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たとえわずかな時間でも、できる限り子どもたちのそばに付き添いたい|ミサキ【連載・田口ひづるの看護観が聞きたい!/第3回】

日々奮闘する先輩ナースが、どのような”想い”を持って看護しているのかを掘り下げる企画「田口ひづるの看護観が聞きたい!」

今回の話し手は、10年目ナースのミサキさんです。

ミサキさんは新卒で小児専門病院に入職し、約10年間に渡り小児看護に携わっています。現在はHCUで勤務しており、重度障害児を中心にケアを提供しているそう。救急外来への応援にも出向き、急変時の初期対応を行うことも。

そんなミサキさんは、たとえわずかな時間でも、できる限り子どもたちのそばに付き添いたいと話します。彼女がこの信念を持つに至ったのは、ある小学生との出会いでした。

そこで今回は、ミサキさんが大切にしている「寄り添いのケア」についてお話を伺いました。つらい場面に遭遇した際の心の持ちようや、仕事でのつらいエピソードなども語られています。子どもたちの笑顔を守るため奔走し続けるミサキさん。その始まりは……「自身の出産体験」でした。

<聞き手=田口ひづる>

【ミサキ】1992年生まれ。看護学校卒業後、小児専門病院で約10年間勤務。乳幼児内科病棟に配属された後、育休・産休を経て、現在はHCUに所属。三児の母として子育てに奮闘中。ビールをこよなく愛している。

自身の出産体験を機に、助産師に憧れを抱いて

――本日はよろしくお願いします。ミサキさんは新卒で小児専門病院に入職されていますが、まずは小児科に興味を持ったきっかけを教えてください。

ミサキ:小児科に興味を持ったきっかけは、自身の出産体験です。当時の私はまだ20歳で、看護学生でした。初めての出産であり不安だらけでしたが、助産師さんが優しく接してくれたおかげで安心したことを覚えています。困った時に助けてくれたり、赤ちゃんを取り上げたりする助産師さんに憧れを感じて、「私も同じようになりたい」と思いました。ですから、はじめは助産師を目指そうと考えていたのです。しかし、看護学生として学びながら子育ても並行するなかで、助産師になるのは現実的に難しいと考えました。

そのため、せめて看護師のまま産科で働きたいと思い、小児専門病院に入職することを決めました。

――小児科ではなく産科に興味を持ち、小児専門病院に入職されたのですね。出産を経験するまでは、特に産科には興味がなかったのでしょうか。

ミサキ:特に興味はありませんでしたね。出産後、子育てをしながら実習に行くなかで、産科病棟を経験したとき「やっぱり産科っていいな」と思いました。もともと赤ちゃんが好きだったので、それも決め手になったと思います。

――産科が設置されている病院は他にもあると思うのですが、なぜ小児専門病院を選ばれたのでしょうか。

ミサキ:とにかく子どもに関わる仕事がしたかったからです。私が勤める病院は、小児科のみで構成されているため成人領域への異動がありません。そのため、たとえ産科に配属されなくても、少なくとも小児科では働けるだろうと考え、現在の病院を選びました。

他の場所への入職は全く考えていませんでしたし、実際に他病院の面接は一切受けませんでした。

第一希望の産科配属が叶わず、乳幼児内科病棟へ

――結果的には、産科ではなく乳幼児内科病棟に配属されましたが、その時の心境はいかがでしたか。

ミサキ:絶対に産科で働きたいと考えていたので、とてもショックでした。勉強も頑張っていた分、余計に悔しかったです。実は、入職前に病棟体験の機会があり、その時に産科希望の同期とも仲良くなっていたのです。そして、その同期たちは全員、産科に配属されました。私以外はみんな助産師だったので、当然の結果だと思います。ですがやはり「なんで私だけ…」という思いは拭えませんでした。

とはいえ、「いざ決まったなら、やるしかない」と、気持ちを切り替えることはできました。実家暮らしであり、早く自力で生計を立てたいと考えていたからです。なにより息子がいたので「弱音を吐いている場合じゃない!」と思えたことも大きかったです。

――乳幼児内科病棟に配属されてからは、どのような毎日を過ごしましたか。

ミサキ:実際に働き出してみると、毎日がとても楽しかったです。確かに大変なことも多くありましたが、子どもたちの可愛さに救われました。子どもが笑顔を見せてくれるたび、本当に癒されるのです。それに、子どもだけでなく、ご家族との関わりも好きでした。入職して2ヶ月が経つ頃には、自分にできることも増え、やりがいも感じ始めました。

その時にはもう「小児科で頑張っていこう」と決意していたと思います。

――患者さんとの関わりで、特に印象に残っているエピソードはありますか。

ミサキ:特に印象に残っているのは、生後2ヶ月のAちゃんとの関わりです。私が1年目のとき、約半年間にわたってプライマリーを担当させていただきました。Aちゃんは癌を患っており、化学療法やオペが必要な状態でした。清潔隔離など治療上の制限を強いられ、お母さんと会えない時間も長かったと思います。ですが私は、たとえそんな状況であっても、できる範囲でAちゃんの成長発達を促したいと考え、懸命に関わり続けました。すると、その半年の関わりのなかで、Aちゃんは見違えるほど成長してくれました。初めての寝返りなど、Aちゃんが成長するたびお母さんと共有し、いつも2人で喜んでいたことを覚えています。私はこのとき、たとえ入院中であっても子どもは成長していくものだと実感し、これからも成長発達を促せる関わりを大切にしていきたいと感じました。

