかく半年間はラブコメに挑戦すると決めたので書くしかない。私にラブコメの才能があるって気づかれたらどうしよう。そのうち「あ、ラブコメのひとだよね?」とか言われたらどうしよう。シリアスのひとって思われたいのに。
残念ながら雑食にはほど遠い私やけど、性癖が360度中72度くらいの角度しか開かれていないけど、そこを狙ってバットを振るのが私の役目やったんやけど。そんなのとはいったんおさらばして、王道を書く。書くぞ。書くって決めたぞ。

半年間だけね。半年後にはどうなってんのやろ。書きたいって思えてたらいいなあ。でも自分の性癖に素直になろうって決めてもまあそれはそれで。

ところで話は変わりますが、数年前に中国で知り合ったヨーロッパ人と同棲を始めたんですよ。人生はドラマティックですね。共通語が中国語なんですよ。上記の通り多言語話者が(中略)萌えがあるので、私(日本人)と彼(ヨーロッパ人)との間に中国語しか横たわっていないというのに萌えて萌えてたまりません。あーあ、私が男やったらもっともっともっと萌えたのに。男女の恋愛かなーり苦手なんやよね……

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