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患者さんのつらい気持ちに寄り添い、一緒に悩みたい|アサカ【連載・田口ひづるの看護観が聞きたい!/#1】

日々奮闘する先輩ナースが、どのような「想い」を持って看護しているのかを掘り下げる企画「田口ひづるの看護観が聞きたい!」

今回の話し手は、5年目ナースのアサカさんです。

アサカさんは新卒から約5年間、血液・腫瘍内科病棟で働かれています。化学療法や輸血、移植の管理などに追われ、多忙な毎日を過ごしているそう。最も忙しい時期には、1日に輸血が10件以上、化学療法が15件以上入ることもあるのだとか。

しかし!アサカさんはどれだけ忙しい状況下でも、患者さんに寄り添うことだけは諦めないと話します。彼女がそのような想いを抱いたきっかけは、看護学生時代のとある経験でした。

そこで今回は、アサカさんが大切にしている「寄り添いの看護」についてお話を伺いました。血液・腫瘍内科で働き続ける理由や看護師を目指した経緯についても語られています。患者さんを助けたい一心で日々奮闘するアサカさん。その原動力の秘密は……「数々のつらい経験」にありました。

<聞き手=田口ひづる>

【アサカ】1999年生まれ。看護学校を卒業後、急性期病院の血液・腫瘍内科で約5年間勤務。病棟では、がん患者の化学療法や移植、看取りに関わることが多い。プリセプターとして活動しており、新人教育にも注力している。

第1希望のPCU配属が叶わず、血液・腫瘍内科へ

――本日はよろしくお願いします!アサカさんは新卒からずっと血液・腫瘍内科で働いていますよね。血液・腫瘍内科への配属は希望だったのでしょうか。

アサカ:私はもともと血液・腫瘍内科ではなく、PCU(緩和ケア病棟)への配属を希望していました。看護学生の頃から、緩和ケアに携わりたいと考えていたからです。しかし当院のPCUには、新人看護師を採用しない決まりがありました。その結果、新卒でのPCU配属は叶いませんでした。そのため、まずは治療病棟でがん看護について学ぼうと考え、血液・腫瘍内科を選びました。がん看護について学んでおけば、いずれPCUに異動した時にも知識を生かせると思ったからです。

――第1希望のPCUに配属されなかったことで、モチベーションは下がりませんでしたか。当時、どのような気持ちで働かれていたのか、お聞きしたいです。

アサカ:血液・腫瘍内科で実際に働いてみたところ、非常にやりがいを感じました。患者さんが安全に治療を受けられるようサポートをするのが、性に合っていたのだと思います。それに、たとえ忙しい環境であっても、自分の工夫次第で、患者さんのつらい気持ちにじっくり寄り添えると気がつきました。治療病棟でも緩和ケアはできる、と実感できたのでモチベーションは割と高かったです。

そうこう働くうちに、がん看護への興味が高まりました。気がついたらずっと血液・腫瘍内科のまま楽しく働いていましたね。

――そもそも、アサカさんが緩和ケアに興味を持ったのは、どのような経緯からだったのでしょうか。

アサカ:私が看護学生の時、祖父が胃がんで亡くなりました。その時の担当看護師さんが、親身になって寄り添ってくれたことがきっかけで、緩和ケアに興味を持ちました。祖父は気難しい性格だったのですが、「すごく良くしてもらえた」と何度も言っていました。小まめに声をかけてくれたことや、いつも気にかけてくれたことが、よっぽど嬉しかったのだと思います。

加えて、看護師さんが私たち家族にもしっかり寄り添ってくれたことも、大きなきっかけとなりました。祖母はパニックになりやすい性格で、当時もひどく落ち込んでいましたが、看護師さんが親身に関わってくれたおかげでなんとか支えられていました。祖父が亡くなった際には、私が看護学生だったこともあり、エンゼルケアの方法などを詳しく教えてもらえて嬉しかったことを覚えています。

