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紅葉づくしの1週間

以前は 紅葉狩りには行ったことがなかったが、3年前の秋、義姉に誘われ初めて紅葉を見に大分の耶馬渓に行った。

夫の運転で、義姉、母、(友人の結婚式に出席する為たまたま帰省中だった)末息子も一緒に行った。

とても元気で、農作業やボランティア、友人との旅行や食事会と、毎日元気に動き回っていた母は、それから4ヶ月後、朝から腹痛を訴え病院で受診した。
苦しむ様子とは裏腹に、2時間半の精密検査後「ただの軽い食中毒なので便が出れば治る」と診断され、様子見の為入院することになった。
コロナ禍の中、大病院に入院できたのはとても幸運で、(後は病院に任せておけば安心)と私は安堵した。

夕方、家に帰ろうとする私に「ここに居て!」と懇願する母.
「我慢しないで困ったことは看護婦さんに言いなっせ。」と、言い残して私は帰った。

夜中、血圧が急低下し、腸閉塞と診断された時は手遅れで、入院から1週間後、亡くなった。
私が病院から帰る時の母の苦しそうな顔を思い出し、母が亡くなった後、心の中で自分を責めた。

母が亡くなったのがコロナが流行し始めて間がない桜の花が満開の頃っだった。
最後に一緒に出かけた紅葉の時期も その時のことを思い出す。



暗くて長い前置き話になったが・・今はそんなことは言っていられない。

紅葉を空撮したい夫は、昨年秋、紅葉を撮りに行こうと言い、夫婦で初めて紅葉を見に行った。
そして今年の夫は、YouTube投稿という目的が出来、昨年以上に紅葉の空撮に燃えている。
ネットで紅葉情報をチェックし、各所の役所や林野庁の事務所に電話して
空撮申請や許可を取っていった。

今週は早朝3~4時に起き、近くの山に登ったり、五家荘や耶馬渓に行ったりしていた。

平日ということもあるが、訪れているのは推定60代から80代が大半で特に五家荘では50代以下とみられる人達にあまり出会わなかった。

五家荘という場所は、まさに山あり谷ありので道が狭く、車の離合にも神経を使う。
昔は、谷を歩いて渡るために唯一の交通手段として使われていた吊り橋が、丈夫なものにかけ替えられ、今は観光資源の一つになり紅葉シーズンは観光客が集まっている。

梅の木轟公園吊り橋

梅の木轟公園つり橋
シルバー用の手押し車を押して60歳ぐらいの息子さんとつり橋に向かうおばあさん。孝行息子さんに手を添えられながら歩く姿が美しかった。
若者でも足元がフラフラするつり橋を、息子さんはゆっくり話をしながらお母さんと渡っていった。

楡の木の吊り橋 奥の方にもう一つの橋
梅の木の吊り橋

楡の木橋     
あやとり橋」といわれ間隔をおいて上下に2本の吊り橋がかかっている。
酸素ボンベを装着した手押し車につかっまて歩くおじいさんに 家族4人が付き添い手を貸しながら橋を渡っていた。
おじいさんに紅葉を見せたいというご家族のひとりひとりの優しさが伝わってきた。

このおばあさんやおじいさんは、昔は優しく家族思いのお母さんやお父さんだっただろうと思いながら、この2組のご家族の物語を勝手に想像した。

私が長生きして・もし 孝行息子に誘われたら
足が悪いからたいへんだからと断らないで、連れて行ってもらおうと思いながら帰った。

五家荘は平家の落人伝説の地  今もその末裔とされる方の屋敷が残されてる(ここは、展示館です)



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