「仕事に行ったらAちゃんに会える」という嬉しい気持ちが常にあり、毎日頑張れたのだと思います。

――Aちゃんがいたから、仕事を頑張れたのですね。

そうですね。実はAちゃんの退院後、病院に私宛の年賀状が届いたのです。そこには、Aちゃんの母から感謝の言葉が綴られていて……本当に嬉しかったことを覚えています。そしてそこから10年以上、毎年、年賀状のやりとりをしています。今でも院内ですれ違ったときには絶対に声をかけてくれますし、Aちゃんも元気に過ごしてくれていて本当に嬉しく思います。

たとえわずかな時間でも、できる限り子どもたちのそばに付き添いたい

――小児専門病院で働き始めてから約10年が経ちますが、日々の看護で大切にしていることはありますか。

ミサキ:「座る暇があるなら子どものそばに行く」ということです。入院は子どもにとって大きなストレスになります。ですので私は、子どもたちが早く退院できるよう、5分でも時間があるなら、そばに出向いてケアを提供しています。

例えば、気胸の治療などで一定時間右を向く必要があるとき、子どもはその姿勢を保持できないことも多いです。目を離すと、すぐに自分の好きな体勢に戻ってしまいます。とはいえ、無理やり体位変換を行ってしまうと大泣きし、最悪の場合呼吸状態が悪化するケースもあります。ですからそういった場合には、時間が許す限りそばで付き添い「あと少しだけ頑張ろっか」と声をかけながら体勢を保持できるようサポートするのです。私がそばに居ることで、たった5分でも必要な体勢を保持できれば、子どもの病状は良い方向に向かうはずです。その行為自体が子どもにとってのストレスになるかもしれませんが、少しでも早く退院してもらえることを願ってケアに努めています。

――子どもが少しでも早く退院できるよう工夫されているのですね。そう思うようになったきっかけはありますか?

ミサキ:私は現在HCUに所属しているのですが、強いストレスを抱えて苦しむ子どもをたくさん見てきました。特に忘れられないのは、以前入院していた小学校高学年の男の子のことです。それまで普通に通学していた彼が、入院をきっかけに厳しい水分制限を強いられることになりました。「水を飲みたい」という切実な訴えが続きましたが、治療上それは許されません。日に日にストレスが膨らみ、両親が面会に来ても泣き続けていました。「いつ帰れるの?」と何度も訴え、一番ひどい時には「もう死にたい」という発言もみられました。

この経験から、子どもたちが一日でも早く帰れるように、そしてストレスをためこまないようにサポートすることが大切だと実感しました。できることがあるなら全力でやり抜きたい、そう思いながら日々の看護に努めています。

――「もう死にたい」という発言は、非常に心が痛みます……。つらい場面を目にしたとき、ミサキさんはどのようにして自身の気持ちをケアしていますか?

ミサキ:小児科で働いていると、確かにつらく感じる場面も多いです。しかし、あえて自分の心をケアすることはありません。そういった場面を目にするとつらいですが、一番つらい思いをしているのは子どもとそのご家族だと思うからです。私自身が暗い気持ちになっても状況が良くなるわけではありません。ですので、看護師として全力でケアを提供するのみです。

ただ、そういったつらい場面に遭遇した日は、自分の子どもをより大切にしようと改めて思うことはありますね。 

仕事がつらいなら辞めてもいい、環境を変えれば働きやすさも180度変わる

――それでは最後の質問です。後輩看護師に伝えたいことはありますか。

ミサキ:仕事がつらいなら辞めてもいい、と伝えたいです。自分に合う環境は必ずあると思うので。実は私にも仕事がつらい時期がありました。ミスが続いてしまい、先輩看護師に嫌われてしまったのです。その先輩はベテランで気が強く、口調もきついタイプでした。病棟で顔を合わせる度に指導されるのが本当につらかったです。その先輩に申し送りをする時には、毎回動悸がするほどでした。

しかし、産休を機にその病棟を離れ、他部署に復帰してからは救われました。優しい人ばかりで、理不尽な指導を受けることもないため、毎日がすごく楽しかったです。私はこのとき、環境を変えれば働きやすさも180度変わると実感しました。ですので、今の仕事がつらくて精神的に病んでしまうなら、思い切って場所を変えるのも一つの手だと思います。自分に合う場所はいくらでもありますから。

――つらい思いを抱えていても、なかなか辞める勇気が出ない人も多い印象です。そのような人たちは、どう行動するべきでしょうか。

ミサキ:とにかく人を頼るのが大切だと思います。私自身、次々と退職する同期をみて「私に相談してくれれば良かったのに」と何度も思いました。もちろん、それが出来ないほどつらかったのだと思います。ただ、私のように心配している人がいるのは事実です。ですから、仕事がつらくて辞めたいと思うなら、一人で悩まず、まずは周りに相談してほしいなと思います。

――自分を心配してくれる人に助けを求めるのが大切なのですね。ミサキさんのような優しい方が近くにいれば、仕事がつらくても頑張れそうです。本日はたくさんお話をしてくださり、ありがとうございました!

〈取材・文・撮影=田口ひづる〉

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