この時から緩和ケアに興味が湧きました。家族のケアや看取りを含めた看護がしたい、と強く思いましたね。

私も同じように患者さんの命を救いたい

――少し話が変わりますが、そもそもアサカさんが看護師を目指したのは、どのような理由からなのでしょうか。

アサカ:母が脳梗塞で倒れたことがきっかけです。突然、長い手術が始まり、1ヶ月ほど入院しました。当時の私は小学4年生で、脳梗塞と聞いても、何が起きているのか分かりませんでした。父も普段見ないようなひどい表情で毎日を過ごしていて、とても怖かったです。状況が飲み込めないまま、漠然とした不安にずっと襲われていました。結果として、母の手術は無事に終わりましたが、お見舞いにいっても母はぐったりで、遊んでもくれない……。何もわからないまま、ただ母がいなくなるかもしれない、とずっと怯えていました。

私が看護師になりたいと思ったのは、この時からです。対応してくれた看護師さんたちが、テキパキと処置をこなしていて、とてもかっこよかったからですね。私も同じように、患者さんの命を救いたいと思いました。

――テキパキと働く看護師の姿に憧れたのですね。それ以前は、看護師になりたいと思うことはなかったのでしょうか。

アサカ:そうですね。看護師を目指したことはありませんでした。ただ、実は私、子どもの頃に川崎病を患っていたんです。小さい頃から病院にはよく通っていたので、看護師さんを見る機会は割と多かったと思います。ですので、漠然とですが、看護師ってかっこいい、とは以前から思っていました。とはいえ結果としては、母の一件があったからこそ、看護師になることを決意したと思います。

それ以降は、看護師になれるよう計画的に行動していました。看護学校に入れるように理系の勉強に注力したり、職場見学に行って看護師の仕事を実際に体験したりしました。初めは単に、看護師ってテキパキ働いていてかっこいい、くらいの気持ちでした。ですがいろいろ調べるうちに、命を救う姿に強い憧れを感じて、絶対に看護師になりたい、と思うようになりました。

患者さんのつらい気持ちに寄り添い、一緒に悩みたい

――アサカさんが看護師になってから約5年が経ちますが、日々の看護で大切にしていることはありますか。

アサカ:んー……言葉にするのが難しいです(笑)。でもやっぱり1番は、患者さんのつらい気持ちに寄り添いたい、と思っています。血液・腫瘍内科には、化学療法の副作用に苦しむ人や看取りに向かっていく人がたくさんいます。その患者さんたちが病状や治療に関して悩みを抱えているなら、まずはそのつらさに寄り添いたい。そして、その人がその人なりの一番良い道を進めるように、私も一緒に悩みたいなって思っています。

――精神的なサポートを大切にされているのですね。患者さんのつらい気持ちに寄り添うために、何か工夫されていることはありますか。

アサカ:どれだけ忙しくても、患者さんとしっかり向き合いお話を伺う時間は、なんとか確保するように努めています。もちろん、長時間の会話は難しいことも多いですが……。まとまった時間を取れない場合は、10分だけでも時間を作ると決めて、強制的にスケジュールに組み込んでいます。

ただし、担当患者さん全員とじっくりお話するのは物理的に難しいので、ある程度の基準を持って優先順位を決めるようにはしています。例えば、強い副作用に悩まされている人や、病状の経過に伴い今後落ち込む可能性が高い人は、できる限り早めにお話を伺うようにしています。

あとは、化学療法に対して誤った認識を持っている人にも、優先的に時間を作っています。翌日から髪が抜ける、吐き続けてご飯が食べられなくなる、と思っている方などですね。現時点での理解度を確認し、誤った認識があれば、じっくりと時間をかけて説明しなおします。そうすると、患者さんの表情が和らぎ、安心してくれることも多いので、本当に嬉しいなって思います。

――患者さんのつらい気持ちに寄り添いたい、と考えているのがすごく伝わります。そう思えるのはなぜでしょうか。何が気持ちを突き動かしていますか。

アサカ:つらそうな表情の患者さんを見ると、放っておけないんですよね。私にできることがあるなら全力でサポートしたい、と常に思っています。私はそもそも、何でも100%で頑張りたい性格なのです。それは、患者さんの話だけでなく、友達の誕生日でも同じです。喜ぶ顔を見るためなら妥協しません。自分が全力を出したことで喜んでくれたら、やっぱり嬉しいんですよね。だからこそ、患者さんにも全力で関わります。もちろん、祖父や母が看護師さんに助けられたので、私も同じように患者さんを助けたい気持ちもあります。それが大きな理由です。

