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手の届く範囲での嫉妬でしか人間は成長しない気がする

北原白秋の才能に嫉妬した。え、き、北原白秋に嫉妬してんの? いや、北原白秋に嫉妬してもしゃーないやろ。北原白秋なんて詩の世界の神様みたいなもんやし、一作家志望が嫉妬していい相手ではないやん、現実見ろって、かっこわら。…………うるせーーー! 嫉妬している。してしまったのだ。嫉妬とか恋心とか、自分の理性ではコントロールの効かない感情に正論を持ち出されるとときおりむしょうに腹が立つ。

きっかけは室生犀星記念館の企画展「詩の双生児 ー君は土、彼は硝子ー」に連れて行かれたことだった。
フォロワーに「ひえんさんが楽しめるかわかんないけど」と誘われた。どうしても企画展が見たいらしい。その日はひどく暑かった。日傘を差していても、コンクリートに突き刺さる日光が眼球に入るだけでめまいがしそうだった。涼めるならばどこだっていい。

入口で企画展ののぼりを見たとき、めちゃくちゃいいなと思った。めちゃくちゃいい。帯にしてほしい。本屋さんで『君は土、彼は硝子』と印字された帯の文庫本を見かけたら衝動買いするだろう。
のぼりをじろじろ見る私に、フォロワーが「犀星と朔太郎は仲良しだったんだよ」と説明してくれる。ふーん。仲がよかったと言われても、私は犀星のことをほとんど知らない。まったく知らないひとの記念館に入るのは社会見学以来かもしれないと、すこしわくわくしながら入館した。

ら、その企画展がすばらしかった。
そして私は北原白秋に嫉妬した。

企画展のはじめで、件の『君は土、彼は硝子』が、室生犀星「愛の詩集」に寄せた北原白秋の文章の一節なのだと知った。すんごいセンスだな、と何様なことを思いながら、企画展を見た。犀星と朔太郎の関係が時系列で展示されていた。初心者にはものすごくありがたい丁寧さだった。

そうして見終わったときには、ふたりの関係を『君は土、彼は硝子』と表現した白秋のセンスに嫉妬を覚えていたのだ。え〜〜〜? いや、白秋に嫉妬なんてあんた、千年は早いで……うるせーーー! そんなことわかっている。わかっているのだ。わかっているけれど、このセンス、ほしい……!

じっくり企画展を見ているフォロワーずを横目に、私はロビーですぐさま『愛の詩集』を検索した。幸い青空文庫にあったので、すぐに読むことができた。

君は健康であり、彼は繊弱である。君は土、彼は硝子。君は裸の蝋燭、彼は電球。君は曠原の自然木、彼は幾何学式庭園の竹、君は逞ましい蛮人、而して彼は比歇的利性の文明人。

青空文庫

北原白秋の才能がほしい。センスがほしい。リズム感がほしい。青林檎のような香りが漂い、凛とした強さのにじみ出る文章にうっとりと酔いしれた。白秋の爪の垢を分けてもらえたら本気で口に入れると思う。

君は土、彼は硝子。君は土、彼は硝子。君は土、彼は硝子……。百年経っても私にこのセンスは手に入らないだろう。土と硝子を対比させようという発想が浮かばない。そもそも犀星と朔太郎を、土と硝子で表現しようなんて思えない。私は犀星と朔太郎の関係をほとんど知らないのに、企画展を見た上で『君は土、彼は硝子』という表現を見たら、ああそうか……とふしぎな力強さで納得させられた。完敗だ。何と戦っているのかわからないけれど、もう絶対に勝てない。

私ならなんと対比させるだろうか。「土」に対比させるなら「風」をもってきそうだし、「硝子」ならば「ダイヤモンド」かな……凡人め!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

そのまままたフォロワーに連れられて、『謎屋珈琲店』に入った。謎解きが楽しめるカフェだという。私も謎解きの類は好きなのだが、謎解きに慣れたフォロワーがさくさくと進めるので私の出番はなかった。そもそも私は脳内を『君は土、彼は硝子』に占領されていた。
黙々と青空文庫で『愛の詩集』を読み進める。教科書以外で近代詩はほとんど読んだことがない。私はずっと定型詩に興味があり、特に漢詩と短歌が好きだった。詩のリズムを楽しんできた私にとって、犀星の詩はどう読めばいいかわからないものだった。
犀星の詩と出会ってまだ数時間しか経っていない。楽しみ方がわからない。細い糸をたぐるように、ちぎれさせないように、ひっぱりすぎないように、たわませないように、慎重に読み進めた。理解できるようなできないような。たっぷり脳に詰め込んでおいたら、寝ているときにふしぎな夢に合わせて犀星の詩がナレーションされたりしそう。そうしてそこでようやく理解できそうな詩だな、と思った。

フォロワーずたちはDMMのセールで何を買うか話し合っているようだった。私はぬかりなく『赤の神紋』を買ってみんなで再読して聖地めぐりへ行こうと営業をかけるかたわら、「室生犀星さあ……」と呟き続けた。企画展を見てから急に犀星を思ってため息を吐く私を、フォロワーずはどう思ったのだろう。

白秋の『君は土、彼は硝子』という一節がなければ、これほど必死に青空文庫を追っていなかっただろう。土と表現される犀星を、それに対して硝子と表せられる朔太郎を、もっと知りたかった。そして白秋に嫉妬した。そのセンスがほしい。ふたりの関係を『君は土、彼は硝子』と表現できる力があったら、それだけでもう何にだって勝てそうな気がする(何と戦ってるんだ?)。私は犀星と朔太郎の関係を知らなかったのに、『君は土、彼は硝子』だけで心が掴まれているのだ。圧倒的なセンスがあれば、たった一言で誰かの心臓を掌握できるというわけか。力がほしい。強くなりたい。

私もたった一言で、さらっと続く地の文の一節で、読者を夢中にさせたい。私の世界に支配したい。あーあ、そんな日が来るのかな。白秋に嫉妬しているなんて現実世界ではとうてい口にできない。いよいよおかしくなったと思われそうだ。いやだって白秋に嫉妬て、そらあんた、あまりに無謀すぎるで……いやだって嫉妬してしまったんやもん! 以下ループ。

小説を書くたびに、心理描写をがつんっと嵌める言葉が浮かんでこないもどかしさでのたうちまわる。言葉はこれほどあふれているのに、いま必要な言葉は脳内に存在しない。いや、存在しないのではなくて、私が脳内のタンスを正確に開けられてないだけ。悔しい。白秋並みのセンスがあれば解決される悩みなのかな。いや、努力せえ。自分で努力せえや。わかってる! わかってるけど!!

そんなわけで私はあの日から数週間、いまだにときおり白秋への嫉妬で眠る前に発狂しそうになる。白秋に嫉妬してる場合ちゃうぞ、ちゃんと現実見ろ、な?

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