相手に変わってもらうより自分が環境を変えた方が早い

――これまで看護師として働く中で、つらい時期などはありませんでしたか。

看護師3年目の頃に、リーダー看護師との関係を上手く作れずに悩んだことがあります。どれだけ相談しても、無視される時期がありました。正直な話、挨拶を返してくれない程度なら気になりません。けれども、患者さんに関する相談をしても突き放されるのは、さすがにつらかったです。

患者さんに危害を加えてしまわないか、ずっと不安でした。まだ経験が浅く、初めて受け持つ患者さんも多い時期だったので、私1人では対処しきれない場面もありましたから。

――そうした人間関係の悩みは、どのように克服していったのでしょうか。

アサカ:リーダー看護師からは実力不足だと言われることもあったので、まずは実力面で認められるよう、勉強に打ち込みました。そして、必要な知識を身につけた上で「重症の患者さんを担当できるようしっかり勉強してきたので、次は受け持たせてください!」と、積極的に声をかけました。また、他の先輩に相談して間を取り持っていただいたり、師長に現状を説明して仲介していただいたりもしました。要するに、自分ができる最大限の努力をしつつ、周囲にも助けを求めたということです。結局、リーダー看護師との関係は改善されませんでしたが……。

ただ、その過程で、相手に変わってもらうより自分が環境を変えた方が早い、という気づきはありました。そのため、師長に相談し、コロナ病棟で3ヶ月間だけ応援勤務をさせていただいた時期があります。ちょうどコロナの流行がピークで、コロナ病棟が人手不足だったので、応援勤務の申し出はすんなりと受け入れてもらえました。

――応援勤務先のコロナ病棟では、どのような毎日を過ごしましたか。

アサカ:人間関係が良好だったこともあり、毎日がすごく楽しかったです。それに、新しいことを学べて本当に幸せでした。呼吸器装着中の患者さんや小児患者さんの受け持ちなど、貴重な経験を積むことができて良かったです。先輩たちも親切で、分からないことがあれば、つきっきりで教えてくれました。可愛がってくれている実感があって、とても働きやすかったです。

「教えてあげたい」と思われる、愛される後輩になることが大切

――それでは最後の質問です。後輩看護師に伝えたいことはありますか。

アサカ:愛される後輩になることが大切、と伝えたいです。私自身もそうでしたが、折り合いが悪い先輩が1人でもいると損をしやすいですよね。必要以上にキツく指導されるのはもちろんですが、やはり一番つらいのは「何も教えてもらえないこと」だと思います。先輩が教えてくれるからこそ気づけることも多いですから。例えば私の場合だと、環境整備は単に清潔を保持するだけでは不十分だと気づきました。環境整備の際には、せん妄の予防や急変時の対応を考慮した視点も必要だと、先輩が教えてくれたからです。

あとは単純に、先輩から可愛がってもらえると嬉しいですよね。ご飯に誘ってもらえたり、たくさん気にかけてもらえたりすると、テンションがあがります。

――先輩と良好な関係を築いておくことは大切ですよね。愛される後輩になるために、何か気をつけていたことはありますか。

アサカ:たくさんありますが……。一番意識していたのは、感謝をしっかり伝える、ということです。基本的なことですが、先輩に助けてもらった際には、「ありがとうございます」と感謝を言葉で伝えていました。また、先輩から注意を受けた際には、まずは自分の非を認めた上で、指導してくれたことに対して感謝を伝えました。それだけでは終わらず、「教えてもらったことを実践したら、こんな風に上手くいきました」と、後日あらためて感謝を伝えることも多くあります。

加えて、感謝を伝える時には笑顔でいることも大切だと思っています。私の場合は、にっこり笑って、全力で、「ありがとうございます!!!」と伝えていました(笑)。

その甲斐もあってか、可愛がってくれる先輩も多かったように思います。

――きちんと言葉で感謝されると、たしかに良い気分になりそうです。アサカさんが多くの先輩に可愛がられるのも納得ですね。本日はたくさんお話をしてくださり、ありがとうございました!

〈取材・文・撮影=田口ひづる〉

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